誰かの気配を感じ目が覚めたのはヴァリアー邸も静まった深夜だった。
 この部屋付近に他の奴らの部屋はない。特に幹部の部屋のまわりとなれば恐れて近付いてくる輩もほぼ居ない。間違いなく俺に用事があってやって来たのだろう。大和や他の精鋭部隊の奴らなら時間帯関わらずノックするなり疑われることを避けるために大きな声を出して入ってくることからどうやら奴らでもないという判断を下す。もっとも今は目を瞑ったまま戦意を隠しつつ布団の下で剣をいつでも抜けるように準備をしながら、なのだが。

 記憶を失ったS・スクアーロは弱体化していると思う奴らだっている可能性はあるだろう、とちょうど昼間に大和と話しあったところだ。あえて口止めもしていない以上、いつ外部にも俺の情報が漏洩してもおかしくはない。実際弱体化してるかどうか、俺は俺で気になるところではある。が、そんな事は相当の技術を持つ剣士でしか分からないだろう。今のところは他の奴らと手合わせしたところで負けたこともなく、そこまで弱ったとは思いたくもないが…。噂ってのは広がれば広がるほど尾びれがつくもんだ。記憶を失ったとなりゃ剣さえ握れない状態にまで陥っているなどと思うヤツもゼロではないってことだろう。何人かの暗殺者は既に返り討ちにしてるぐらいだ、今回もまたその類いに違いねえ。

 …まあ、いい。

 最近剣を振るってはいたもののこういう緊張感はしばらく感じたことはない。木や人型を模したモンを斬りつけるだけじゃ腕が鈍るだけだからなあ。はやる気持ちを抑えながら呼吸を整え、傍にいる奴が動くのを待つ。先に動いて相手をうっかり斬り殺しちゃどこに誰だか分からなくなっちまうからだ。それにこの空気は決して嫌いじゃない。むしろ好物の部類だ。生きるか死ぬか、食うか食われるか。この世の分かりやすいルールを俺は殊更気に入っている。
 が、しかししばらく経っても侵入者はぴくりとも動くことはなかった。だが明らかにこれは人の気配だ。まさか夜分忍び込んで俺の寝顔だけ見て帰る奴なんざいねえだろう。わざわざ夜這いするような気概の女だって居るわけねえ。まあ居たら居たで歓迎するんだろうがな。

「いつまで寝たふりをしているんですか」

 そう聞こえてきたのはさらにそこから数分経ってからだった。呆れているような声音は紛れもなく女のものでつい反射で目を開くとそこには仮面をつけた女が立っている。…何だ、誰かと思えば真尋か。そう思って驚かすなよと軽口をたたこうとして、そのまま声を出すこともなく口を開いたまま硬直した。

 ――今、俺はなんと思った?

 何故これが真尋だと思ったのか。よくよく見れば全身真っ黒の服で身を包んでいるしフードだって被っているせいで体格はおろか髪の色すらわからねえ。声だってくぐもっている。仮面は異様なほど白く、今日は月も出ていないせいで闇夜に仮面が浮いているようにすら見えるほど。そんな中で何故俺はこいつを真尋だと思ってしまったのだろうか。
 会いたいと思っていたからか? 否、俺はそこまで腑抜けたつもりはねえ。
 じゃあ何だ。何故だ。
 ドクドクドクと心臓が早く鳴っているような気がする。こいつを捕まえなければならないと全身が訴えている。こんなことを感じたこともなく俺は自分の身体の反応に戸惑うばかりだ。
 対して女はただ黙ってこちらを見下ろしているだけ。こっちに武器を突き付けることなくただ俺を見ているだけ。…つっても仮面だ、こっちを本当に見ているかどうかは定かじゃねえが。

 世界が止まって見えた、などと言ったらこの女は笑うだろうか。
 間違いなく俺はこいつを見た瞬間、この仮面をつけた女を見た瞬間そう感じ取ってしまったのだ。そして、その仮面の下が真尋である、真尋であって欲しいと思ってしまったのだ。

「お前、名前は」
「…名乗るほどのものではありません」

 答えるつもりはないらしい。まあそうだろう。俺の前にわざわざ仮面で現れたってことはそういうことだ。知られたくもなければ見られたくもないってか。なら特に言及するつもりはねえ。
 女はぞんざいな様子でゆっくりと腕をあげる。その手に握られていたのは1本の鞘付きの剣で無造作にそれを俺の足元へと放り投げた。何事かと思ってそれに視線を遣るとそれはヴァリアーの紋章も入っていない、何の変哲もないただの剣のようだった。いつも使っている剣は俺の手元にある。が、ここに持ってきて俺へ寄越したってことは俺のものなのだろうか。これを見せたかったのだろうか。

