任務は上々だった。
 というより何一つ問題はなかったって方が正しいか。むしろ俺の想像以上の動きをする奴らばっかりで、やはり俺が忘れちまった空白の一年は決して無駄ではなかったと思わされたほどだった。意志なき駒より個として出来上がった軍隊の方が相手にとって面倒極まりない。どっかに戦争を持ち込むつもりはねえがもしそうなった場合どこにも負けないに違いねえ。贔屓目なしにそう評価できる動きで、とにかく今回の任務は拍子抜けするほどあっさりと終えた。
 少なからず驚きがあった俺と、これぐらいは当然だと言わんばかりの下の連中。一年でよく変わったものだと褒めてやるべきなのか、それとも新人から中堅層を育てる計画立てた誰かに関心すべきだったのか俺には判断がつかなかった。……まあ幹部の面々を考えればせいぜいレヴィか俺ぐらいだったんだろうが。

「スクアーロ隊長、次の任務は明後日ですが……具合はどうですか?」
「悪くねえな」

 どんな難易度の任務であってもただ身体を動かすだけのトレーニングとはまた違う。記憶を失ってからも絶対安静が解けてからは鍛錬を欠かさなかったつもりだがどことなく疲弊しているような気がするのはそのせいだろう。どっと疲れたと言うよりは身体が重いというような。大和はそれを機敏に感じとったのか眉根を寄せながら俺の体調を聞いてきたんだろう。残念ながら休んでいた間に衰えちまった体力や何かは取り戻しはしたが、記憶に関しちゃ何ら戻ってはいない。
 相変わらず記憶がないまま幾数日。不安だとかそういったものは最早なく、ただ俺は日々を過ごしていた。何も変わらず、俺が思うまま、作戦隊長のS・スクアーロとして仕事をこなすだけだったがそれが正しいのだと思っている。不安がって動けないほど情けないことはない。そうしなけりゃいざ記憶が戻ったあと、俺は俺を許さないだろう。残念ながら俺は立ち止まることを良しとする性分じゃないんでなあ。
 適当に返事をすると大和はとりあえず納得はしたようだった。こいつも別に医療に詳しいわけじゃねえし俺の身を案じて聞いただけだろう。

「では失礼します」

 次の任務は明後日、か。なら明日はオフ扱いになるしゆっくりするとするか。そんなことを考えながら大和とも別れ、ゆったりとした足取りで廊下を歩む。


 さて、今後の俺の予定だが、どうやらしばらくは少しずつ任務を受けさせられるらしい。俺としてはさっさと思い出すなり、思い出せなかったら思い出せなかったでこの生活に慣れるためにも複数仕事を回して欲しいところだがここのところ任務自体があまりにも少ないようだった。俺クラスの能力を必要とするような、単騎で乗り込むような任務はもってのほか。そんなレベルらしい。なんだそりゃ、と笑っちまいたくもなる。平和なのは悪いことじゃねえがガキの頃から争いごとばっかの生活をしてきた俺にとっては暇だと感じるのは仕方のないことだろう。不謹慎だと怒る奴もいるかもしれねえが。
 くぁあ、と欠伸をひとつ。任務自体が思っていたよりも早く終わったせいで外はまだ明るく、今日だってこの後予定もない。空いた時間が出来てしまうのも問題だ。一年前ならこんな暇なこともなかったはずだがどうやらすっぽ抜けた空白期間で色々と変わってしまったらしい。新人も多少増えたようだが中堅層は減ったような気もする。任務でくたばっちまったぐらいしか理由は思いつかねえが、それにしてはあまりにも平和すぎる。
 とはいえそれにかまけ、俺もぐうたらする訳にはいかねえ。せっかくだしこのままトレーニングルームで汗を流すのも悪くねえか。そう思い、向かっている最中だった。

 人が落ちてきたのは。

「ん?」

 ここはあまり使われることのない階段。ヴァリアー邸の入口から見て一番奥にあるここは普段から人気はない。俺は上階にある武器庫へ向かうのに割と使う方だがそれでもここで部下とすれ違うようなことはめったにないし、見かけりゃ珍しいなと思わずそいつを見てしまうだろう。
 そんな静かな場所でガタン、とそこまで大きくもない音。風で窓が鳴った音とも違う何か。人の気配は感じられなかったが如何せんここは暗殺者しか居ねえ建物だ、常日頃から消している奴もいるだろう。だから反応が遅れたということもある。釣られるように顔を見上げ、その瞬間、俺が見えたのは黒い人影。それだけだったはずだった。

「―――真尋!」

 他にわかる情報といえばトータルで真っ黒。カラスのような黒い髪、黒い隊服。アジア系の精鋭部隊は少ないが全くいない訳でもない。また男も女もいたし、俺の部下にもいる。なのに不思議と俺が叫んだのは一人の女の名前。―――真尋だった。
 …何度も言うが顔は見えなかったはずだった。声だって聞こえなかったはずだった。小さく呻く声すらなく、ただただ小さい音を立てて落ちようとする女。かすかに聞こえたあれはこいつが踏み外した音だったのだろう。
 その時の俺は早かった。
 手にしていた書類もさっきまで考えていたことも何もかもを放り投げて駆け出す。言葉にするとその表現がいちばん近い。今日は俺も若干疲れているとはいえまだ身体を動かせる余裕はある。こういう経験はまあ無かったはずだが、もしあったとしてそこまで驚いたりすることもなかっただろう。それにここで働いてるヤツらは事務員でもある程度の身体能力はある。踏み外したぐらいならすぐ体勢を立直すだろうし怪我したとしてルッスーリアの晴匣で完治するに違いない。俺もそこまで過敏になる必要はなかったはずだった。

 だが、なぜだか絶対に手を伸ばさねばならないと思った。

 その理由を俺は知らない。なぜそう考えたのか俺には分からない。当然ここで倒れてきたのが野郎だろうが誰だろうが俺は助けていたんだろうが、そう言うわけじゃねえ。分からないことばかりだがハッキリしていることはある。
 俺はなぜかあの女のことを無意識のうちに特別視しているということだ。
 確かに真尋の実力はなかなかのもの。剣士として手合わせをしたことは無いが部下に話を聞いている限りあいつに勝てた者はいないようだった。冗談半分に俺とどっちが強いか聞いてみたらあいつらが答えに悩むほど、あいつは強いらしい。そして頑なに俺との手合わせを受けないってこともあるが、なんとなく気がつけばあいつのことを目で追っているのも確かなわけで。……もしかすると忘れちまった一年間、俺は本当にただならぬ関係だったのかもしれない。そう仮説を立ててしまうのも仕方のないほどに、俺は真尋を追っているのだ。そうじゃなければ俺自身の意志とはまた別、まるで身体が、本能がそれを当然だと言わんばかりに動くはずがねえ。

―――ドサッ!

 間一髪、俺は間に合った。そして俺の腕におさまったのはやっぱり真尋だった。華奢な身体は火照っていて、ややぐったりしている感がある。さらり、クセのない黒い髪が揺れる。

