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 起きなきゃ遅刻するなんてことは分かっている。分かってはいるものの身体が動かない。そよそよと顔を撫ぜるのは優しい風、心地良い太陽の光。いやしかし何だか寒い…ような気もしないでもない。布団蹴っ飛ばしたっけなと思いながら手を伸ばすもやはり近くにはないようで。


「…んん?」

 そういえば誰も起こしに来ないのも珍しい。
 体内時計ではそろそろ朝餉の時間だと告げているというのにとうとう食いしん坊キャラにでもなってしまったのか。
 睡眠よりも食欲の方が優先度は高い。厨に近い自室であればそろそろ誰かが作っているいい匂いが篭ってくるというのにそれすら感じられることもない。

 それならそれでやるべき事はある。今日は久しぶりにご飯作りでも手伝ってみようか。きっと皆びっくりするだろうな。天変地異だなんて祈祷すら始めてしまうかもしれない。
 そんな事を考えながらそろりと目を開くといつもは無いはずの光景に身体が硬直することになる。

 きゅるりとした真ん丸な黒目がそこにあった。


「…ええと、」

 何だっけこれ。誰だっけこれ。
 起きたての頭がまだそれすら判断することすら出来ず。どなた様でしたっけ。そうやって聞いてみようと口を開いたその時だった。
 ベロリと顔を一舐め。
 ちょっとトゲトゲしたというレベルじゃない。何だかヒリヒリする。特に鼻。大して高くもない鼻だけど集中攻撃を食らったらしい。

 ベロリ、ベロリ。

 声も出ないその状態のまま硬直していると目の前にいた子が何度もその行動を繰り返していく。
 ええと、こういう時どうしていいんだっけ。
 何したらいいんだっけ。
 いや今は何か考えている場合じゃない。とりあえずと訳の分からないままに口を開く。そして、


「ギャアアーーーッ!!!!」

 痛みと驚きと何かと。取り敢えず絶叫、それに尽きた。


「主!どうしたの!?」
「敵襲ですか!?」
「み、みった、は、しぇ、!」
「大丈夫、大丈夫だから日本語喋ろう」

 私の声は意外と大声量だったらしい。
 乙女ともあろう者がはしたないと言われるかもしれないがこの驚きたるや計り知れない。
 お玉を持ったまま私の部屋へと駆け込んできてくれた光忠にしがみつきながら長谷部が刀を持って私達の前に出る。

 連携プレイとは素晴らしい。
 あわあわとしている私に「大丈夫だよ」と優しい光忠、何だ何だと後ろからぞろぞろと早起きした子達が顔を覗かせている。
 「主」私の前に立つ長谷部が不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。何?今の犯人分かった?私の顔べろんべろんに舐めた犯人、分かった?


「あっこら!」

 長谷部の手からすり抜け私の膝の上に乗ったそれこそが私の奇声を発することになった原因だった。
 しかし彼はまったくもってそんな事を自覚していないに違いない。
 クアアと大きなあくびをひとつしたかと思うと私の膝の上で丸まってすやすやと眠ってしまったではないか。

 …ネコ。

 いや違う。虎、か。
 そうか確かネコ科の動物の舌ってザラついているとか何とか聞いたことがあったな。まさか顔を舐められるなんて思ってもみなかったけど。

 若干ヒリヒリする顔を撫でながらさてどうしたものかと思っていると私の前にひょっこりともう一匹。「虎くん!」なんて可愛らしい声が聞こえ部屋に入って来たのは五虎退だった。
 なるほど、見たこともない子だと思っていたけど先日顕現した彼のお友達だったらしい。恐る恐ると言った風に私の方を見ているのは怒られるかどうか不安だったのかもしれない。しゅんとしたその様子にまさか怒鳴るなんて事、出来るはずがなかった。


