「来い」

 執務室で篭もりっぱなしだった彼女へと声をかける。分かりましたと全てを放棄し、すぐさま立ち上がると身なりをすぐさま鏡で確認し最小限の時間で済ませると立ち上がる。後ろについてきているか確認することもなく廊下を悠々と歩き、玄関口まで。XANXUSのよく利用する車があることに気付くと駆け足で寄り、車のドアを開く。「入れ」キョトンとしたものの失礼しますと一言の後、XANXUSの隣へ座り扉を閉める。顎でしゃくると運転手は黙ってアクセルを入れる。彼女は終始無言でそれを受け入れる。

 ここまで彼女との会話は一切無かったが、正直こういったことは少なくはないし、珍しくも何ともない。蜜柑がこの世界に身を置いてから数度目とはなるだろうが、彼女はどんな仕事をしていたとしても疑問を抱くこともなくそれを放り投げていつだって己に付き従う。それがXANXUSにとって、どれほど難解であったか当の本人は知る由もないだろう。

 もしかすると自分は使えないのだとこの先で殺されるかもしれない。
 何か他の危険な任務に放り出されるのかもしれない。

 普通ならばそう考えたっておかしくはない。
 XANXUSと言えばヴァリアーのボスだ。彼自身が動くとなれば余程のことであるし、それぐらいは蜜柑だって分かっているはずである。…しかし彼女はこうやって連れ出したとして未だ怯えることもなくXANXUSに乗せられた姿のまま背筋を伸ばし流れる景色を見つめているばかりで何ら変化は見られなかった。あまりの無頓着ぶりに己の命は惜しくないのか、とその横顔に問いかけたくもなる。
 彼女はいつもいつもXANXUSの執り行う全てを受け入れるのだ。何も考えていないという訳では無いだろうが、流石に無警戒にも程がある。


「…」

 もしもこのままその細い首を握り掴んで殺そうとすると流石に彼女の表情は変わるのだろうか。この車の中でその細い手首を握り押し倒せば少しぐらいはこちらを見る目も変わるだろうか。そんな事を考える程度にはXANXUSにとって彼女の存在は不思議で仕方がないものであった。
 今まで居なかったタイプの人間。確かにそうだった。自分を慕う人間は山ほどいるし、何もこの女だけではない。しかし何故こうも蜜柑ばかりが目に入って仕方がないのかというところはXANXUS自身、理解出来ぬところではある。

 「おい」声をかければすぐさまこちらを見る一対の琥珀。
 それを見るとどうしてかざわつきを感じてしまう理由とは。思わず呼んだものの何も用事はない。だがそれでも彼女は自分が何かを言うのを待っている。自分の視線を恐れることもなく、ただジッと、真っ直ぐと。
 彼女の目の下には隈がくっきりと現れていたが別にそれ以外初めて自分の前に姿を現した時と何ら変わらなかった。ちらりと見えた赤に目をやれば、そういえば自分がくれてやったものだと思い出す。

 気紛れに邪魔そうな前髪を上に固定するピン留めをつけてやったが彼女はそれを気に入ったかどうだか毎日のようにつけていた。彼女の武器である不思議な剣につけたその赤い羽もまだ健在だ。白のブラウス、黒の隊服。それ以外身につけていなかった彼女が初めて他色を、赤を纏ったのはXANXUSが施したもの二つ。それがなかなか、気分は悪くない。
 蜜柑の属性は嵐で自分の死ぬ気の炎に含まれた、属性と同じものである。分解を司るものなのでいずれその炎によって手元の羽も燃えてなくなるかと思いきやそれはあれから日にちが経過していたとしても変わることはなく、今日も彼女の腰に引っ提げたままふわりふわりと揺れている。

 XANXUSは知ることがなかった。
 ベルが説明していなかった為に、自分に会うためだけにあっさりと人を殺してきたことを。その場面を見たベルが、だからこそXANXUSへ秘書にと申し出たことを。
 XANXUSは知るはずがなかった。
 スクアーロが説明していなかった為、日に日に彼との手合わせの度に炎の調整が上手くなってきたのは寧ろそのXANXUSが贈った羽を汚さないようにと意識していたからということを。その羽を見るたびにXANXUSの事を思い描き、本来の力以上のものを常に出してきていたことを。

