記憶がなくとも身体さえ動けば任務に何一つ支障はない。記憶を失うまでに請け負っていた複数の任務のうち個人で受けていた分や俺が気になって極秘に調べていた分に関してはどうしようもなかったがヴァリアーという組織を介して受けていた分ならまだどうにでもなる。
 本来ならそれも俺が最後までやり通すべきだっただろうが寝込んでいた数日のロスは決して小さくはない。何かありゃボスさんから直々に連絡はくるだろうが恐らく適した精鋭部隊の野郎に引き継がれていることだろう。
 気持ち的にはその後任者に挨拶でもしたいところだがさすがに極秘事項、誰が後を継いだのか知らされることはねえしそれは作戦隊長の俺でも例外ではない。

 つまり、だ。俺はそういうモン全てを一旦捨て置き、また新たに任務を受けることになる。
 これまでなんだかんだと常に任務を複数受けていた身としてはひとつの任務に取り掛かることすら久しい。最近はどうだったかは知らねえが。まあある意味新鮮な気分で俺の記憶の通り任務前の準備をすると、定刻通り集まった野郎共を見渡しほとんど顔ぶれが変わっていないことを確認した。
 たかが一年、されど一年だ。
 記憶を失うまでの俺が普段連れ歩いていた野郎共を、という指定をしたら属性は違えど剣士ばかり。一部居なくなっていることに関してはもう先に逝っちまったんだろう。残った連中も俺の記憶より成長している気がして何だか…そう、アレだ。日本で言う浦島太郎の境地と言ったところか。俺は残念ながら美女に会った記憶もなけりゃ宝箱なんざ渡されちゃいねえわけだが。

「あー、俺のことはある程度は聞いていると思うがこれまで通り接してくれ。俺としても早く記憶は取り戻したいからなぁ」

 俺が記憶を失っちまったことを完全秘匿にすることは不可能だった。何しろ今回なぜか俺の負傷に対し本部の連中がやってきちまった。そうなると上層部に限定されるとは言え本部の連中も俺がこうなったことを知っていることになる。
 またヴァリアーの連中の、特に昔から所属してる奴らは本部の連中を心の底から嫌っている。そんな本部の奴ら―しかも医務班だ―が俺の部屋を何往復もしてるとなりゃ内容はどうであれ察することができるだろう。晴の匣の恩恵をあやかることのできない事態が俺の身に降り注いだっつーことを。
 ここまでは俺の憶測でしかねえがだいたい間違っちゃいねえはず。結局今日に至るまで誰も俺の記憶について触れることはなかったし、今俺が発言した内容についても不思議がってる輩はいない。はい、と小さく手を挙げたのは見覚えのある奴だった。ちょうど一年前、俺がまさに覚えていない期間よりほんの少し手前に入隊したとは記憶にある。そういやこいつがこの前トレーニングルームであの女と手合わせしていたっけか。

「スクアーロ隊長、ちなみにどこまで覚えてるんですか?」
「…ちょうど一年前だ。残念ながらお前が入隊した時に次期剣帝になるって叫んだことはちゃんと覚えてんぜ」

 どっと笑いが起こる中、できる限り記憶を掘り返す。何故ここ直近の記憶を失ってしまったのかは謎なままではあるが思い返すことを面倒くさがってはならない。何せこの俺だ。ポジションが変わっていない以上一日たりとも怠惰に過ごしたこともないだろうし無意味な日などなかったに違いない。なんでもいい、欠片でもいい。ひとつ思い出せば芋づる式に全ての記憶を取り戻すかもしれない。そうは思っているのだが残念ながらなにひとつ思い出すことはなかった。
 俺の記憶にない連中には悪いが再度簡易な自己紹介をさせ、新たに脳へたたきこむ。どうやら直近の俺も剣士ばかり連れていたらしく、その辺の方向性は変わっていないようだった。ただし、満遍なく使っているという印象を受ける。昔じゃ面倒でいつもと同じ連中を使い俺が楽できるようにしていたのだが新人もそこそこ起用しているところを見ると人材育成に力を入れていたことが分かる。ちっとは変わったのだろう、俺の思考も。そりゃ俺だっていつまでも生きて前線で剣を振っているわけじゃねえ。突然トップが消えたとき、その穴をいつまでも埋められない組織なんざ腐っちまうだろう。

「このランクの任務だとこんなメンバーでいいのか」
「そうですね、だいたいいつものことを考えるとこの人数か、もしくは手練を減らし新人を増やすか。その辺はスクアーロ隊長の気分次第でした」

