どうやら俺は記憶喪失になってしまったらしい。
 そう告げられたのは俺の部屋でのことだった。そんな馬鹿なとは思ったのだがそう言えばベッドに入るまでの記憶がねえ。それどころか俺の部屋だってのに何故かボンゴレ本部の医療班が付き添う簡易な医務室と化していたしついさっきまではチューブで繋がれていた。目を開ければ見たこともねえ隊員たちが心配そうにこっちを見ているし、辺りを見渡せば部屋の中にあった調度品がほとんど新調されている。おまけに日付。俺の記憶していた時よりもずいぶん日が経過していて、まあこれはさすがに誰かが動かせるわけでもねえなと医療班の奴らの話を信じた決め手になった。
 とは言ったって何も全てを忘れてしまったというわけじゃねえ。今は怪我をしているせいで絶対安静を言いつけられているが身体は剣を振り方を覚えているし、一部の隊員は記憶にある。特に雨の属性の炎を持つ剣士なんて古株が多かったおかげかほとんど見知ったものだ。…無駄に長い診察や解析の結果、どうやらここ1年ほどの記憶がすっかり抜け落ちてしまっているらしい。見覚えのない奴らは最近入ってきた連中で、俺の知らない空白期間は別に1年もの眠りについていたってわけじゃなく記憶だけがすっぽ抜けたってわけだ。

 そうなれば困ったことが幾つか浮き上がる。それをこいつらは懸念しているのだろう。
 例えば俺が記憶を失った理由や原因、最後に受けた任務がちゃんと仕上がってたか否か、他にも受けていた任務の進捗状況、俺がよく利用していた情報屋ファミリー、俺だけが握っていた情報。基本的に俺はそういったモンを書類や何やらで保存しておくことはなく、こればかりはどうしようもない。幸いにも副隊長である大和には俺のスケジュール管理をある程度任せてあったおかげで一部は復旧も可能だったが取り戻せないものはいずれ戻ってくるかもしれない記憶頼みになる。怪我が治ればまた俺は1年の記憶の空白をどうにかしつつまたこれまで通りの生活に戻ることになるだろう。

「…なあ大和」
「何ですか、スクアーロ隊長」

 だがもう1点、気になることがある。周りの視線だ。
 割と適当に生きていたっていう自負はあるが隊員から俺への評価がどういうモンなのかというのは自分でもそれなりに把握している。剣士として羨望の眼差しを受けていたことも、またその反面女関係ではだらしないと呆れられていたことも。俺もヴァリアーの人間、いつ死ぬか分からないってのに禁欲なんざしてられっか。そう思っていたからこそ欲しい女には手を出していたし誘惑され股でも開かれりゃそりゃ遠慮なく突っ込んだ。日本じゃ据え膳食わぬは男の恥って言う言葉があるらしいが俺はその言葉を気に入っている。任務が終われば適当なバールに顔を出し酒をたらふく呷り、それでも息子が落ち着かないようなら娼館へ足を運ぶのが日常化していたのもそのせいだ。
 だが、この部屋にやって来た奴らの目はそうじゃなかった。剣士だけじゃなく他の隊員たちも、事務員の目はそうじゃなかった。それは俺の記憶にあるあいつらよりももっともっと尊敬されているような眼差し。それでいて女を横に侍らせた時の俺への、冷たい眼差し。…つまり最近の俺はそれだけ人望があったということだ。もしくは全員からそう見られるだけの何かが、皆の評価を変えさせる何かがこの1年であったということだ。誇らしくもある反面、何があったのか気にならないわけがねえ。それを誰かが説明してくれるはずもなく、なんつうか俺が眠ってる間にもう1人の俺が好き勝手に動いていたんじゃねえかとすら思っている。それに、…さっきの女もだ。なんなんだ、ありゃ。

 真尋。

 大和が連れてきた、晴属性の炎を持つ事務員。
 本来俺や大和のような精鋭部隊の上に立つ人間と安易に関わることのないような下っ端だし俺にはこんな女がいた記憶はさっぱりねえ。タイプじゃなかったってのももちろんあったかもしれないがあいつもまたこの1年で知り合った奴の1人だったのだろう。
 しかし周りの隊員の様子からするとどうやら仕事が抜きんでて出来るらしく、誰からもさん付けで呼ばれていたのが気になった。特に剣士共がやかましい。もしかしてあいつも剣士だったのか、任務でも使えるような事務員なのかどうか気にもなったが如何せん俺はさっきそいつから果物がたくさん詰め込まれたバスケットを顔面に全力投球され直撃した身。クソ痛え上に何故そんなことをされたのか意味が分からねえし苛立ちがでかい。でかすぎてあいつをもう一度呼び戻すのは俺のプライドに関わる。お陰で今も額が赤いし触れば少しへこんでいやがる。鏡で確認した俺の顔は憮然としていて苛立ちを全くもって隠せていない。

