はやく気付いてくれればいいのに


「じゃあ日辻くん、お大事にね」
「ミョウジさんもいつもごめんね。…君ばかりに迷惑かけて申し訳ないと思ってる」
「いいんだよ、あの悪夢は去ったから」

 今日で何度目のお見舞だっただろうか。だけどあの時に比べれば随分と元気になったし、顔もマシになった。こつん、こつんと階段を降りながら私はそんな事を思って黒曜病院を出る。見上げれば青い空、元気よく鳴いている鳥が悠々と飛んでいる。病室の辛気臭さとは一転、私は身体に残るモヤつきを吐き出し、それからゆっくりと歩きだした。


 生徒会長である日辻くんが何故あんな目に合ったのかというのは、私も正直よく覚えていなかった。
 あれは悪夢だった。あれは、良くない夢だった。
 そう思ってしまって忘れた方が自分達の為になるのは分かっていた。
 生徒会副会長、それが私の立ち位置。とは言ってもほとんど名前だけの状態で、実質仕事らしいことはしたことがなかった。誰も立候補をしないから取り敢えずやってみたなんてそんなレベル。結局そこに入ったことを私は非常に後悔している、そんなところだ。

 黒曜中学は昔は進学校だった。
 そこに通っているというだけで十分に誇らしいことだったみたいだけど今となっては退廃も退廃、治安は悪く喧嘩の絶えない目も当てられない有様となっている。そこの生徒会長が日辻くん、副会長に私。
 だけど性格的に相まみえることもなく私と日辻くんの意見は折り合うこともなく彼と一緒に行動した記憶はほぼ無かった。日辻くんは前を見過ぎだったのだ。きらきらと、輝きすぎていたのだ。正直彼一人がどう頑張ったところで何も出来やしないと思っていた。
 寧ろ目立つことで不良に目をつけられる方が危険だと私だって何度も説いたのに「それじゃ意味がない」とバッサリ切り捨てられてしまってじゃあ勝手にしなさいと言ったっきり。
 気が付けば日辻くんは変わってしまっていた。輝きは失われてしまった。私が病室のドアを開くといつもビクりと身体を震わせ、そして私だと知るとホッと安堵する。彼は誰かの影に怯えている。決して名前を出すことはなかったけど何となくそれも、分かっていた。

 彼の怪我は全治5ヶ月。遅いのか早いのかは私は専門家じゃないからよくわからないけど瀕死状態で見つかったあの時を考えれば人間の治癒能力ってすごいなとかそんな事を考えてしまうわけ。

「おや、早いお戻りで」
「いつもの様子見だからね、そんなに長居もしないよ」
「そうですか」

 黒曜中学へと戻ると職員室へ行き、日辻くんの現状を報告する。いつもご苦労さんと何の感情も込められていない感謝を受け、それから「何であんなことになったんだろうなあ」と先生も首を傾げながらしみじみと呟いた。もちろんそれは私に向けられた言葉じゃない。
 誰が被害者で誰が加害者か。
 先生から見れば日辻くんこそ加害者で、その他不良は加害者であり被害者。不良に対し暴力を振るった日辻くんは高校推薦も取り消され、中学は一応このまま恐らくは卒業まで入院しっぱなしか完治次第引っ越すのかと密やかに噂されていた。そうなるように仕向けられたのが誰であるのか、皆は知らない。

 生徒会室に向かえば既に一人、そこに座っていた。いや寧ろ今となってはここには書記も会計も集まることはなくなっていたからこれで予定人数という訳だけど。さらさらの長めの髪、セットしてあるのか寝癖なのか分からないけど個性的な髪型。ドアを開ければ赤と青の目が私を迎え入れ、おかえりなさいとにこやかに笑みを浮かべる。

「樺根くん」
「…君には名前を教えたでしょう」

 彼は樺根くんという。
 日辻くんの後についた、生徒会長代理。突然どこからか降って湧いたかのように現れ就任したと言うのに誰も文句を言うこともなく、それから静かに平穏に過ごしたいという私の意向に賛同してくれた彼と現在は2人っきりだ。
 この違和感に誰も気づかない。きっと日辻くんが戻ってくるまでこれはずっと続くのだろう。ふ、と私の隣に彼が座る。品行方正、勉強も出来る彼は黒曜中の女性からキャーキャーと持て囃されるようなそんな存在だった。そんな彼が楽しげにこちらを見てくるものだから普通一般の女子生徒であれば赤面も免れない状態なのだろう。
 残念ながら、私はその一般枠に入らないらしいけれど。

「六道くん、近いよ」
「おや残念」

 彼こそが六道骸であるとどうして誰も気が付かないのか。不思議な力を持っているということは何となく聞いたことがあったけどそれの影響なのかもしれない。
 15歳とは思えない色気を持った彼はクフフ、と笑いながら立ち上がる。この秘密を知っているのは今のところ私だけ、ということで彼はこうやってこの生徒会室ではその名前を呼ぶことをそれとなく禁じてきた。日辻くんが帰ってきたら卒倒モノだろうなあと机に肘をついて私は本日2度目のため息をつく。

 日辻くんの人生を地の底に堕とした六道骸という人間こそ樺根くんである。そんな情報を私は何故か本人によって告げられた。もしかすると日辻くんと2人きりの生徒会だったし元々何か聞いていたのかと踏んでいたのかもしれない。ところがどっこい、私は何も聞いてはいなかった。気がついたら始まっていて、気がついたら終わっていたというそんな状態。
 結局私はそれを聞いたところで動かなかった。
 …いや、動けなかったというべきか。人と喧嘩をしたこともなければ自分の意見を押し通すために口論をしたこともあまりない。ふうん、あ、そうなんですか。それで、私はどうしたら良いんでしょう。逆に聞いてみれば六道くんは笑ってそのままでいいですよと返され、それっきりだ。
 怖いと聞かれれば怖いような気がする。だけど――…正直あまり暴力といった不穏な言葉とは無縁そうな感じがしたしちょっと不思議な同級生。私が持っているのはそんな印象で終わっている。

「あ、ちょっと待って六道くん怪我してるよ。手出して」
「…君は本当に、変わった子だ」
「褒められてるのかわからないけど、どうもありがとう」

 六道くんの大きな、骨ばった手。大きな切り傷は、だけどこれは喧嘩の傷だろうか。
 顔もだけど綺麗な手なんだし勿体ないなあ。絆創膏を貼りながらそんな事を思い、それから六道くんはキョトンとした後やっぱりクフフと笑った。この笑い声は聞き慣れたし、困ったことに私は最近彼のこの笑みがどうにも落ち着くと思っているのでそれが一番の問題なのだろう。日辻くんにはきっと報告のできない秘密ひとつ抱えながら黒曜中の放課後はゆっくりと過ぎていく。



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