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「君は趣味の悪い術士を知っているかい」
「ええ、その人のお陰で此処にこれたので」
「…たまには悪くないこともするんだね」

 くるくるくる、優雅な音楽と共に華麗で軽快なステップを踏みながら大広間の中央に夜は目の前の男と共に躍り出ていた。話しぶりからするとどうにもこの男と骸とは知り合いではあるらしいが仲はあまり宜しくなさそうだ。

 しかしこの男、一体何者なのだろうか。
 最初はこの男が王子かとも思ったのだ。しかしこんな見ず知らずの女に対してトンファーを容赦なく振るう凶暴な王が居てたまるものか。
 恐らく自警団の人間なのだろう。父親が働いていた時代の人間達であれば多少顔も知っていたがこの男もまだ若い。入りたてといったところなのだろう。しかし、…十分に強い。父親こそ最強であると思っていたがこれはもしかすると…なんて考えたがもう故人とは比べようがないのだ。
 そんな事を思われているだなんて男は気付く訳もない。へえ、と楽しげに口元を歪め夜の事をジッと見下ろしている。


「踊り、上手いね」
「あなたのリードのおかげ。私はこんな事より拳を振るう方が得意なの」
「それは興味あるな。出来れば君とはこんなところより違う場所で手を合わせたいものだ」
「大歓迎よ」

 王子に会うことはなくてもこうやって変わった人間に逢えたのであれば良い収穫だった。
 どちらにせよ先ほど髑髏の馬車から降りた時に初めて自分の今の姿を見たけれど誰かわからぬ容姿をしているのだ、今日の自分は自分ではないと考えた方が分かりやすいだろう。今日の縁は明日には続かない。そう分かっているからこそ気分は随分と楽である。
 これはきっと、骸の心遣いなのだろうと夜は思っていた。何しろここには自分の母親と姉妹がいるのだ。ここまで違っていればきっとまさか夜であるだなんて分からないに違いない。
 
 ふ、と周りを見るといつの間にか自分達の他に踊っている者がいなくなっている。周りが羨ましげに此方を見ているが分からないでもない。
 確かに美しい男だ。なのに自分にダンスを申し込むなんてきっと何かの間違いか、彼も興味本位か。変わらずステップを踏みながら彼の姿をまじまじと見るとその視線に気がついたのか「何?」と小首をかしげる有様。成程、これが計算ではないとなると厄介に違いない。


「あなた、人気なのね」
「そうでもないよ。君の事を見てるんじゃない」
「まさか」

 音楽が鳴り止み、中央広間にて軽く礼をする。やはり彼は人気者であった。
 そのまま次は自分と踊って欲しいと美しい女性がやってきたもので夜は静かにその場を譲り、周りからの温かい拍手を受けながら静かに彼から離れ、ドリンクを受け取ってからバルコニーへと1人で向かう。


「…ふう」

 僅かに息があがっていたが暫くすれば元に戻るだろう。
 こういう身体の使い方にはてんで慣れてはいない所為で若干疲れてはいたがそれでも楽しんだことには代わりない。
 火照った身体に夜風が気持ちよかった。これで王子や次期王妃になるであろう女性を人目見ることが出来れば申し分はなかったのだがこればかりは文句だって言えやしない。

 否、寧ろ文句を言えば罰が当たるだろうと思えるほどに楽しんだのだ。
 こんな日が毎日続けばいいのにとまでは流石に願うこともなかったけれどとにもかくにも、またこれで明日からも頑張ろうという気分転換にはなった。


「君、意外と薄情なんだね」
「何のことやら」
「僕を置いていくなんてさ」

 首元のボタンを一つ外しながら男は後ろからやってきた。涼し気な表情とは裏腹に少しだけ汗ばんでいるのは自分の後から女性と数曲踊ったからだろう。
 ごくごく自然な流れで一口つけただけのドリンクの入っているグラスをかざすと男はモノの数秒グラスと、それから夜の顔をじぃっと見た。当然下心なんてものはなく、他意だってない。ああこれはもしかしてはしたない行動だったかしらと思ったのも一瞬のことで「いただくよ」と受け取り、ごくりと喉を鳴らし一口。それが何だったのか聞かずにいたけれどソフトドリンクだ、問題はないだろう。
 案の定、というべきか男はそれを飲んでから眉根を潜めた。一体何を飲んでしまったのだろうとでも考えているのだろうか。


「…ジュース」
「ええ、これが終われば歩いて帰るの。酔って帰れないからね」
「送ろうか?」
「大丈夫よ、ありがとう」

 薄情たるものは骸の称号だ。
 まさか帰りは勝手に帰ってこいだなんて言われるとは思ってもみなかったのだ。城からどれだけ離れていると思っているのか。
 幸いと言うべきか、夜は体を動かすのは何ら苦ではなかった。問題は家族達よりも早く帰って家の用事を済ましてしまわなければならないぐらいで。