「あるじさま、ごめんなさい」
「大丈夫、起きて目の前に居たからびっくりしただけだよ」

 寝ているところ申し訳ないけど私の膝でぐうすか眠っている虎の子を抱え五虎退に渡すと嬉しそうに彼は受け取った。
 うん、笑っている顔の方がやっぱり可愛いねえ短刀たちは。後ろから「僕達が呼ばれた意味って」って言ってる光忠もホントごめん。でも助かったから許しておくれ。


「では君も起きたことだし皆で朝餉にしようか」
「えっ」
「わーい!あるじさまいきましょう!」
「え、私まだ眠た「主、今日は今剣が手伝ったそうです」……仕方ないなあ、行くか」

 そういえば皆で朝餉だなんていつぶりだっただろうか。
 人数もメンバーももちろん把握はしているけれどどんな感じで皆座って食事をしているのだろう。
 まあいいか、細かい事は後回しだ。
 ふああと虎にも負けない大きなあくびをひとつ、夜中までやっていた報告書をきちんと保存していることを確認すると迎えに来た皆に囲まれながら部屋を出る。


 審神者業務に就いて間もなく半年が経とうとしていた。
 やれ日課、月課、継続せよ、報告せよ、拡充せよ、向上せよ。訳の分からない仕事が山積みになり酷い有様だったけれどそれなりにやってきたのは審神者になるまでに培ってきたスキルだと私は思っている。

 ――審神者になる前?

 普通の事務職ですよ私は。
 毎日毎日嫌いな上司ににこにこ笑顔を浮かべながら内心中指突き立てたり、お局様に『若いってだけで武器よねえ』なんて嫌味を言われながらお茶を出したりね。それ以外にも電話応対、パソコン業務、打ち込み、エトセトラエトセトラ。

 自分が特別な人間ではないなんてことは少女漫画を卒業した学生時代のあの頃に悟った。
 勉強では順位をつけられ、就職活動は戦だと思えと身を以て習い。
 それとなく自分を偽って売り込んで就職してようやく自分の人生も落ち着いたルートが見えてきたと思ったその時に突然私に声をかけたのが政府だった。

 細々とした書類を渡されたけれどあまり目を通していない。
 結局それが何たるかなんて分からず、ただ信頼のおける職場が私を引き抜きたいというお達し。
 先日の健康診断の中に知らず知らず組み込まれた適正審査に見事私が引っかかったらしい。給料も格段によくなればこの環境からもおさらばできる。
 しかも引き継ぎ業務もなく、それでも退職金はしっかり即日にこの職場が肩代わりして支払ってくれるともなれば何てホワイトな職場なんだ!と自分の幸運さに踊っていたものだけど今となっては安易すぎる判断だったんだろうなとも思うわけさ。
 結論から言えば確かに給料はよくなった。求めていた静かな職場、住居。そうともさ、誰も居なかったのだから。


「…それを考えたら人も増えたねえ」
「主ーこっちこっち!」
「はいはい」

 加州に呼ばれお誕生日席へ。初期刀である彼と初めてご飯を食べた時は1方面1人しか座れないような小さな座卓だったというのにいつの間にか誰かが買ってくれたのか作ってくれたのか随分とアップグレードされていた。

 何しろ一番遠い子は本当に遠い。
 どんな順番なのかさっぱりわからなかったけれど周りが短刀の子たちで集められていてそれはそれはもう可愛らしい幼稚園児。
 まるで私が先生にでもなった気分で「主君、米粒が」……私が園児か。指摘されたとおりの場所についていた米粒を咀嚼しながら改めて周りを見る。この本丸に誰が居るのかはもちろん知ってはいるけれど実際座っているのを見るといつの間にこんなに居たんだろうなあと思うわけで。

 私がそんな事思っていることなんて知ってか知らずか皆が皆自由行動だった。
 真ん中にどどんと置かれた大盛りのオカズめがけて皆が箸を伸ばしている。私はというと審神者待遇というわけで光忠からあらかじめ取り分けられているのをもぐもぐと食べ。
 長谷部は長谷部で当番の説明をしているし、あーあこれ誰も聞いちゃいないよ。食事後にやるべきだったね。ご愁傷様です。
(きっとこれが通常運営)
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