「っぐ、!」

 ズキン、と頭が痛んだのは一瞬のことだった。
 思わず頭を抑えたがそれ以上の痛みが襲ってくることはなく、ただ冷や汗がポタポタと流れだす。剣に手を伸ばしたその瞬間俺を襲ったのは複数の映像が脳にぶちこまれたような、頭の中をひどく揺さぶられたようなそんな感覚。吐き気までも催したがここでそんな失態を見せるわけにもいかねえとこれは半分気合いで乗り切ると、女は俺の一連の動作に若干狼狽えたようだったが一切こちらに手を伸ばすこともなかった。
 まさかこの剣に何かあるんじゃねえか、とも思ったがこの女がそんなことをするとは思えずそのままもう1度剣に手を伸ばす。

 女とは初対面のはずだった。仮面の下に知っている面があるかは知らないが故意に顔を隠している以上、俺は知らない人間と相対しているはずだった。なのにこの女には妙に疑問や違和感、不愉快といった負の感情を抱くことはない。何故かと言われればまたこれも分からないのだが俺の身体がそうしろと言うのだ。俺は、俺の身体はこの人間を識っているのだ。

「……これを、どこで」
「その辺に落ちていましたよ。あなたのものだったという記憶があったので」
「そうか、悪いな」

 鞘から引き抜いてもトラップの類はなく、依然女から攻撃が仕掛けられるわけでもない。
 剣は思った通り、やはり何の変哲もない、その辺にあるものと何ら変わりないものだったように見える。ただこいつは妙に手にしっくりくる。もしかするとこの1年の間で俺がかなり使っていたのかもしれない。記憶がないってのに身体が覚えてるなんざ変な感じはするがそう思ってしまったものは仕方がねえ。
 何度か抜き差しし、明日からはこれも持ち歩くかと思っているとふ、と女の雰囲気が柔らかくなったかのように感じた。それももちろん仮面があるせいであくまで俺が思っただけなのだったが。

「…元気そうで何よりです」
「心配かけて悪かったな」
「いえ、別に」
「そうかよ」

 笑ったかのように思えたんだがなあ、と思わず俺も釣られるかのように笑うと女はわずかに身を固くした。肩が強張り、1歩後ずさる。何か俺が気に障るようなことを言ったのかと思ったが記憶にない。ただ今は雑談をしていただけじゃねえか。それなのに何が気に食わなかったというのか。

「っ! 待て!」

 このまま明るくなるまで、とまではいかなかったが俺はもう少しこの女と話していたかった。そのまま離すわけにはいかなかった。自分でも驚くほど俊敏な動きで身体を動かし、逃げようとする女の腕を掴む。見間違いでなければこの女はもう少しで窓から飛び降りるつもりだった。自殺という意味じゃねえ。気配の隠し方と言い、動きと言いどう考えても一般人とはほど遠い。窓から飛び降りたとしてもそのまま落ちることはなく華麗に着地することだろう。もしくはその辺の木に移動するか、或いは階下の窓からまた建物内に移動することも不可能じゃないことが分かる。
 細い腕だった。
 皮の手袋をしているせいで肌は一切見えなかったがこの握った感覚は鍛え上げられている戦士の腕だ。
 カラン、とベッドの上からさっき受け取った剣が落ちる。

 「……き、」小さく仮面の下から漏れる声は、少しだけ震えていたような気がした。
 何を言ったのか問おうとしたが、腕を掴まれ思うように動けなくなった女はなんとかその手を跳ね除けようと大きく暴れるかのように身体を動かし始める。激しく抵抗されてはいるが俺は離すつもりは毛頭ない。
 ここで離してしまえば最後、こいつに会えなくなるかもしれないと思ってしまったからだ。

「お、おい! 落ち着け!」

 いくら力が強いとは言えど男と、女。ベッドから降り、細っこい身体を拘束するかのようにかき抱く。こんなことをしたってこいつは動きを止めることはしないだろう。不思議とそんな確信があった。俺は、俺の身体は間違いなくこの女を知っているのだ。そして、記憶がこの女の出現に戻りかけているということも。
 突き放そうとする力は相変わらず相当なモンで、俺もこいつを離すまいと締め上げる勢いで抱きしめ続けている。ぐ、ぐ、と押し問答しているうちにフードが外れ、夜色の髪が俺の腕にかかる。だが、俺が驚いたのはそこじゃない。

「嘘つき!」

 耐えきれず訴えるように叫んだその言葉に。
 仮面の下の黒い瞳が泣きそうになっていたことに。

 ドクン、と再度心臓が鳴る。ズキン、と頭が痛む。
 女は決して泣いていなかった。なのに俺の方が泣きそうになり、たまらず「悪い」と女の耳元で呟いた。嘘つき、ウソツキ。それしか言わない女を慰める言葉を俺は知らず、泣き止んでくれ、どうか俺の所為で泣かないでくれと祈りながら謝罪の言葉を口にするだけ。

「悪い、……悪かった、真尋」

 これまた無意識に名前を口に出して、再度確信する。
 俺は、……俺は、この女を、追っていたのだと。ズキリと酷く頭の内側から痛み、意識を失おうとも、俺はこの手を離してはならないのだと。


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