普段からあまりストレスは溜めない方だ。
 というかそこまで思い詰めるようなことはなく、またそうなるほどしっかりとした人間関係が築かれているわけでもないし仕事が嫌いだということもない。知り合いという知り合いはヴァリアーの外にはほとんどなく、また内部でもそう多くもない。せいぜい仕事のために必要最低限のことを数言交わす程度だ。
 だから、と言うべきなのか先日あんなことがありその瞬間だけは感情が爆発したことは否めないけどその後は別にどうってことはない。しばらく顔は見たくないなと思ったぐらいで、あとは別に仕事に支障をきたすことはなかった。

 あれからS・スクアーロに会っていなければ大和にも会っていない。特に毎日顔を合わせる必要があるわけでもないし、むしろこっちはただのしがない事務員でむこうは雨属性の副隊長。
 そんな二人が一緒にいる方がおかしいし、あらぬ噂もかけられることはどちらにとっても益な話じゃないのは話をせずともお互い分かっているので自然とそうなってしまう。それにヴァリアー邸もそう狭い訳でもないし会わないときは一週間以上姿を見ないことだってそう珍しいことでもない。
 もしヴァリアーに損害の出るような何かしらがあれば大和も教えてくれるだろう。それとあの人に関しては元から特に何も期待はしていない。直近の記憶を失ってしまったものの、本来あんな感じの人だったんだから。…その頃の悪評が流れていた頃のS・スクアーロの姿は実際この目で見たこともなかったからよく知らないんだけど。

「――グ、もう一度! もう一度お願いします!」
「了解。息を整えたら、お好きなタイミングでどうぞ」

 今日は先日の天気とは打って変わって快晴。カラッとした風が心地よく、絶好の武器磨き日和だ。なのにどうしてトレーニングルームで剣の指導をしているかというとそれは1時間ほど前、この目の前の彼が武器庫にやって来たときまでさかのぼる必要がある。
 それまでは武器庫にあるものを手当り次第手入れしていたんだけど、何やら暗そうな表情をした彼が部屋へ入ってきて武器を借りたいと申し出てきた。珍しいこともあるものだと思ったら任務で手持ちの剣を全て折ってしまっただとか。決して安いものでもないし、そもそも武器庫のものは雨の属性の人たちが任務途中に気に入った武器を持ち帰ったりしたもので溢れている。お好きなものをどうぞと承諾するとこれがまたS・スクアーロもびっくりの剣オタクで目を輝かせながらあれでもないこれでもないも選び続け、ついでに切れ味や身体への馴染み具合を試すために私と手合わせをするということになったのだった。
 『真尋さんと手合わせしたかったんですよ!』と力説されたけど果たしてそれが本音なのか、お世辞なのか分からなかったから曖昧に頷いておいたけれど。

 まあそんなわけで相手は武器を変え手を変えながら今までほとんど休憩をとることなく手合わせをしていた、というわけだった。
 いつの間にかギャラリーも増えていたけど元々ここは対戦用トレーニングルーム。観戦場を設けるような場所じゃないし私としてはさっさと退場したい。が、向こうは体力に限界というものを知らないのか何度も起き上がってくるし苦しそうな表情の割に口元が緩んでいるしで…そうだな、こちら側の人なんだなと思った。要するに戦闘マニア。まあこの場にいる人達はだいたいそうなんだろうけど。

「まじかよ、あいつも負けんのか…」
「俺、勝てる気全然しねえよ」

(…ここも、雰囲気が変わったな)

 あたりから聞こえてくる声を聴きながら、改めてそう思う。
 私達の戦闘を見て評価している精鋭たち。自分ならさっきの動きにはこうやって出る、だとか自分の背丈ならアレは不可能だった、だとか。人の意見を聞けるのは珍しいし思わず私も耳を傾けるけどきっと私も変わったんだろうなと苦笑い。

 死神。

 そう呼ばれていたあの頃が嘘のようだ。姿を見かけたら舌打ちされたりこれ見よがしに悪口を言われたり、足を引っかけられたりしていたのが1年前だったと最近入った隊員が知れば驚くかもしれない。
 正直、私はその生き方でいいと思っていた。
 今後もヴァリアーに仇をなす人物を見つけては秘密裏に闇に葬って来たその生き方を選択するのであれば今のこの状況は何が何でも忌避すべきことだっただろう。だって皆から認められたり尊敬の眼差しで見られるような、ちょっとでも目立つようなことはその役割の人間にとって邪魔なものでしかないから。ついて行った任務では必ず人が死ぬ疫病神だとそれぐらい言われていた方が、嫌われている上にあまり仕事も出来そうにないような人間だと思われているぐらいの方がどれだけ身が楽だったことか。

 そんなところから無理やり、強引に引きずりだしたのがS・スクアーロだ。
 今じゃ鼻の下を伸ばし日替わりで女性と楽しい時間を過ごしているあの人は大和曰く妥当で、だけど私にとっては迷惑極まりない”正当な評価”を周りに見せつけ、私を認めたことで周囲の見方も変わってしまった。あの人は呑気に記憶を放り投げてるけれど私はそうじゃない。今まではなんだかんだS・スクアーロに引っ張りまわされつつも守られていたんだなと改めて自覚するほどに最近は隊員に追いかけられてばかりで正直疲れているところはある。私だってあの人が記憶を失ったことで被害をこうむってる一人であると主張したい。

 ストレスは溜めない方だけど、これはこれでかなりキツい。名前は憶えているけどそう交流もなかった人間に次々と手合わせを乞われ追われているだなんて1年前の私が見たらきっと隠し通路でひたすら息をひそめていたことだろうな。…本当はそうしたいけどルッスーリア隊長から課せられた仕事の多さを考えるとそうもいかない。元はといえば誰かさんが記憶喪失に陥ったせいなので元に戻ったら大和に負けないぐらいの嫌味を浴びせないと気が済まない。

「…ありがとうございました!」
「……お疲れさま」
「いやあ、俺、体力にも剣術にも自信あったんですけどねえ」

 日本人隊員はそう多くない。だからだろうか、どうしても同郷の人間を見ると手合わせを了承したりしてしまうのは。いつもは断るんだけど今日は無理だったのはきっとその日本語のせい。敢えて話しかけて来たのはそういう意図もあったのだろうかと今更思う。気付いてももう遅いけど。

「やっぱすげぇっす!!!」

 彼はS・スクアーロの自称弟子、らしい。手合わせ後に改めて言われずとも構えや剣さばきが似ていたからなんとなく想像はついたんだけど声が大きいところまでは真似しなくてもいいと思う。パチパチと周りの拍手に気恥しい思いをしながら一刻も早く立ち去りたいなと願うばかりだ。手を握られ大きくブンブンと振り回す様子はもうなんというか…大きな犬? なんだか尻尾まで見えてきそう。

「そう言えば真尋さんって…あの、スクアーロ隊長と仲良かったんですよね。今回は…その…」
「最近よく言われるけど気にしないで。そんな仲じゃないから」

 …私がげんなりしている理由はこれにある。
 どうやらいつの間にか私はS・スクアーロの恋人であると噂が流れ今回の件でかなり私に同情票が集まったらしい。情報源が分かれば締め上げて訂正させるけどルッスーリア隊長に聞いてももはやどうにもならないレベルにまでなっているようなので諦めている。これが今のあの人の耳に入らないことを祈るばかりだ。
 まあ本当に恋人ならきっと悲しいことなのだろう、と感情に乏しい方の私だってそう思う。忘れられることは辛いことだ。しかもその相手が今では手当り次第女性を口説いているとなれば尚更。私には関係のないことなんたけど。

 私の返答をどうとらえたのか、「そうなんですね!」と一言で片付けた彼は別に気にしてはいないようだった。
 どちらかというと噂に振り回されていると言うより部下として上司の失態を代わりに謝ろうとしているようなそんな雰囲気に思わず笑ってしまう。あの人のことをしっかり見てくれる有能な部下に恵まれているなんて、それは人材育成をずっと視野に入れていたあの人の努力の実が結んだということと同義。まさかそれをこんな場面で見られるとは思ってもみなかったからだ。

 実際S・スクアーロが取り組んでいた育成は着実に、こうやって節々で見られている。
 さすがに個人で受けていた任務関連に関してはどうにも出来ないけどそれ以外なら大体問題なく動いているのだ。S・スクアーロ及び能力が突出した人間が突然欠損しても組織に乱れが生じることなく滞りなく動くこと。それがあの人の望み。長年の取り組みの成果をこの目で見られるとは私もなんだか誇らしい。
 へえ、と目の前の彼は物珍しそうな表情を浮かべて笑う。

「失礼、…真尋さんも笑うんですね」
「…まあ、一応…人間だからね」
「そりゃそうか!」

 一体私をなんだと思っていたのか。
 それと、私もなんだかんだ人とこうやって話すのがずいぶん久々だったからなのかもしれない。いつもならすぐに切り上げるような雑談も付き合ってしまったのは。周りのざわつきなど気にすることなく話を続けてしまったのは。

「お楽しみの最中悪いが、」

 ふ、と空気が変わったのはそのときだった。
 唸るような声が聞こえたかと思うと私達の手合わせを見ていた人やトレーニングしていた人達がさっとその声の主のために道を譲る。やがてゆらりと姿を現したのは私の想像通りの人物で思わず眉根を寄せた。

 何でここに?と問いたいけれどここは残念ながらヴァリアーの施設内。誰にでも利用権限のある場所だ。
 なら怪我はどうしたのかとも問いたい。がこれも残念ながら頭に包帯を巻いているだけ。無理な運動さえしなければ問題ないのだろう。

 ぎくりと自分の身体が強ばるのが分かる。さっきまでリラックスしていたというのにまた振り出しに戻ったみたいだ。そう、さっきまでのあの陰鬱としたあの気持ちに。
 けれど私をそんな気持ちに陥れた男は気付くことはない。いや、気付いたとして私にそんな気を遣うことはないのだろう。

「ちょっと俺とも付き合ってもらおうか」

 …この凶悪な顔をしたS・スクアーロは。
 思わずゲッと声を出したけど仕方のないことだと笑って許して欲しい。だって私は――今のこの人が、非常に苦手なのだ。


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