 だけど、「そう」と答えた男は明らかにむくれていた。もしかしなくても、これは…気に入ってくれたのだろうか。”そういう”お誘いだったのかもしれない。これもまた骸に施された魔法…否、幻術のお陰か。
 まだ半分ほど残ってあるグラスを戻され受け取ろうとした時、その温かい手に触れる。す、と触れた指先。思わず引っ込めようとしたもののそのまま夜の手は男の大きな手にすっぽりと覆うように包まれてしまった。


「…君と、会いたかったんだ」

 青灰色の瞳は決して冗談を言っている訳ではなかった。そして夜は…ほんの少しだけ彼を見たことあるような思いに囚われる。
 …この、黒髪の男の子を何処かで。
 だけどもしもその関わり合いがあったとしても間違いなく父親が再婚してからは外の世界なんて殆ど出ることもない。ナミモリの街の何処かですれ違ったのか、はたまたやはり最初に思った通り自警団の人間であっているのか。

 だからといって、この場でその話を口にすることは流石に憚れる。
 今は骸によって姿形を変え、謂わばお忍び状態なのだ。これがバレてしまうと後々あの母親たちが煩いことだって目に見えてわかる。


「あら、でも私はもう会えないの」
「2度と?」
「そうよ。あなたはきっと、私を見つけられないから」
「…じゃあ、見つけたらまた誘っていいかい?」

 今一度、男の姿を確認するように夜も見返した。記憶を辿ってもやはりこれといった確かなものが浮かんでくることはない。だけど、…やはり、懐かしいような、そうでないような。
 「いいわ」そう返したのは果たして彼に見つけられないと思ったからだろうか。

 そうだ、きっとバレやしない。今の姿なんて本当の夜からは考えられやしない。
 衣服どころか、色彩だってわずかに違う。骸の髪色に変えられたが本来はこの男と同様真っ黒だし髪の毛は動きやすいようにと短く整えている。肌だって今でこそとても白かったが本来の夜は外に出歩き、仕事をこなす為に働く手をしていたし健康的に焼けている。何もかも違っている。今は彼にとって魅力的であっても普段の自分なんて見つけられないに違いない。
 

「あなたが私を見つけられたら、今度は手合わせをしましょう。楽しみに待っているわ、トンファー使いさん」
「…名前を聞いたらズルいかい?」
「ええ、だから教えない」

 それは奇妙で、不思議な勝負の約束。
 くすくすと笑いあい、男が夜の手を握ったまま口元へと持っていく。あ、と思った時には遅く夜の手の甲に男の唇が触れていた。
 わざとらしくムッと頬を膨らませてみるけれどそれは男に何の意思表示も与えられていなかったらしい。男は更に、目を細め笑う。


「すぐに迎えに行くよ、菫色のキミをね」
「ええ、お待ちしております」

 0時を告げる音が鳴ったのはその時だった。
 ゴオン、ゴオンと既に二度目、男と話しているうちにいつの間にやら随分と時間が経ってしまっていたらしい。

 もうこんな時間か、と呟いたのは男の方。夜はハッと周りを見渡し己の身体能力を鑑みる。タイムリミットはこの鐘があと10回鳴り終えるまで。となればこの場所を考えるとフロアへ出て階段を降りるまでに幻術は解けてしまうに違いない。
 
 …仕方ない。

 そう思ったのは一瞬のこと。どう見ても良い雰囲気であった男性の前でこんなみっともない姿を見せるのも申し訳なかったけれどきっと恐らくもう会えないだろう。であるならば幻滅されてしまった方がこちらとしても気分は楽だ。構いやしない。


「魔法が解ける前にお暇します」
「…ワオ」

 ガラスの靴だけは歩く為に必要だろうと解けないようにしてくれていたのだけれど、今からする行動にそれは非常に邪魔だった。
 軽やかに手すりの上へ乗り上げ無造作にガラスの靴を脱ぎ捨てる。…ドレスの下には歩きやすいようにと普段使いの靴を用意してあった。実用性のないモノに、今は用無しなのだから。突然の行動に男は驚いたようだがそれを引き止める様子がないのが唯一の救いか。


「ふふ、ではさようなら」

 6度目の鐘、手すりの上という何とも不安定な場所から男に向かってドレスの裾をつまみ小さく礼をする。この後何をするかなんて誰しもが分かるだろう。「またね」と男が返したのをしっかりと聞き、にっこりと微笑みかえすと夜は躊躇することなく2階から身を投げたのであった。
 その後一度も城を振り返ることなく幻術の解けてしまった後も走り続け、ようやく街中、人気のない場所で一旦乱れた呼吸を落ち着かせると軽やかな足取りで住み慣れた屋敷へと戻っていく。一夜の夢をどうもありがとう、そう楽しげに、それでいて少しだけ悲しげに心の中で呟きながら。


「…流石、キミは何も変わってないね」

 そう男が呟いた声は、もちろん聞こえてはいなかった。

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