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「ユウの家の鍵を渡された。君に、渡すようにと」

 とある教室に、日辻と骸はいた。
 ここは普段から人払いをしてあり今となっては骸と犬、千種の3人以外寄り付くことはなかった。この黒曜中学を支配しようとやって来た当初はランチアが骸の代わりとなり、己は少し”人間”を楽しむべく生贄へと選んだ日辻に幻術をかけ彼の心を利用し遊んでいたのも随分昔に感じる。
 全てを奪っていった骸をこの目の前にいる日辻は許せないだろう。それでいて、恐怖しているだろうに果敢にも一人でやってきたその勇気だけは認めざるを得ない。
まさかユウが彼と旧友だとは思っては居なかったが。

 真面目に話した彼の言葉の内容に骸は薄く笑う。

「…何を。彼女はまだイタリアに」
「イタリア?!いや、…そんなわけは」

 そして日辻は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。それは彼女の、そして自分にとって懐かしい例の屋敷。間違いなく撮影者はユウだろう。
 ではこれをどうやって。訝しげに日辻を見る。

「これは?」
「…5年前、旅行で家族旅行で海外に行ったユウに僕が彼女に頼んだ土産品だ。今朝ポストに入っていたんだ」

 だからユウは今イタリアに居る訳がないのだと言外に告げる。
 わざわざ朝から日辻の家のポストに入れる人間が他にいる訳がないのだから。

「彼女の家に行ったら知らない男が僕にこの鍵を渡したんだ。瞳の子に渡してくれと。それで伝わるといわれたんだ。…君の事だろう、六道」

 あの時のことはまだ思い出したくもない。それでも目を閉じると全てが終わったあの日の事がまざまざと蘇ってくるのだ。
 自分がいかに愚かなことをしてしまったのかと。痛みと共に覚えたあの日、堕ちるところまで堕ちてしまった自分をひたりと楽しそうに見据えたあの赤色の瞳に六という文字が浮かんでいたことを。
 ――…その瞳が、どうしようもなく恐ろしかったことを。

「…僕は愚かだった。君という幻想に、自分がまるで強くなったかのように錯覚して、半端で間違えていた力でのし上がろうとして。僕が受けた罪は、当然の報い」

 でも、と日辻はまっすぐに骸を見据えた。

「ユウは違う。そして、それを救うのは僕にはない君の力だ。君じゃないとダメなんだ」

 あの鍵を渡してきた男が普通の人間ではないことぐらいは分かっていた。もしかすると一般人では分からなかったのかもしれない。だが彼の雰囲気と、以前骸が樺根として自分のそばにいて、そして自分をドン底へと突き落とした時の薄く笑った様子が酷似していた。
 危険な人間だとすぐわかった。それでも従うしか、なかったのだ。

 そして、それの解決を日辻が今の状態に陥った原因である骸に頼むということの意味を何も考えていなかったわけではないだろう。
 自分の溺れた暴力でもって、彼女を救えと答えを出すのにどれほどトラウマを呼び起こしたことだろう。ただ話しているだけだというのにこうも汗が噴き出し、今にも倒れそうな顔をして、それでも悔いのない瞳をして。
 以前よりよほど面白い人間らしい表情を浮かべるようになったものだ。

「預かりましょう」

 だから、快く骸は笑みを浮かべたのだ。

「覚えておくといい日辻真人。これは君の為ではない」

 完膚なきまでに身も心もずたずたにしたスケープゴートがわざわざ身を挺してやってきたのだ。
 その覚悟ぐらいは汲んで、主人は守らなければならないだろう。


 ユウの家は千種に聞いていたので迷うことは無かった。
 開いた瞬間に飛んでくるナイフトラップにまるで彼女の拒絶の心を映し出しているようだと嗤う。
 
 宮崎ユウは希少な人種だった。
 突然現れた彼女は愛校心と半端な力を持っていたが故に暴力に溺れ身を滅ぼした日辻真人と同じくして暴力でもって黒曜中学に蔓延る武力をたった数日で撤廃させた。

 日辻と違ったことといえばそれは人を支配するために特定の個人を殴ったか、両成敗とばかりに暴力を武器にする人間を再起不能にしたかと言ったところだろうか。そして彼女には一般人には到底勝てることは出来ない強さがある。
 その強さを見出したのが、彼女が初めてやってきたあの日だ。目を輝かせ犬と対峙している姿を見た時に覚えた感情は、最早感動に近い。だからこそ敵だと己を威嚇する彼女を自分の下へとわざわざ招いた。彼女を己のものへとするために。

 しかし。
 それを邪魔するかのようなタイミングで、彼女の属するファミリーによってイタリアに連れ帰られたあの時から彼女の気配がとても薄くなっていたのは気付いていた。
 恐らくヴァリアー側にも優秀な術士がいたのだろう。彼女につけた鈴は己のものであるという証もあったが、彼女の生命の安否をいち早く骸に知らせる為というのが一番大きな割合を占めていた。それでもその鈴を取られなかったということは自分のことを大した脅威ではないと見逃されているのか、そもそもその鈴が幻術で作ったものと見破れなかったかどちらかなのだろうが恐らくは腹立たしいことに前者だろう。
 そんな事があり、突然現れた日辻真人の言葉に焦っていたのは確かだ。近くにいれば自分の施したモノの存在なんてすぐに知覚できただろうに。

 ――彼女はアレを持ってきたのだろうか。

 ふと思い出すあの日の、あの場での出来事。
 持って来るように暗示をかけたあれは恐らく不要の物。ユウがあれを持ち続ける限り、あれに悩まされて生きていくだろう。不思議と彼女が捨てていないことなんて分かっている辺り、自分でも思っていたよりユウの事を気に入っていたのだろう、と未だ己に降りかかるナイフトラップを避けながら自嘲気味に笑った。
 そうでなくては、彼女にとって仲間である男の話をした時あれほどまでにこの自分が独占欲を前面に出すことはなかったのだから。気に入っているからこそこうやってかつての玩具に言われた通り、此処へ来たのだ。

 リビングに近付くに連れて嫌な予感が脳裏を過ぎる。この感覚をかつて、骸は経験したことがあった。術士の残り香だ。

「…これは」

 そしてその考えを肯定するかのようにリビングで待ち構えていたものは。

 ―――机の上に置かれているケーキの箱、割られた小さな透明のガラスケース。
 倒れた椅子、時間が経過し黒く変色された床に溜まった血。

 彼女が巻き込まれたことは一目瞭然だった。

 以前の手合わせの時に見た、ユウの使っていたナイフは机に突き立てられていた。よくよく見ると机には恐らくそのナイフで彫られたのだろう、文字が書かれている。日本語よりも見慣れたその文字を目にするとぴくりと眉が動いた。

”覚えているかい?瞳の子供。”

 そして、ナイフの刃先に突き立てられているのは宮崎医院とかかれた地図。

「…下種が」

 間違いない。
 それは骸の為に用意された、彼への挑戦状だった。

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