「容態はどうだ」
「…ええ、何とか一命はとりとめたのだけど」

 幹部の居ない時間を見計らったかのように襲撃が起きた。随分と突然の出来事であったがその数十分の後、『無事に鎮圧した』と重ねて報告を受け、当然だろうと幹部達も頷く。自分達が居ないから瓦解するようなそんな柔な隊員達ではない。ある程度の人数は常に置いてあるし彼らだけで判断することもできないはずがないのだ。
 実際ヴァリアー邸へと戻ってみれば然程建物も壊れている様子はない。ただ入り口辺りになれば若干戦闘の痕が見える。そんな程度であった。
 しかし、――…死者は出なかったものの重傷を負った者の中に一人だけ、見慣れた名前があり皆が皆凍りついた目でXANXUSを見遣ることとなる。

 全員が同じ場所に居た訳ではない。XANXUSはどこぞのファミリーとの取引に、他の幹部達は遠方への任務へと。彼女は連れていかなかった。何かと外に連れ回すには未熟者だったからだ。大人しくいつものように雑務を投げていたので、当然彼女はXANXUSの部屋へと居るはずであった。
 なのに、


「この女に守られたってワケ?」

 ベルが呆れたように言うのも当然だろう。結果として怪我人はほとんど出ることもなかったが、それがまさか蜜柑が前線に出たからなどと誰が信じよう。誰もその場を見ていることはなかったが残された精鋭部隊の人間から話を聞き出すと、どうにも彼女が自分から部屋を出て激戦を繰り広げたらしい。相手方は小さなファミリーの人間だったらしいがどうやら自分達の見たこともない攻撃を繰り出し、自分達では到底手に負えるものではなかったのこと。恐らくは死ぬ気の炎、もしくは匣兵器のプロトタイプを利用した輩だったのだろう。確かに現段階で所属している精鋭部隊には未だ死ぬ気の炎を利用する戦闘方法は知らせていない。ならば彼女だけがそれに対応できたとあるならば当然のことで。


『美しい炎でした』

 男は彼女の力をそう評した。XANXUS様、彼の力に似たとても美しく、全てを壊す力でしたと。男は古参の人間で、数ヶ月前までただの一般人だったとは到底思えないと彼女のことを褒め称えたのである。
 敵は、彼女が全て分解し尽くしたらしい。怪我を負いながら彼女の避難を勧めていた精鋭部隊の一人は彼女とのやり取りを幹部達に話し終えたと同時に気を失い彼もまた緊急治療を受けている最中であった。


「…あとはこの子の体力次第と言ったところかしら」

 多数の打撲、激しく消耗した死ぬ気の炎。見た目よりも重要視されるのは死ぬ気の炎をどれだけ使用したかということだ。普通の人間であれば自分の肉体を巡回する死ぬ気の炎の限界値に自身の身体が生命を守ろうと本能的に外へ出ていくことを防ごうとする働きが起こる。
 しかし、蜜柑は。
 この場にいる幹部の誰もが蜜柑の異常性を知っていた。XANXUSという男の為ならば何でも出来てしまうということを。大した訓練を受けてもいないというのに、XANXUSという男を思い浮かべるだけで死ぬ気の炎を大量に、長時間灯し続ける事ができることを。

 現段階でそんな曖昧で、不安定な人間を実践に投入することになると誰が思おう。スクアーロだって今後を見据えて教えていただけであり、まさか今回このようになるとは思ってもみなかったのだ。だが実際、その時の状態を聞いて見るに対応できるのが彼女しか居なかったのであれば、…残念なことに、彼女の対応は間違えてはいなかったのだと言えよう。蜜柑が動いてなければ今頃、精鋭部隊の人間の数も少なくなっていたに違いないのだ。


「…もっと面白い奴かと思ってたんだけどな」

 やがて幹部が集まっているその部屋の中、ポツリと呟いたのはベルだった。眠っている彼女を興味がないと言わんばかりに一瞥した後「餞別な」と呟き彼女の枕元に1本のナイフを刺した後、部屋からさっさと出ていってしまう。誰もそれに対し批難する者は居なかったし、彼の行動を皮切りに周りの人間も各々ようやくと言った様子で動きだした。
 ベルの考えは当然だった。
 不要なものは切り捨てる。使い物にならなければ切り捨てる。今までそうであったし今後もそうある筈なのだ。彼の中ではもう蜜柑は今まで通り動くことがないのか、それともこのまま死ぬかのどちらかだと判断しているのだろう。恐らく、この様子を見るからに部屋に居る人間であれば全員がそう思っているに違いない。時間を経過するごとに青ざめていく様子、時折吐血する身体。あちこちに巻かれた白い包帯は段々と赤が滲み出し、しかし彼女は一向に目を覚ます様子はみられなかった。このまま衰弱しやがて死に至る可能性もなきにしもあらず。ルッスーリアがそう言うならば間違いはないのだろう。

