「ただの風邪だと思うけど」
「…だと、信じたい」

 朝、起きた時点で何やら身体の調子が思わしくないという感じはあった。そこまで朝に弱くはないはずなのに起き上がるのが億劫で、顔を洗う時にふと鏡を見れば若干頬が赤かったような気がする。まさかと試しに部屋で軽く剣を振るってみると思っていたよりも自分の反応がいつもより遅い。それと剣自身が重く感じてしまってとうとう額を抑えてしまった。
 そういえば身体の怠さに加え、頭も痛い。これはまずい。

 やらかした。

 何が原因だったのか突き止めようとしたけど少なくとも昨夜まではいつもと変わりない生活だったはずだ。決して健康的とは言えないものの、それでもまだマシな生活を送っていたはずだった。…敢えて挙げるとすれば誰かさんから逃げるために寒い上に風当たりの強い屋根の上へと何度か退避したことぐらいか。
 とまあ色々思い当たる節はあるけど結果的に熱を出したようだった。身体は特に頑丈だと自負していた私にとって動きに制限がかかるほどの不調を感じたのはとにかく久しぶりで、おかげで毒が回ってるんじゃないかと思えるぐらいには気持ちが悪い。

「珍しいわねえ、真尋のこんな姿を見ることになるなんて」

 こっちは辛い状況だというのに楽しげに口元を歪ませているルッスーリア隊長が恨めしい。
 事務員と言ったって私もヴァリアーの一員だ。そしてこれは幹部クラスにしか知られていないけれど私は密かに裏切り者を探し出し始末するという役割を持った機関に所属している。…いや、所属していた、と言うのが正しいところなんだろうか。咎と呼ばれたその機関のことを知っている人は既に片手の指で足りるほどになっているし、今後はそこに人が増えることはない。どちらかと言えば最後の一人ということで辞めようがないというか、もうここを統括している人間が居ない以上以前からの業務をただこなしているだけで、そうなると私は死ぬまでここの業務も兼任した事務員にならざるを得ないというか。とにかくそんなところ。
 つまりなんというか、事務員だろうが暗殺者としてだろうが熱を出したところで優しさを与えられるわけもなく、ただ笑われている状況っていうのが解せない。自業自得だと言われればそれまでなんだけど。

「久々に飲んだ普通の薬はどう?」
「…不便、まずい」
「ふふ、諦めなさいな。どうせ明日になったら治ってるわよ」

 ルッスーリア隊長のいる医務室は相変わらず整然としていて物寂しいぐらいだった。当然ながら隊長自身この部屋に居座っているわけもなく誰か急病人が必要になってから呼ばれる程度のもので、基本的には人がいない場所ということになっている。
 そもそもここを利用する人間といえば九割方が任務による怪我で、その場合は晴れの炎を利用した匣兵器で強制的に治すという荒々しい治療方法でなんとかしているという現状だ。昔は医療専門の人間もいたらしいけどいつの間にか死んでしまって、それ以来新たに迎えたことはない。結果、とりあえずルッスーリア隊長がここの管理もしているという訳だけど結局この人だって治療に詳しいわけじゃないのでその辺の薬品に手を伸ばすことがないという。私のために探し出した薬を入れていた箱がホコリを被っていたのがその証だ。
 ちなみにルッスーリア隊長がここも兼務しているのは決して善意からじゃない。人が集まるところに情報あり。普段の自分たちの生活じゃ分からないような隊員の不審な言動や生活を耳にするのはこういう場所が最適だ。加えて隊長の朗らかな性格がそれを助長し、疑いの目を持たせることなく色々な話を聞くことができる。…良い身体付きの男性隊員が怪我人としてやってきた時は目を輝かせるだとか野太い悲鳴があがるだとか言う噂は私も聞いたことはあるけれどその辺りはノーコメントということにして。

 とにかく身体が重い。
 それでも事務員としての仕事には支障はなく、直近では咎としての仕事もなかったのが不幸中の幸いと言うべきだろうか。仕事が終わったあとルッスーリア隊長に引きずられ連れてこられた医務室で苦い薬を一気に飲み干し、ベッドの上に座る。今日の仕事が無事に終わったことで我慢してきた分の疲労がどっとやって来たようだった。これも晴属性の回復匣なるもので回復させられたら良いんだけどそこまでアレは便利なものじゃない。炎はあくまで治癒力の促進。怪我の類や若干の疲労程度になら効果があるけれどこう言ったものには残念ながら無効だ。S・スクアーロの頭にも効果はないだろう。…いろんな意味では治療が必要だと思うけど。