「おい、大丈夫かぁ!?」
「…スクア、ロ隊長」
「意識はあるようだな。医務室行くか?」
「……いえ、大丈夫です。行ってきたところなんで、」

 声に張りはない。いや、普段からそこまでデカい声を出しているわけでもなかったが明らかにこれは熱の症状。紛れもない病人だった。外から帰って来た奴ならまだしもこいつは少なからず今日は事務室で働き詰めだったはず。こんな内部で毒だの何だののテロを受ける可能性は限りなく低い。
 俺たち暗殺部隊とは違い最近は事務の方が忙しいだかなんだかを聞いたような気がするがそう言えばこいつは剣士でもあるが本業は事務員だったな。しかも晴属性の連中はほとんどが現場隊員であり事務を負担する奴はほぼ居なかったってのも聞き覚えがある。時間帯的に仕事を終わらせ、医務室へ行った帰りってところか。大和と違って軽口を言えるような奴でもなさそうだし、ひょろっこいくせに意外と頑丈なのも俺は知っている。しばらく無理をしていたのか、はたまた俺が追いかけ続けてきたせいか……そう考えると多少は良心が痛む。
 怪我の類は匣で解決できるが病気の類には効果がない。ちなみに俺が記憶を失った際に受けた怪我は早々に治療されたが記憶分野は直接頭を割って脳に晴属性の匣を使用したところで意味はない。あくまで細胞の活性化、早く治るように己の中にある治癒力を促進させるのが本来の効果になる。まあ医務室に行ったってことはとりあえず薬はもらったのだろう。
 未だ動かずにいる真尋はもう動くことすら億劫のように見える。上司である俺に未だ寄りかかった状態のままぼんやりし、顔は赤く、目もトロンと潤んでいて完全に風邪っぴきの症状だ。何とか一人で立とうとするがそれすらゆっくりしていて正直見てられやしない。一応ここは野郎共の巣窟だ、よからぬことを考える奴が現れないとも限らない。…仕方ねえ。

「部屋はどこだ、送ってやる」
「……でも」
「遠慮すんな。ヴァリアーの人間が屋敷内で倒れるなんざ恥ずかしい真似お前もしたくねえだろ」

 真尋の前にしゃがみこみ、早く乗れと促すと少し遅れて重みが伝わってくる。俺の知っているこいつならそれでも遠慮するかと思っていたがどうやら予想していたよりも重症だったようだ。ルッスーリアに声でもかけて薬の調達も急がせるか。
 「すいません」小さく、申し訳なさそうに聞こえる声。いつもと違うこいつはなんというか、俺までおかしくなりそうだった。たまには悪くもないとも思わないこともないが。

「気にすんな」

 一方的なのかもしれないが俺が特別視している、ことは確かのようだった。こいつが俺をどう思っているのか分からないが。背中に感じる、女特有の柔らかな感触にさっきからドクン、ドクンと心臓がやかましい。当然布越しだったが触れる足の細さ、耳にかかる熱い息。―――まるで童貞のような反応をしている俺に瀕死のこいつが気付くことはないだろう。そして、俺が俺自身の反応に非常に戸惑っていることも。

(……どうしろってんだ)

 俺がこいつのことを特別視云々と思っているのはもう一つ理由がある。

 実はと言うと俺は記憶を失ってから女を抱いていない。己に禁欲生活を強いているわけでもなかったしまあ女共から誘いも割とあったが驚くほどにその気が起きないのだった。そのまま無理にセックスへ持ち込んだとしても自信がねえ。これは由々しき事態、非常事態だった。女関係はそこそこだらしない自覚もあるが比例して悦ばせる自信はある。そんな俺が行為に対し異様にネガティブに考えているのが一番信じられなかった。
 なのにこいつに対してはこの有様だ。湧き上がったそれはまさに性欲に近かったがそれよりも手前、なんつーか青臭いガキが感じるようなものだった。最初に会った日にはこんなことを感じたわけじゃねえのに日が経つにつれそういう感情が強くなる俺自身に困惑している、というのが正直なところ。これを誰かに言うつもりは毛頭ねえが、これもまた記憶喪失になった俺が抱えている問題のひとつでもあったのだ。……仕方ねえ、あとで一発抜いてくるか。

「礼は…そうだなあ、治ったら手合わせしろよ」
「……考えておきます」
「おー、ぜひ考えておいてくれや」

 一体俺は何を忘れちまったのか。俺は一体こいつと何があったのか。忘れちまうまでの俺はこいつをどう思っていたのか。ひとつ思い出せば芋づる式に全てを思い出すんじゃねえかと思う。そのとっかかりを全く見い出すことはできないだけで。だが恐らくヒントになるものはこいつなのだと俺はなんとなく確信している。

「おい、次はどっち曲がるんだあ」
「……」
「う゛お゛ぉい!まだ寝るんじゃねえ!」

 だから早く治ってくれよ。調子狂うじゃねえか。


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