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 夜が走り去ったのを見て、ようやく雲雀は落ち着きを取り戻し始めていた。少し浮かれていたのは否めない。やはり彼女だった。容貌があまりにも違うことで探されることはないのだろうと見越して彼女は自分との賭けに乗ったのだろうが大分と自分の方が有利であることは間違いなかった。
 何しろこちらは本当の彼女のことを知っているのだ。だけどもちろん彼女にはそれを知らせなかった。いきなり腕を伸ばし捕まえたところでするりするりと逃げてしまうことなんて分かりきっている。確実につかまえて、もう次は離さない。その為にきちんと言質は取った。
 彼女を見つけることができれば誘っていいのだと。

 雲雀の中で既に計画は練られていた。夜の前に姿を現し、手合わせをし、勝って…それから求婚するのだと。
 何を急にと言われるのかもしれない。戸惑われるかもしれない。だけどそう決めたのだ。彼女を今の状態で、あんな場所に住まわせ続け燻らせるだなんて勿体無いじゃないか。まだ自分の身分を伝えていなかったのだけが気になるけれど彼女の実力があれば自警団に入ることなんて寧ろ大歓迎の事であるし、家柄であれば申し分もない。兎にも角にも彼女を現状から脱せられるのであれば何だってするつもりだった。


「恭さん、楽しそうですね」
「まあね」

 やっとここまで来た。
 何だかんだと彼女の屋敷まで足を運ぶことは無かったのだが迎えにいくと、見つけに行くと約束したのだ。そのまま連れ帰るつもりであったので馬車に乗ってきたが本当は誰も連れてきたくはなかったし、昨日彼女が歩いて帰ったというように自分も歩いてきたかった。

 それでも一応体裁というものがある。
 親には今から意中の女性を迎えにいくことを告げてきたし二度とあんなパーティをしないと誓わせた。それほどまでに言うならばも彼らも喜んで連れてくるようにとこれらが用意されたのだが果たしてどうなることやら。
 昨夜呼んだ女性達は菫色のドレスを着た彼女を選んだと思っただろう。確かに彼女を選んだことには間違いない。しかしその彼女と夜では容貌が違うのだ。彼女が昨夜の女性である根拠を出せと言われるのが何よりも厄介な事案だった。


「昨日、そんな靴を履いて恭さんの攻撃を避けたんですね」
「うん、やっぱり夜は強いよ」

 雲雀の手元には昨夜彼女が脱ぎ捨てた靴がある。腹立たしいことにこれは調べたところ骸による有幻覚であった。
 宮廷術士であっても、これが目の前にあったとしても幻術とは思えない精巧さ。雲雀だって彼の力を目の前にしたことがなければ本物のガラスの靴だと思ってやまないだろう。
 しかしこれが、これこそが彼女が履いていたものであるとあの時の女性は全員知っている。骸の残したものが唯一の証であると何と複雑なことか。だけど彼女をこの手にしてしまえばこんな靴とすぐに放り投げてやるんだ。そういう気持ちで彼女の家へとただただ急ぐ。


「あ、雲雀さま!」
「…どうしたの」

 だけど、というべきなのかやはり、というべきなのか。あの男はやはり自分のことが嫌いらしい。かくいう自分もそうなのだ、別にだからといってそれがどうという訳ではないのだけれど。

 もう間もなく彼女の住まう屋敷へというところで1台の馬車が止まっていることに気付く。この場所の先には彼女の屋敷しかないことを知っていた。
 何事かと思いながら声をかけるとやはりその中にいたのは夜の血の繋がっていない家族3人である。全員が疲れたような顔をしていたものの雲雀を見るや否やポッと一様に頬を染め上げたが当然ながら雲雀が気にすることではない。ただ彼女達を見て違和感を感じたのはもうあのパーティを終えてから一夜が明けた昼であるというのに身にまとう衣服が未だドレスであったことだろうか。髪の毛や化粧は随分と時が経っている所為かボロボロになっている。…朝帰りという訳ではきっとあるまい。


「実はこの先に進むと濃い霧に包まれ家にたどり着かないのです」
「…霧?」
「ええ。まるで邪魔されているようですわ!私達が帰らないように仕向けているみたいですの」

 つまり彼女達は昨夜からずっとここで立ち往生という訳だ。よく追い剥ぎなどに引っかからなかったものだと悪運に半ば感動しながら、ふうんと恐らく屋敷があるであろう方向をじぃっと睨みつける。人工的ではないこの霧は十中八九あいつのものだろう。ではどうして。何故。
 これはきっと彼女たちを屋敷に帰すまいという意図も確かにあっただろうがそれ以上に考えられるのは恐らくやってくるだろう雲雀に対する罠のつもりか、はたまた自分と同様彼女を気に入ったのか。
 前者であれば今からすぐにでも解除し鼻を明かしてやろうという気にもなる。しかし、


「…絶対に渡さない」
「雲雀さま?」
「君たちは近くの街で休んでて。この先は僕が行くから」
「ですが」
「僕はこの霧の向こうに用があるからね」

 僕の大事な人が、そこにいるから。
 ――…とは流石に言うこともなかったがそのまま草壁に無言で命令を下し、夜の家族がこの場から離れさせるよう移動させる。ガラガラと大きな音を立てながら街へと向かっていくそれをしっかりと見届け、改めて真正面の霧を再度睨みつけた。

 
「遊んであげるよ」

 その声が聞こえたか否か。雲雀の声に反応したかのように霧が晴れ、全く見えなかった景色がゆっくりと広がっていく。その一番奥に見えるのは彼女の屋敷。そこにきっと彼女は居るのだろう。今頃どうしているのか。何も、なければ良いのだけれど。

 どうやらこの霧は雲雀の持つガラスの靴に反応し弱められているようであった。確か彼女は昨夜、歩いて帰ると言っていたっけ。ならば骸はこの靴を鍵に、彼女の家族が先に帰らないようにという配慮したのだろうか。あの男がそんなところまで気を回すとは到底思えなかったし、ならば今頃この靴は不要で、消えても可笑しくはなかったのだが…。

 ふと足元を見るとどうにも悪趣味なヘビ柄で作られた一本道が奥の屋敷に向かって伸びている。自分は招かれているらしい。それとも来れるものなら来てみろと言わんばかりの挑発されているのだろうか。
 どちらにせよそこに彼女がいるのであれば行かずにはいられない。取り戻し、城へ連れ帰るまでが自分の計画の一端であり始まりなのだから。やる事に何ら変わりはない。ただ少しだけ妨害が入っただけの事。だけど宝物を手に入れるのに少しの苦労は厭うことは、ない。


「全く、夜は変な男に好かれるみたいだね」

 そこに自分のことだって当然含んではいる。
 口元に笑みを貼り付け、雲雀はトンファーとガラスの靴のみを手にそのまま何の準備をすることもなく悠々と歩み始めるのであった。

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