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「……どなたかは存じ上げませんがここは私の屋敷です。お帰りください」

 嗚呼どうして何もかもうまく進まない。すべてはあの男のせいだ。あのタチの悪い、趣味の悪い男のせいだ。何もかも振り回され、乱されていく。この場合あの男の安い挑発に乗ってしまった自分にも勿論非があるのは分かっているのだがそれすらもムカついてならない。
 あと何発か殴らないと気が済まないのに、だけどそんな自分の行動を止めようとしているのが夜であるなんて何て笑わせてくれる。これこそ幻術であってほしいと願わんばかりだった。

 しかしながら先程まで雲雀を痛めつけていた動物や趣味の悪いよくわからぬ生き物こそ幻ではあったが彼女は紛うことなき本物であることも分かっている。睨みつけ、武器を出し脅しても一切怯えることもなくその視線を返す夜は本物であり、そして雲雀が何よりも欲している存在でもあった。

 これは一体何の悪夢だ。あの男はどこまで自分を引っ掻き回せば気が済むのだ。
 骸に対する殺意は消えようもない。しかし、だからといって彼女に危害を加えるつもりもない。そもそも此処にやって来たのは夜を迎えに来たからだ。分かっている。分かっているつもりだった。本当ならば怒りを此処で抑え本題に入るべきなのだろうが、簡単にこの昂りと殺意を引っ込め切り替えられるほど雲雀も器用ではない。


「そこにいる男を出しなよ」
「いいえ。お引き取り下さい」
 
 辺りを見渡し、骸の姿が見当たらないのを確認すると恐らく彼はその夜の向こう、建物の中にいるのだろう。
 恐らく彼の性格だ、自分から逃げたとは到底思えやしない。そしてその扉を隠すように、誰にも開けられるまいとそこに夜が立ちはだかっているということは即ち、彼女が匿ったのだ。彼女の意志で。雲雀から、あの男を守るつもりで。


「そう、君、……その男を庇うんだ」

 彼女には自分がどう見えているのだろう。横暴且つ武器を平気で投げつける危険人物で不法侵入。敵とみなすには十分すぎるほどの要素をフルコンプリートしているに違いない。
 その目からは自分が昨夜のパーティで共に踊った相手だと気付いているのか居ないのかは判断はできなかった。昨夜の彼女にとって自分は口説こうとした男である。しかし今顔色一つ変えずこちらを睨みつけるその形相はあの菫色のドレスを身に纏ったあの彼女とは別人かとさえ思ったがそんなはずはないと一蹴する。あれは絶対に彼女だった。不幸にも骸に気に入られた、彼女であるはずだった。
 あんな気ままで力強い女がそう他に居てたまるものか。

 さっきのトンファーを投げつけた時もまさかあんな形で打ち返されるとは思ってはいなかった。辺りに響いた小気味のいい金属質の音に霧の向こうで雲雀も驚いたものだった。自分も大概ではあったが彼を大分弱らせたつもりだった。そんな状態で彼が雲雀の全力で投げ飛ばしたそれを弾くほどの力を持っていたとは思えない。
 ならば彼女だ。骸の三叉槍を用いて自分のトンファーを弾いたのは夜なのだ。間違い、そんな芸当ができる女がナミモリに2人といるはずはない。

 さすがは最強と呼ばれた自警団の一人娘と言ったところか。本当に惜しい人物を喪ったのだと改めて思わざるを得ない。
 自警団とは王族が母体となり抱え込んでいる戦闘集団である。乱れぬ風紀を、秩序を乱すものは誰であっても許さぬと武器の所持を認め、平穏を脅かす武力を武力で以て打ち負かしてきた。前代は夜の父親がそれを務め、今は草壁がそこを埋めてはいるのだが彼に指示を与えたり裏から手引きし動いたりと現段階においてトップに立つのは何を隠そう雲雀自身であった。
 いわば彼に全ての主導権がある。彼女もその自警団に入りたがっていることを草壁づてに知っている雲雀はそれも一つの取引材料として考えなくもなかった。それをチラつかすのも手ではあったのだがそんなことをした所で彼女の決意は変わるまい。彼女の中の正義がそんなもので揺らぐとは到底思えないし何より卑怯だと思われるのが1番耐えられなかったのだ。


「退いて」
「いやです」

 頑固なところもまた、親に似ている。
 雲雀は彼女の父親のことを少しだけ知っていた。もちろん当時は雲雀だって幼かったものでやんちゃ盛りだった時に話した程度ではあったがまさか彼が亡くなった後にその遺志を継ぐ彼女と出会うとは思ってもいなかったのである。あの時は子供ながらに強く、そして心優しい自慢の娘が居ると親ばかっぷりを披露されていたものだが、確かに彼の子供だった。

 むすくれてしまうのも焦りを感じてしまったのも仕方のないことなのかもしれない。
 こんなやり取りをしている間にも骸は力を温存させ、こちらに攻撃してくるかわからない。アレはそういう男だ。いざとなればその扉越しに三叉槍を突き刺し夜ごと自分を屠ろうとするような男なのだ。

 なぜ騙されている事に気が付かない。
 何故そこまでしてあいつを庇う。

 苛立ちは募るが、その反面彼女とようやく会えたことに少しずつ違うところで落ち着きつつある自分の心が一番厄介だった。

 やっと会えたと思ったのに。やっと、本当の君と話せたと思っているのに。
 しかし平穏に彼女を連れていくには、彼女の手を掴むにはあの男が邪魔なのだ。
 こつり、と靴音を鳴らし夜に更に近付いた。もはや彼女にも逃げ場はない。否、そもそも逃げるつもりは毛頭なかっただろう。ぐっと唇を噛み締め、彼女は怯むことなく雲雀の事を、雲雀の言動を見逃すまいと見返し続けていた。

 何と危険で、危なっかしい子だろう。この距離だ、無知な小娘ではない限り何をされたっておかしくはないなんて分かっていても可笑しくはないというのに。例えばその首筋に噛みつかれようとも、その柔らかそうな唇を食もうとも。それでも一歩も引かずこちらを睨みつけるその様は。
 正義感も強く、その何事にもまっすぐな君は本当にいつまでも変わらない。

 ……やっぱり、僕は君が欲しい。


「……夜」

 最終的にそこに至る自分を情けないとは思わなかった。
 とにかく今の状態、彼女が何も幻覚や憑依をされていないこと、何も傷を負っていないこと。それだけが分かり随分と気が抜けたところもある。結局骸への怒りだって大半がいつもの煩わしさと、それから彼女に近付いた嫉妬も含まれていたことなんて分かりきったことで。思わず彼女の名前を呼んでしまったがそれはどうか聞こえていませんようにと願うばかりだ。

 近寄りかかる吐息、触れた頬の柔らかさ。この先に自分を進めさせるまいという意志はありありと見られたが雲雀の言動の意図が読めなかったのかギクリと身体をこわばらせたものの何も拒絶は見られない。もしかすると驚いて行動が取れなかったというだけなのかもしれないけれど今はそれで、それだけで、十分だ。


「!」

 よろめきながらもぽすん、とその華奢な肩に自分の頭を乗せた。
 それが雲雀の最後の記憶。彼女が何事かと声を出す前にカクリと完全に意識を失い夜に体重をかけて倒れてしまったのである。

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