「今日はこのまますぐに寝るのよ。訓練は禁止」
「…分かった」
「頼んだわよ、もう少しでそっちに仕事が入るだろうから」

 不意に変わった声色にちらりと医務室の扉を見る。いつの間にか鍵はかけられていてご丁寧にカーテンまで閉められている。ついでに人の気配も一切近辺では感じられない。…人払いをしていたのだろう、用意周到なことで。こんなところでわざわざ話すということはこの仕事というのは咎として、と考えた方がいいだろう。思考を切り替え、ルッスーリア隊長を見る。
 そういえば仕事自体もずいぶん久々な話だ。
 私の本職ではあるけど、そもそも最近は新規入隊している人間がいないので実は裏切り者でしたパターンが非常に少なくなってきているせいでお役目御免になりつつある。最近じゃ訓練以外だとめっきり剣を持つことも減っているということは私自身も実感している。

「人体実験って、いつまでも終わらないのね」
「ああ、またそっち系の。…もっと世界平和の方へその努力を注いでくれたらいいのに」
「ヴァリアーのアンタが世界平和を願うなんておかしい話ね」

 ふふ、とルッスーリア隊長は笑いながら私の頭を撫でる。確かに、それはそうかもしれない。常に死と隣り合わせの私たちが平和という言葉を口にするなんて矛盾しているといえばそうなのかも。だけど私は死にたくない。死にたくないから殺す。そんな単純理念のもとに生きているので平和であればあるほど死ぬ確率は低くなるし、そう願うのもまた自然だと思うんだけど。
 ということは今回の仕事というのはこのヴァリアー内の人間殺しではなくどこかの人体実験なるものをしているファミリーのデータ廃棄だの工場爆発だのそういうことなのかもしれない。

「ボンゴレって人体実験してるファミリーには殊更厳しいよね」
「お優しい9代目からのお達しよ。…見てられないんでしょうね」

 …なるほど、今回の依頼は本部から、ね。わざわざ私に声がかかるということはきっと少人数で進めたいものなのだろう。もしかすると単体なのかもしれない。……チームで進めるのに不適すぎる性格だということは十分承知している、つもりだし。
 なら尚更早くこの体調を治す必要があるし、今日の訓練を辞めておく代わりに治った後は腕が訛らないようにしておかないと。そんなことを思いながら脳内で近々任務があることだけを留めておく。
 とりあえず体調を治すことが最優先、その後に訓練をすればいい。それこそS・スクアーロの手合わせを受けるもよし、久々に大和を捕まえるのも悪くないだろう。

「そういえばスクちゃんも相変わらずだったわね」
「…あの人も早く戻って欲しい」
「あら、真尋もそう思うの? 想いが伝わったってことかしらね」
「……」

 そういうわけじゃない。断じて違う。どうして突然そっちの話になったのか。
 だけど体調があまりよろしくない今、ぐいぐいと自分のペースに乗せてこようとするルッスーリア隊長の勢いに叶うわけがない。微かな抵抗として無言を貫くとルッスーリア隊長はお構いなしにオホホと笑う。サングラスの奥がキラッと輝いた気がするけどそれには気づかないふりをして。
 ……あの人、なあ。
 ここ一年程の記憶が消えてしまったことにまだ変わりはない、らしい。それでも身体の傷はほぼ癒えたようで、そうなると戦闘には何ら支障もない彼をニートにさせるような余裕は残念ながらヴァリアーにはない。今日はあの人を見ていないけどもしかしたら任務へと行ったのかもしれない。その最中に思い出したりしたら良いんだけど今のところそう言う兆しもないと大和から報告がある。非常に残念ながら。

 まあ、S・スクアーロの記憶が早く戻ればいいと思っているのは本当だ。そうしたら彼が記憶を失う前に彼が持っていた任務だって早く終わるだろう。
 それになんだかんだ言ったってあの人は人に好かれている。心配している人だって決して少なくはないし、トレーニングルームへ行けばやっぱり隊員の顔も少し暗い。…どうやらあの人の前ではそう見えないように振る舞っているようだけど。きっと大和も飄々としているようで実はそんな感じなのかもしれない。
 それでもS・スクアーロはS・スクアーロだ。偽物でもなんでもない。ただ直近の記憶がなくなってしまった為に過去からタイムスリップしてきたようなもの。彼を心配する声はあれど敵対する者など居るはずがない。

「でも、少し寂しいでしょう」
「…追いかけられることに変わりない。だけど、まあ、」

 分からないでもない、と、それを口にするのははばかれた。どうしてなのかは、分からないけれど。
 寂しい、という単語が当てはまるか否かと聞かれればやっぱり首を傾げざるを得ない。そういうわけじゃない。そうじゃない。でもどういう表現をしていいのかは分からない。
 ただ、あえて言うのであれば。

 前のあの人の方が話しやすかったかな。

 それだけ。ルッスーリア隊長に言ったらこの話題からしばらく離してくれなさそうだから言わないけど。
 それでも顔には出ていたのかもしれない。「まあまあ」と嬉しそうに彼は笑い、私はささやかな抵抗のつもりでこれまた口をつぐむ。


backnext
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -