アイオライト


「その娘を返してもらおう」
「返す?君は面白いことを言うねえ」

 話しかけながら相手との間合いを取る。
 敵は強烈な殺意を持った目前の二人。後ろにちらほらと人の気配も感じられるがそれほど問題ではないだろう。警戒すべきはユウではなく男…コンラードの方だ。

 男の事は知っていた。
 骸が生まれてくる少し前にエストラーネオファミリーに所属していた数名の研究者を唆しデータを盗ませた後に行方をくらませたという術士であり、研究者。彼自身の所属していたファミリーこそ知られてはいないがそれは骸達が実験体にされている時にその失態話はエストラーネオの恥として聞かされていたので記憶にはあった。
 厄介な男だ。決して力が強い訳では無いが頭のきれる男だ。そしてそういう男の方がタチが悪い。

 男を視界に入れながら隣にいるユウをちらりと見る。彼女の瞳からはまるで生気が見当たらない。けれど、ねえユウと同意を求めるようにコンラードが声をかけると、こくりと大きく頷きユウは男を嬉しそうに見る。

「はい、お父さん」

 彼女の肉声を聞くのは数日振りだったがいつもの声とは違う気がする。恐らく彼女は今、ユウであってユウではない。そう考えた方が分かりやすいだろう。彼女の意識は今抑えこまえられている。
 己がエストラーネオファミリーに居た時も似たような実験が行われていたことが否応無く思い出させられた。研究者という人種は何処の機関に所属していたとしても気に入らない。ぎりりと睨みつける骸の様子が気に入ったのかコンラードは彼女に向けた笑みと同じ種類のものをこちらにも向けた。

「改めて紹介しよう」

 成功品なんだ、この子は。
 そういって嬉しそうに微笑むコンラードは骸がかつて見せられた写真の、記憶の通りの彼で間違いなかった。

「今じゃ戦闘機もロボットも蔓延るこの世の中だけど、人間でどこまでできるかを試したかったのは君のところのファミリーと一緒さ。まあこっちは君達のところとは違い、君の目のような素材には恵まれなかったけど、実験体は沢山あったから結構数はこなしたんだ。結果、力無き我々は劇薬を作ったというわけでね」

 Morte frettolosaのような。
 鎮痛剤や麻薬に似た成分含有量が異常なそれ。しかしその強すぎる薬は一時的に人間の身体能力のリミッターを外す代わりに、早い段階で人体に影響をきたす。そして一度飲むと余程相性のいいものか、屈強な人間でなければ元には戻れず廃人と化し、やがて筋肉が活動を停止する。
 まさに慌ただしい死。死ぬための薬。

「でもね、僕は彼らと違い被検体もそれなりに愛していたんだ。一回の戦闘で命を落とすのは勿体無いし、今でこそ適当に実験体は沢山あるけど尽きてしまったら元も子もないし。だからさ、何度も使えるようなそんな化物が出来上がったら面白いじゃないかって。
それから僕はファミリーを抜けてね。で、考えついたんだ。生まれた時から微量ずつ投与していけば1回きりの戦闘ロボットにならないんじゃないかって」
「…狂っている」
「研究者は皆、狂ってるよ。君のところと同じだね」

 骸に対して同情を含んでいるその言葉はひどく不快だった。
 まるで自分は何も悪くないという言い方が。そして、その実験に目の前の少女が使われていたという予想が当たっていたということが。

「君には是非この子と会わせたかったんだ」

 嬉しそうな笑みを浮かべる彼に釣られるようにしてユウも歪に微笑む。
 精神支配に近いのだろうか。彼の感情と随分と同調している。攻撃をすれば彼女も痛みを感じてしまうかもしれない。つくづくこの男のやり方は卑劣だ。

「君がこの子を気に入ってくれるのならば彼女をあげよう。交配したら最強の子供が生まれるかもしれないし。彼女の相手は僕でもよかったんだけど、エストラーネオの成功品が目の前にあって使わない手はなかったからね。」
「…もう一度言う」

 これ以上の話は無駄だ。
 三叉槍を構えて男を睨みながら突きつけた。彼女を愚弄することも汚すことも許さない。

「彼女を返してもらおう」

 対して男は呆れたように笑う。

「ユウ、遊んであげなさい」
「はい、お父さん」

 一歩前に進む彼女の右手に突然ナイフが現れ瞠目した。
 ああ君は知らなかったのかい。くつくつとコンラードは笑う。

「彼女は幻術も使えるんだよ。有幻覚で小物ぐらいなら実体化も可能なんだ。もちろん、君みたいな優秀な術士には敵わないけどね。でも今の状態のこの子は僕のいう事しか聞かないし、君は逆にこっちのほうが苦手かもしれないねえ」

 さあ、始めようか瞳の子。
 その言葉を皮切りに、ユウはナイフを構え低く姿勢を保つと地を蹴った。

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