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 0時に家に帰り着くことは流石に叶わなかったがそれでもあの時の自分が己であるということは誰にもバレないように細心の注意を払ったつもりだった。いつもは深夜ともなれば人も少ない平穏な街ではある。しかし昨夜は所謂特別な日だ。城でパーティをしているならば街でも…と大掛かりな催し物があったらしくその時間帯になっても人は割と出歩いていた。
 特に夜は有名な人間でもない。
 自分の父親はこの街を歩けば誰にでも挨拶される程のある種有名人だったが子である自分を連れ歩いたこともない。人混みに紛れてしまえばこちらのもので、少しだけ別世界の日常を覗き込めたような、そんな多幸感に満ちながら屋敷へと歩いていた…はずだったのだ。

 夜の住んでいる屋敷は少しだけ街から外れた場所にある。土地だけは広く、今の所有権は夜にあるのだが権利書一式は既に継母に奪われてあり一部は既に売買されているのだという。
 別にこの屋敷の土地に関して何も思うことはない。夜が愛しているのはナミモリという街、ただそれだけなのだから別段自分が住まう場所がどうなろうが大した問題ではなかった。

 悩むべきは自分が将来どうするかというぐらいか。
 このまま召使として埋もれて行くのは嫌だとは思っているが果たしてナミモリの自警団に自分は入れるのかどうかというその心配ぐらいだろうか。何しろその自警団…風紀を取り締まる彼らの母体は王族である雲雀家なのだ。自分も父親が働いていたものだから知っている。あそこに女性は1人としていなかったことを。だけど、今後を考えるのであればやるしかないのだ。


「…見たかった、かな」

 自分の守るべき街人はこれまでに色々と見てきている。だからあんな場でぐらいしか見ることのできなかった王を、王妃を、それから王子を一目見たかったというのがやはり本音だった。
 あわよくば彼らに謁見しその旨を伝えられたら…というところまで考えなかったこともない。実力なんて自分は拳一つで今まで生きてきた、武器なんて必要ないし彼らが実力を見せろというのであればその場で見せることなんて造作も無いことである。


(…その相手にちょうどあんな強そうな人がいた事だし)

 あんな人、見たことなかったけれど。
 夜と同じ黒髪に、白い肌。自警団の人間にしては少し心細い体型をしていたもののトンファーを振り落ろすその力はなかなかのものだった。勝てるかどうかと聞かれれば正直自信はない。しかしその強さもそうだったが美しい男であった。


『…君と、会いたかったんだ』

 まるで夜の事を知っているような口ぶり。周りに異性の友人なんていなかったし、もしもがあるのならばやはり父親の仕事仲間か、はたまた街で悪さをしている連中なのか。

 表立って有名になることこそなかったが夜の正義感は確実に父親から受け継いでいた。風紀を乱すようなことがあれば身の危険など顧みず動くところは父親似である自覚もある。彼女の姿が見えたら覚えのあるものは逃げろと言われるほどに街裏ではある意味夜は恐れられているのだ。もちろんそれは夜は知らないことだったのだが。

 しかし考えたところでもう会うことはないだろう。もっとも彼が夜の思った通り自警団の人間であり、夜がそこに所属することがあれば上司ということにもなるだろうがその時には姿だって違うし気がつくことはない。仮に彼がただの貴族であり一目見てあんな嘘をついたのだとするとそもそもの身分が違う。街ですれ違うことだって有り得ないのだから。
 またねと言われたことは確かに嬉しかった。踊っている最中は自分がまるで姫になったかのようなそんな感覚までなるほどで。だけど、だからこそ今が少し物悲しくなってしまったのだが夜にそんなしんみりとする時間は与えられていなかった。


「…一体、どうなってるの」

 そんな、色々な事を考えながら屋敷へと向かっていたというのに奇妙な現象に襲われていた。
 自分の敷地内にのみ何故か濃い霧に包まれてしまっていて、真っ直ぐ前に歩いていると言うのに気が付けばまた敷地内の入り口に戻されている。何度行っても、何度そこを通っても、屋敷がない方面に歩いていたとしてもある程度奥へと進むと入り口に帰っているのだ。
 しかも見たことのない凶悪そうな動物が次々と夜を狙ってやってくる有様で、常々小奇麗な格好をしている訳でもない夜の衣服は更にボロボロになっている。息も上がりっぱなしで垂れた汗をグイと拭う。

 非常に、厄介な敵であった。

 攻撃してくるようであれば自分の肉体は当然のように傷を負うというのに相手を殴るとさらさらと消え去っていく。圧倒的に不利なのは分かっているのにどうしようもない。一体もう何匹消したことか。体力はとっくに限界を越えているのだがこんな状態で座り込む訳にもいかないのだ。


「おやおや、僕の幻覚が次々に消されていると思えば」
「!」

 辺りは霧に包まれたままで時間がどれだけ経っているのか判断は出来ない。しかし目の前に突然男が現れた時に反応できたのは最早反射に近かった。
 そういえば昨日もこんな現れ方をしたっけ。ふらりとよろけた夜の肩を抱き、そのままいともたやすく横抱きにされたが抵抗する術も残ってはいなかった。


「…骸さんの幻覚だったの」
「ええ。靴を身につけておけばあれらは襲わないようにしていたのですが」
「脱ぎ捨てちゃった」
「クフフ、それは何ともキミらしい」

 ゆっくりと屋敷に向かって歩むその揺れと温もりにうとうととするのは仕方のないことなのかもしれない。それでも謂わばこの男は、骸のことは自分に親切にしてくれたとはいえほぼ知らない人である。目の前でそんな無防備なところを見せる訳にはいかない。疲労からの眠気と、薄れつつある緊張感が夜の中で葛藤状態にある。
 そんな夜の様子にすぐに気がついたのだろう、骸は「おや」と楽しげに目を細めたかと思うと顔を近付け額に口付け低い声で耳元で囁く。


「眠りなさい、夜。明日は少し忙しいですよ」
「……うん」

 どういう意味なのかさっぱりわからないけれど急激に眠りが襲いかかってきたのは確かのことで。
 素直に頷けた言葉も話せたかどうか危ういが、再度骸の顔を見ることなく深い眠りについたのであった。

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