 彼女がスクアーロから寄越された武器はチートレベルで使える代物だ。そういう風にスクアーロからは聞いている。確かに属性からすれば分解ほど恐ろしいものはないだろう。銃のように装填し撃つより断然早く、交えた剣など片っ端から破壊していく。ある意味最強ではあるが、その代わりに燃やすのは死ぬ気の炎。自分の炎を糧に彼女の剣は力を得る。
 しかし、だからと言ってそう簡単に使いこなせるわけもない。寧ろ炎を剣の大きさまで出す程度の出力で、常に放出し続けることを考えれば普通の人間には不可能である。XANXUSとてあの光球を何時間も持続出来るかと言えばそうでもない。いずれ限界が来るだろう。だから自分でも攻撃する寸前に炎を手に宿す。
 それなのに蜜柑は毎日死ぬ気で自分の限界値を超えていく。常に放出し続けていく。元々持てる炎量は決まっているというのにXANXUSという言葉だけで、姿を思い描くだけで人間が人間として機能するラインをあっという間に越え、100%に近い数値を叩き出していく。そのことに対し彼女は何も疑問に思っていない。
 そうスクアーロに説明されたのが先日のこと。だがそれが、それこそがXANXUSにとって不可解なことであった。


「怖くねえのか」

 そう問うたのは気紛れだ。その意図が伝わろうとそうでなくても別に構わないと思いながら。
 全くもって彼女のことが分からない。彼女のことを読み解くことができない。だからこそこの女が何を考えているのか知りたいと思った。分からないものを身近に置くなど普段ならば絶対にしないだろうが何しろ一般人。今、例えば彼女がその剣に手をやる前に首を刎ねることなど容易い。

 そもそも始まりからして彼女は自分には理解のできぬものだったのだ。ただの一目、自分を見た。それだけでこちらの世界へやってくる人間の考えなどXANXUSには到底知り得ることはできない。元々彼女の居た世界を調べさせてみたが至って一般的、至って平均的な生活をしていたはずである。それなりに生活を続ければそれこそ一般的な人間の通る道を歩んでいた事だろう。それが今までしがみついてきていたはずの世界をあっさりと捨てられるものなのだろうか。一般的なルートを逸れる人間というのは大概にして碌でもない。周りの人間を見ればそれだって言われようとも分かるのだが、如何せん彼女にはそういったことは見られない。スクアーロのように何かに突出した技量を持っていることもなく、寧ろベルのように己の欲望の為に今まで居た場所を捨ててきたというところは似ているのかもしれないが、しかし彼は彼なりの、そうなってしまった経緯と環境がある。だが彼女はどうだ。そんなものが微塵も感じられなかったこそ、違和感を覚えずにはいられないのだ。
 何か裏があるのだろうと、XANXUSが思うのも当然のことだった。何か目的のものがあるのか。何か欲しているものがあるというのか。否、…寧ろそうであってほしいと少なからず思えるのは。


「何も怖くないです」

 しかし蜜柑の返したものは単純である。何も考えておらずの発言か、そう思って琥珀の瞳を覗き込んだが彼女に一切の揺らぎはなくただただ一心にXANXUSを見る。このように返してきた人間はかつて居ただろうか。幹部達はさておき、他の精鋭部隊達であれば自分にこのような目を向けてくる人間は居ないだろう。ある意味不躾だと言っても良い。

 ――…その目を煩わしいとは思うことはなかったが、XANXUSが彼女を見た当初から思っていたことはやはり変わらなかった。


「…この先に何があってもか。何処へ行こうともか」
「それが地獄でも。そこにボス、あなたがいるのなら」

 それは誰かに守ってもらおうだとか逃げてしまおうだとかそういう魂胆は一切感じられない。そのようなことを考えてすらいないだろう。言葉通り、自分が居るならばどこまでも付き従うと。思った通りの言葉なのだろう。
 間違いなくこの女は自分しか見ていない。そう感じ取るしかなかった。それは男と女と、そういった類に近いようでそうでもない。何かと聞かれれば今はまだ分からなかったが確実に自分には理解のできないものである。だからこそ彼女に抱いているのは畏怖に近い。そんなまっすぐな感情をぶつけられたことはあったか。これほどまでに真っ直ぐな視線を向けられたことはあっただろうか。まるで自分の内を見透かそうとしているような目。
 この自分が、一般人に気圧される事などある訳がないというのに。

 地獄でも付き従う、か。
 ふ、とXANXUSはその返答を気に入った。ボスである自分に対し己の行き着く先が地獄であると言い切ったそれもまた面白い。ただの一般人がどこまでやれるか分かりはしないが少なくともこの女はどうも他の女達とは違うらしい。いっそのこと狂っている。そう思った方が早いだろう。

 しかし、


「…どうしました?」
「何もねえよ」
「分かりました」

 それを別段悪くないと思える自分も確かにそこにはいたのだ。疼きは、疑念は、いつの間にか消えている。
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