 一人、また一人と言葉もなく部屋から出ていく。それを引き止めることもなくXANXUSはこの間、一言も話すこともなく黙って壁の方で座っていただけだった。
 ヴァリアーに所属している以上、当然の結果だ。自分でもそう思っていたのだ。こいつは遠からずこういう目に合うだろうと。それは覚悟の有無ではない。ただ、ヴァリアーに所属したその瞬間から、一般人として生活している時よりも”死”は密接な関係となる。それがたまたま自分が居ない時であった。それがたまたま今日であった。たったそれだけのことであり、そして、――XANXUSには彼女の生命を繋いでいる機械の電源を切ることが許された、ただ一人の男であった。ボスであるXANXUSは部下の生命を摘み取る権利がある。今彼が蜜柑を殺そうとも誰だって文句は出ないだろう。ただ次に、彼女が居た場所を埋める人間を誰かが探すだけ。補充するだけ。そうやって自分達の生きてきた世界は変わらず動き続けてきていたのだ。


「……」

 自分の考えていることなど自分が一番、分からなかった。使い物にならぬ者など殺してしまえばいいのに。役立たぬ者など放ってしまえばいいというのに。
 何故自分は彼女の元へと歩いている?何故自分は彼女に触れているのだ。初めて触れた彼女の頬は冷たく、しかし柔らかい。僅かに感じられる呼吸、時折口端から溢れシーツを染め上げる赤黒い血液。
 「蜜柑」と、小さく呼んだ。それは誰もいない、無音の部屋によく響く。親指に付着する血液。白い袖を汚す赤。


 ――…付いてくると言っただろうが。

 自分の傍であるのなら、地獄までと。自分の傍なら怖くないと。そんな事を言っていたくせに何を自分の関係ないところで勝手に逝こうとしているのか。勝手に付いてきておいて、勝手に野垂れ死ぬなどといった愚行を、誰が許したというのか。この女ならばそれを許可してやろうと思ったのに、何を勝手に世から去ろうとしているのか。お前に預けた書類は全部中途半端で何も終えていないだろうと。何を職務放棄までしているのだと。
 らしいと言えばらしいのだが、XANXUSの中でふと生まれたのは怒りであった。もちろんそれは彼女の行動に対してのことである。

 ギシリ、とベッドのスプリングが軋む音。彼女の身体がない場所に膝を乗せ、蜜柑の顔の横へと己の手を置いた。相変わらず起きる気配はない。冷たい額、頬。相変わらず自分が与えたものは傷一つもないのが奇跡的である。尤も彼女が着ていた服も、靴も、何もかもがボロボロで見るに堪えないものと化していたのだが。


「とっとと起きやがれ」

 主人に面倒かけるとはいい度胸をしてやがるじゃねえか。
 それは喰らうという表現の方が正しかったのかもしれない。兎にも角にもXANXUSはその色を失いつつある唇に噛み付いた。そこから血の味がしようとも何も気にかけることはない。深く、一度。それは彼女に欲情しただの何もそういう意図は、XANXUSには珍しくなかったのである。ただ単純に起きろと。施しと言うつもりはなかったが自分の言動に左右される女であるのならばこれほど強力な力はないだろうと。
 果たして、XANXUSの考えは当たることとなる。何も考えず、2度目。もう一度喰らいついてやろうかと思ったその最中にぴくりと震える瞼。思わず身を離し、彼女の様子を改めて確認する。2度、3度震えたかと思うと黒の睫毛がゆっくりと持ち上がっていく。そこから現れるのは見慣れた琥珀の瞳。薄ぼんやりとしていたのだがやがてXANXUSの姿を確認し、蜜柑の意識は一瞬で覚醒していくのを目の前で確かに見届けた。


「…っあ、ボス、あの、口から血が……どうしました、お怪我でも、」
「何でもねえ」
「そ、そうですか。って…ぁ痛!?何、何これ痛い…」
「そこで寝てろ」

 突然跳ね上がるようにして起き上がった蜜柑は全身の怪我の痛みに今、時遅くして悶え再度ベッドへと沈む。不思議なことに彼女は生きている。今の今まで死にかけていた彼女が、生きて、痛みに苦しんでいる。これほど不可思議なことは早々あるまい。誰かの口付けにより起きる人間などどこぞの童話ぐらいでしか有り得てたまるものか。

 しかしながらこの口元に、袖についた血を他に見られるのは何かと鬱陶しい。
 ルッスーリアにすぐさま連絡を入れると自身はさっさと自室へと戻ったのであった。勿論、というべきか当然というべきか。部屋に入った後、再度酒を呷り始めた彼の口元に笑みが刻まれているなど誰も知るはずはない。
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