「あれはボスさんが居ねえと全く使い物にならねえなぁ」

 蜜柑という人間の扱いについて困っているのは何も精鋭部隊だけではない。
 もちろん幹部であってもこの女をXANXUSが秘書として取り扱うと口にしてしまった以上、彼女を傷付けようとするものからある程度守らなければならないという厄介な義務が発生する訳である。今のところ彼女を狙う者は表立ってはいなかったがいずれ現れるであろうというのがスクアーロの見立てであった。
 XANXUSの秘書ともあればXANXUSの、ひいてはヴァリアーの重要機密を知ることが出来る上に幹部たちとは違ってそこまで戦闘に秀でている訳ではない。
 そういった意味では狙い目であること、彼女が彼の弱点となることは当然であった。だからこそスクアーロは蜜柑に身を守る術を覚えさせようとした訳で、あの珍しい武器を彼女に譲り渡したのだ。

 今はまだいい。まだ何も知らない状態だ。
 否、いくつかはすでに重要な情報を蜜柑は持っているのだがそれがそもそもどれほど極秘であるかも判断できないレベルにあるだろう。だからこそ死ぬのであれば今であって欲しい。今であれば別に死なれようが自白剤を飲まされようが吐き出されるのは血と微々たる情報のみだ。
 しかし今後、もっと重要なものを目にするようになれば。もっと大事な情報を取り扱うようになるのであれば話は別だ。
 情報は時に武力ともなる。


「別にアレを可愛がれって言ってる訳じゃねえんだ」

 それなりにスクアーロも彼女の素質を評価しているつもりだった。鍛えればそれなりに使える戦士にでも、駒にでもなるだろう。XANXUSの炎によって焼かれ死ぬことだって寧ろ受け入れるようなそんな雰囲気まで携えた彼女は彼の怒りについていくと決めた自分とはまた違った方向に狂っている。目の前の男がどんな身分であったとして自分も蜜柑もついてきたに違いない。
 しかし、だからと言って自分が女になったとしても彼女のような感情を抱いたかと言われればやはりそうではないのだ。改めて恐ろしい女であると思わずにはいられない。

 スクアーロが彼女へと抱くのは親近感と、僅かな憧れ、そして羨望であった。蜜柑はXANXUSの為に全てを捨ててやってきた。今、彼女にはXANXUS以外何も要らないのだ。何と自由に動き回れることか。何者にも縛られず自分の好きなもののために動ける自由さをスクアーロは知っていた。
 だからこそ危うい。
 彼女はこの世界で生きるにはあまりにも自由で、無知すぎる。つまるところ早いところ彼女を飼い慣らせと今日は言いに来たのだが果たしてXANXUSにそれが伝わっているのかは甚だ疑問であった。ギロリとこちらを睨めつけただけで何も発しはしない彼が一体何を思っているのかなどスクアーロだって分かりはしない。


「なあボスさんよ」

 あまり自分もXANXUSの機嫌を損ねることもしたくはないし彼女を放り出そうという魂胆もさらさらなく諌めるようにスクアーロは言葉を重ねる。
 彼女が来てからというもの自分に回された雑務が圧倒的に減ったことに気付かぬはずもなく、スクアーロが動いている理由としてはむしろ逆に近かった。特に雑務系の処理に関して彼女が秀でているという訳ではなかったがそれでも任務の合間か睡眠時間を削るぐらいしか雑務をする時間がない現状のスクアーロとは違い、簡単な書類関係の処理をし続けるだけで決まった任務がない彼女には時間がある。故に普段ならスクアーロの不在中に振り分けられ溜まり続けるものも減っていく一方なのでアリかナシかで言えばあった方がいいだろうとその程度には便利さは感じていたのである。

 それなりに友好的にあるつもりであった。あの女はXANXUS以外に興味がなくこちらとしてもやりやすい。XANXUSの名前を出すだけで自分の持っていたもの全てを投げ捨て何だってやり通してしまう覚悟を、──…あの赤い炎を出すことが出来るのだから。
 残りの問題は彼が彼女のことをどう考えているのかとそれぐらいである。もしもただの気まぐれであれば、少しでもあの女を使ったことを悔いているような様子であれば前言撤回し他の使い道を考えよう。いかに有能であってもトップであるXANXUSがそう判断したのであれば斬り捨てるのは当然だしそれに関しては蜜柑を連れてきたレヴィも文句はないに違いない。


「…取り敢えず俺の言いたいことは以上だ。後は例の武器を奴にくれてやったから「るせえ」…」

 しかしながらスクアーロが投げかけた言葉はXANXUSの一言により一掃される。
 こちらとてXANXUSとはまた長い付き合いなのでこの辺りまでの干渉であれば手元にあるウイスキーの瓶も飛んで来ないと言う事は分かっていた。案の定心底面倒臭いといった表情であったがそれ以外何かがある様子もない。
 「おいドカス」やがて聞こえたのは低く吼えるような地を這う声。XANXUSは赤い瞳を更に細めこちらを睨めつけていた。