「俺はあいつと何かあったのか」
「あいつ、と言いますと?」
「…お前の連れてきた馬鹿力の女だ」

 いつもならあんなもの簡単に避けられただろう。馬鹿ほどまっすぐに投げられたそれは俺の横に居た非戦闘員の女だって身の危険を感じさっと避けたってのに何故か俺の身体が動かなかった。ただその瞬間突然身体が不調になったのか、もしくはあいつが術士か何かで俺に何かしでかしたんじゃねえかと疑っている。そうじゃなきゃ有り得ねえだろうが。

「いーえ、別に何もなかったと思いますけど」
「……何だその言い方は。いや、…まあお前が連れてきた女にケチつけたことは悪いと思っているが…」

 てっきり暇を持て余した俺に女でも宛てがうつもりだったのかと俺は誤認してしまったのだ。なんでもかんでもお堅い副隊長にしては分かってんじゃねえかと褒めたくもなったが連れてきた女はどうも暗い。服もそうだが髪も目も真っ黒でまるでカラスみてえだなと思ったわけだ。常に伏し目がちで、まあある意味儚げではあったが俺はヒョロっこい奴より出るとこはきっちり出ている体型の方が好ましい。つまり俺の食指及び下半身は全くもって反応しなかったのだ。
 それに向こうだってソッチに関し乗り気じゃないというのは言われずともすぐに分かる。そこで大和がとりあえず女を持ってきたのだと思いこみ、また俺はそいつじゃ勃つことはなく、さらに女がそのつもりじゃないのに連れてこられたのだと認識した故のあの言葉だ。俺としては嫌がる女を抱く趣味は基本的にはない。だからまあ、あの言葉は酷かったっちゃ酷かったが俺なりに気を遣ったつもりでもある。
 よくよく考えりゃ見舞いに来た人間に対しにべもない言葉だったという自覚はある。泣かれるかもな、とは思ったがまさかフルーツが大量に乗ったバスケットが超スピードで投げられるなど誰が予想しよう。あんなモン人に向けて投げたことはないがあれは確実に木のカゴが当たる音じゃねえ。ボスさんに瓶を投げられた時を彷彿させる音と痛みに俺は悶絶し、これまでの記憶までも飛ばすかと思った。なんとかそこまで最悪の事件には至らなかったが。

「ったく、なんだあのガサツな女は」
「普段は温厚なんですけどねえ」
「…俺のせいってか?」
「いえいえ、そんなこと一言も言ってないでしょう」

 不思議とあいつを連れてきたはずの大和は怒った様子じゃなく、こういうことになるのは予想済みだったのかもしれないと疑心暗鬼に陥る。
 …もしかして敢えて仲の悪い奴を連れてきたんじゃねえだろうか。
 考えれば考えるほどその可能性は非常に高いと気付く。俺がぐうたらしてることに苛立ち制裁を与えるつもりだったのかもしれねえ。ならさっきからニマニマ笑っているこいつの表情にも説明がつく。おーおー、こいつも一端のことをやるようになったじゃねえか。身体がしっかり動くようになったら思いっきり扱きあげてやろう。

「ちなみにあいつを見てなにか思い出したことは?」
「知らねえ。とにかく、俺はあいつのことが気に食わねえな」

 嫌いだ、というわけじゃない。もちろん俺も俺で失言の自覚はあるしまあ謝ってきたら許してやろうとは思う。だが俺に、記憶を飛ばしているとはいえこの俺に対する仕打ちは有り得ねえだろうが。上司に立てつくとか自殺願望でも持ってんじゃねえのか。
 思い出せば思い出す程に腹立たしい。あの時引き止めてでも謝罪を強制すりゃ良かったと思えるほどに苛立っているのだ。俺はあいつことが気に食わない。そうに違いない。じゃなきゃ俺の中であの女の存在がいつまでも消えてなくならないわけがねえんだ。

 そうですか、と大和の楽しそうな笑いがさらに俺の苛立ちを助長させる。腹いせに食い終わって空になったバスケットを投げ付けたが当然こいつに当たることはなくその辺にポテッと頼りない音を立てて転がった。


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