 こういう時に秘書的な役割を果たす奴がいると話は早い。俺の場合は大和だ。こいつが精鋭部隊の中でも下っ端の下っ端をしている時から面倒見ていたがいつの間にか俺の隣に並んでも遜色ない腕を持っていて、能ある鷹は爪を隠すと言うが、こいつはまさにそれを体現したかのようだった。
 実力のねえ奴が吠えることは好かねえがその逆はまあ珍しい。特に俺みたいなポジションの人間を前にそれをするということはなかなか有り得る話じゃねえ。よっぽど性格が悪いか、訳アリか――いや、こいつなら前者だな。絶対。
 「あのう」とおずおず手を挙げたのはさっきの奴だ。他の人間から小突かれ前へ出たそいつはキョロキョロと辺りを見渡し何かを確認したかと思うと意を決したかのように俺を見て、問う。

「…真尋さんは来ないんですか?」
「……は?」

 何故、そこであいつの名前が。

「毎度とは言いませんが、彼女も結構連れて行っていたんですよ」

 俺の素っ頓狂な聞き返しに対し大和が素早くフォローを入れる。
 真尋。
 俺が今どうしても気になっている女。腹立たしくも何とも言えない感情を抱かせるあいつ。今日は俺も任務が始まるってことで見たことはなかったがここ最近気が付けば追っている女ではあった。
 あいつは事務員にしているのがもったいないと思えるほどの実力者であると俺は踏んでいる。俺の扱き上げてきた部下をあんな風にいなすのだ、相当な剣の使い手であることは違いない。だというのに肝心の俺と手合わせをすることはなく、また俺自ら手合わせを願いに真尋の元へ向かえば逃げられるという有様。この俺だぞ。剣帝と呼ばれているこの俺が、わざわざただの事務員の女に声をかけてるっていうのにあいつは何かと用があるだ今日は休みだなどと言い訳をして逃げやがる。しかも全力で、だ。それほどまでに嫌われる何かがあったのか分からねえし、もしかするとこの1年間で何かがありあの女と接触することがあったのかもしれない。が、所詮は事務と現場の作戦隊長。どういう繋がりがあったのか…そう思っていたのだがまさにここで答えが出た。なるほど、俺はよく真尋を連れまわしていたらしい。どういう経緯であの女のことを知ったのか分からないが恐らく今回みたいにあいつの実力の一端を見ることがあったのだろう。
 この1年の俺のことはさっぱりだが変わらないモンってのがある。そりゃ剣士だと分かれば手合わせを願うのが礼儀だし、また使えるってんならそれが本来事務員でも使うだろう。しかも話を聞いてみればまたこれが面白い逸話の持ち主だという。今となってはもうなくなっちまった話ではあるそうだが。

「死神、ねえ」

 連れて行けば必ず味方側に死者を出す女。それもAランクだろうがCランクだろうが、クソみてえな任務であっても関わらず。隊員の死因は毒やら爆破に巻き込まれたやら色々だったが別にあいつを庇って死んだというわけではなさそうだった。
 何か引っかかるところもあるが別段そこまでというわけじゃねえ。任務へ行く俺達にとって死は常に隣り合わせの存在。任務をこなして生きて帰ることが俺たちの仕事だ。どうせ偶然が重なって起きたことか、もしくはあいつが事故に見せかけて殺してるぐらいじゃねえか。…ま、後者はジョーク。味方殺しなんてヴァリアーが許すわけはねえからなあ。

「あ、でも今はもうそんなこと呼んでる人はいないんですよ」
「…そうだろうなあ」

 死神と言う言葉は一見負のワードではあるが俺たちヴァリアー全員がその称号を背負ったって何ら不思議じゃねえ。俺たちは屠る者。喰らう側であり、捕食される側からすりゃ俺たちみたいな存在は死神どころか災厄そのものみてえなものだからだ。つったって奴らからしたら蔑む意味で使っていたようだが今ここに居る連中からは真尋へ対する負の感情は感じ取ることができない。今となっては一掃されちまったのか元々ここに居る連中はそう思っていなかったのか。
 その辺りは定かじゃねえが、間違いなく言えるのはそりゃおもしれえと思ったことだ。
 今回の任務に連れていくことは叶わないが次回は任務に連れて行ってやろう。あいつも手合わせだと逃げるだろうが任務という仕事があれば流石に逃げることはしねえだろうし。

「俺ならそんな100%の死神、抑えてやるよ」

 女だって任務だって、ちょっと小難しい方が燃え上がるモンだろ。当然そこにあいつを攻略してやろうというような意味は含まれていない。見栄えはそう悪くはないものの俺の食指は変わらず動かない。俺の興味はあくまでも剣士としてだ。そうだ、そうに違いないしそうあらなければならねえ。…ん? 何でそう思ったのかは俺にも分からねえが。
 そう呟くと隣で「それはそれは」と副隊長が含んだ様子で楽しげに笑ったが俺は今日、何故だか機嫌がいい。久々の任務前で多少浮ついているところもあったのだろう。小突いてやろうとも思ったが今日はそれも止めておくことにする。

「前のあなたもそう言ってましたよ」

 苦く笑いながら紡がれた大和の言葉が、何故か頭から離れない。


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