「俺のものをどうしようが俺の勝手だろ」

 その言葉にどのような感情が含められているか、そればかりはスクアーロにも分からなかった。しかし何とか理解したのは今のところは蜜柑をどうこうするつもりはないということで、現状を悔いているような様子も見受けられないということ。ならば取り敢えずは現状維持というつもりなのか。
 そうと分かれば彼女にくれてやったものもまたいずれ活きてくるだろう。この男の手中にあるうちは決して前線に立つ剣士にはなりはしないだろうが。

 言いたいことが伝わっているとは一概には言えなかったがそういう事ならばもうスクアーロとてこの部屋に用はない。これ以上居続ければ今度こそ色々なものが飛んでくるに違いないと踏み邪魔したなと先程とは違った晴れやかな顔で出ていくがそれとは正反対に残されたXANXUSの表情は固い。


「……カスが」

 相変わらず自由気ままに動く輩達である。命じた事のみを遂行する人形など不要だがこれはこれで非常に厄介だ。それに好き勝手言い散らかして出ていかれてしまえばこちらは何も言い返すことも出来ないではないか。しかし不思議なことにそれ以上の不快な感覚はなく、XANXUSは立ち上がり話題となっていた彼女の元へと足を運ぶ。

 蜜柑は隣の部屋で書類の整理を命じていた。いつもの処理速度を鑑みると粗方終わるであろうと見込んだ時間帯であったが、いつの間にか綺麗に掃除までされている有様で仕事は終わっていた。着実に、彼女は成長している。

 一般人であった蜜柑に微塵の期待もしていなかったと言うのが本音である。語学にはそれなりに習熟していた事とこれまで携わっていた業務の影響なのかこの手の細かい作業は特に得意分野ではあったらしい。XANXUSが本腰を入れて作業しても数時間かかりそうな量の書類は彼女にとって膨大すぎて嘆くかと思いきや無事に終わらせており、ほんの少し彼女への評価を変えなければならぬと思わずにはいられなかった。
 最後の1枚の捺印を見ればまだ乾ききっておらずつい先程終えたところなのだろう。それを考えれば昨日任せたきりこの部屋から出た様子も見られなかったので不眠不休で終えたということは考えるまでもない。


「おい」

 当の蜜柑はデスクに顔を突っ伏し眠っていた。器用にペンを握ったまま力尽きたと言ってもいい。
 指で彼女の顔を隠していた長い前髪をすくい上げると頬やら額にはところどころインクが伸びた痕。目の下に色濃く見える隈。明らかに感じられる睡眠不足だったがこれがぶっ通しで仕事をした結果なのであれば納得も出来よう。

 …まさかここまでやってのけるとは。
 勤勉だと言われる日本人であってもこの状態が決して当然であるとはXANXUSも思ってはいない。どんな気持ちでここまで取り組んだかは分かりはしなかったが、それでも分かることはある。


『あれはボスさんが居ねえと全く使い物にならねえなぁ』

 思い返すのは先ほどのスクアーロの言葉である。確かに彼女は自分についてきたと言っていた。レヴィが彼女のことを紹介した時もそう聞かされた。もちろんXANXUSに彼女の記憶なんてさらさら無かったが、それでも彼女は自分の持っていた全てを投げ捨て身一つでやって来た。
 それがどれだけ普通ではないか、XANXUSとて分からぬ訳がない。

 そもそもこの蜜柑と言う女、どうにもこの組織のことを理解していなかったようにも見えたが入隊してから幾日経過した今でも態度が一切変わることがなかった。彼女はいつだって自分に対して怯えたことはなかった。
 いつも何故か柔らかく微笑みかけ、与えられた仕事を受け、いつの間にか終わらせている。いつまでに、という期限をつけたことはない。いつの間にかXANXUSがそう言えば、と思った頃には終えているのである。とにかく彼女は常に全力であった。加減を、休めるという事を知らずただひたすら与えられた役割を着実にこなしていく。吸収していく。

 それだけであれば別段当然だと言い捨てるのだが彼女からはその仕事に対しての熱意が他の人間の持つものと違うような気がしてやまなかった。レヴィのように分かりやすく仕事を終えたことに評価してくれと言うわけではない。むしろ、それに関して何も感じないことが異質。この世界にはあまり居ないタイプの人間とまで感じられるほどで、蜜柑はまるでXANXUSが世界の全てであるとでも思っているような節が垣間見えるのである。
 自分が望んだから実行するのが当然であると、自分が命じたので遂行するのが当然であると自然に思えるその要因をXANXUSは知らなかった。
 しかし、…その感覚もまた不快ではないという己の感情もまた、XANXUS自身理解し難く。


「……」

 今、彼女は何を思いすやすやと眠っているのだろうか。XANXUSの席でもあったのだろうが起きる気配が微塵も感じ取れない。そういう意味では度胸があるといったところだろうか。
 暫くの間、XANXUSは彼女の何も変わらぬ寝顔を見下ろしていた。

 何度も言うが彼女は着実に、進んでいる。

 ひ弱だった体躯は毎朝スクアーロに作り上げられたメニューに沿い体を鍛え続けていた所為か細身であるのは変わらないものの所々に増えた青アザが見えるし彼女自身からは薬品の匂い。どうやら見えないところで怪我もしているのだろう。

 ここへやって来た頃から少しずつ何かが変化していることも見て見ぬ振りなど最早出来なかった。やがてその起きる様子もない寝顔を見飽き前髪から手を離せば今度はデスク上に置かれているのが変わった武器に気付く。これがスクアーロの言っていた武器なのだろう。どのようなものかということは知っていたが、果たしてこれが彼女に使いこなせるのか。

 そう言えばあの男は随分とこの女のことを目にかけているらしい。元々女に対して見境のない男であったが蜜柑に対しての扱いは別格だった。と言ってもあくまで将来有望である人間に対してのソレであり、肉欲を感じた女に対してのものとはまた違っていたのだが。
 そう考えると己の内側でちりりと何かが燻る音。それが果たして何であるか、今のところ分かるものは誰1人として居ないのである。


──…。


「聞いてスクアーロ!」
「っう゛お゛ぉい!いきなり入ってくるんじゃねぇ!」

 それは蜜柑が目を覚ました数分後の出来事である。
バタンと大きな音と共に幹部のよく利用する談話室の扉が大きく開かれたと思えばそこには見たこともない形相の蜜柑がそこにいたわけで、その場にいたスクアーロは口に含んでいたウイスキーを危うく吹き出しそうにもなったがすんでのところでゴクリと飲み込んだ。
 もちろん突然入ってきたことに驚いたのだがそれ自体が可笑しいのである。


 ──今この女は気配を隠したのか。

 そんなことが今まで出来なかったというのに?それとも自分が教えてきたあれやこれやが身についてきたのか分からなかったが、予想外の出来事に驚きつつも「何だぁ」と聞いてみれば蜜柑はようやくそこで落ち着いたらしい。ゼェ、ゼェと肩で息をする彼女の姿は少し例の武器の使い方を手解きした時以来だったがどうやら今はXANXUSに命じられたことも何もないようで。


「あ、あのね、あの、」

 まったく、この女とくれば人を驚かせてばかりだ。息を整えている間、再度ウイスキーを口に含みながらスクアーロも思わずにはいられない。
 間違いなくこの女によって色んな人間が振り回されている。良い意味で変わりつつある。顕著にあるのがあのXANXUSだということは言わずもがな。
 しかしもう今日は今以上に驚くことはないだろう。何のビッグニュースを持ってきたのか若干楽しみにしながら彼女が顔をあげるのを待つ。そして、


「──…ブフッ!」
「ああ、どうしよう!私死ぬかも」

 スクアーロの驚きと予想は数秒で塗り替えられた。
 顔を上げた彼女は異様に高揚していた為に気付くことは無かった。長い時間の睡眠により書類の文字がそのまま己の頬にコピーされてしまったことを。サインや捺印の際に指先についたインクが彼女の顔面、衣服へと沢山付着しとんでもない身なりになっている事を。
 そんな、いつもの彼女なら気にしていたに違いないことも今は蜜柑の長ったらしい前髪を止めるその赤いピン留めにより彼方へとぶっ飛んでいっているらしい。

 元々そのような装飾品を持っていた訳ではない。手入れが面倒くさいと言いながらスクアーロとの練習の際は輪ゴムで止めていたことを知っていた。もう少し伸びたら切ってくれとスクアーロに頼みこみ剣は髪を切る道具じゃねえと一喝した記憶もある。
 つまり、その彼女が見てほしいと見せてきたそれは。
 それと同様、彼女の手に持つスクアーロがくれてやった剣の塚の部分だけの特殊武器に付けられた赤い羽は。


「……マジか」
「あー、やばい、どうしよう夢かもしれない。スクアーロ私をぶん殴って」

 それに加え、掲げられたのは柄につけられた赤い羽。これもまた持ち主及び送り主は自分ではない。それの所持者のことを、2人はよく知っていた。
 絶叫しながら喜ぶという至って器用なことをやり遂げる蜜柑、うるせえと怒鳴り散らすスクアーロ。まさか自分の言葉で彼が動くとは思ってもみなかったが起爆剤となるのであれば上出来だろう。


「そうと分かればちんたらしてる場合じゃねえ。テメエ今すぐトレーニング場に来い」
「任せて。今なら炎最大に出せそうよ」
「……それはやめろぉ」

 談話室の外、壁に身を預けていたXANXUSはただ一人誰にも知られることなく口元を歪め去っていく。
 | 

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -