「まだ生きていやがったか」
「…ええ、まあ、何とか」

 それにしてはひどくボロボロになっていたが、しかし何も知らないでいたであろう入隊時に比べると多少サマにはなったというべきなのか。スクアーロの投げかけた言葉に苦笑しながらだらしなくトレーニングルームで寝転がっていた蜜柑はゆっくりと身体を起こす。
 

 彼女がこのヴァリアーに来て早くも数週間が経過した。新人隊員の死亡率が一番高い時期である。正直スクアーロが蜜柑に話しかけた通りまだ生きていること自体が奇跡であることに気付くこともなくヘラリと笑みを浮かべた彼女は果たして気付いているだろうか。
 華々しいとは決して言えるわけではなかったがベルの下、たった1度の初任務からそのままXANXUSへと引き渡されることとなり蜜柑は立派に一般の人間が歩む道を大きく外れデビューすることとなった蜜柑はある意味現在において一番注目された人物であることに。
 もちろんそんなことが頻繁に起こるわけではなく、異例中の異例である。当の本人はそんな事を知る由もなかったがそれなりに隊員の内では有名かつ噂となっており、だからこそ彼女を妬み手を出すものはいなかったのだという。

 あのXANXUSがご執心の女であると。

 それはもはや恐怖の対象でしかない。ああだからこそ彼は一般人であった彼女をここまで連れてきたのかと納得する者すら現れる始末。
 最初こそとんでもない噂でしかなく、もしそれがXANXUSの耳に入ったらと懸念もしていたがどうやら強ち間違いではないらしい。少なくとも、今の時点においては。


「あれから任務に行ってないの」
「死ぬこともねえってことか」
「そういうこと」

 拾い上げられるのがあまりにも早すぎたのだ。何せ初日だ。
 まだここにやってきて然程経っていない彼女は大した知識も経験も持ち合わせていなければ、今の位置に居るその異常性に気付くこともなければ、それを揶揄する友人とて誰一人居ない。彼女は周りの人間、特に苦難を共有する友人たるものを得ることもなく、その機会を与えられず今の位置にあり、またそれに関して何の異論を唱えることもなかった。そういう意味においては蜜柑もある意味特殊な環境下に置かれてしまった被害者ではあったのだろう。

 しかし今まで秘書なるものをつけたことのないXANXUSだ。
 何度もスクアーロや他の者が提言したところで鼻で笑い続けたあの男がベルの紹介とはいえこの世界のいろはすら理解してもいない、寧ろ此処が本当にどういった場所であるのかすら分かっていなさそうな女を傍に置き重要な書類を預けているなどと誰が信じるか。他の隊員はよほど優秀な人間であろうと恐れおののき、また彼女の初任務をベルフェゴールと共に目の当たりにした人間は危険人物であると評した。それもまた間違いではなかったのだが話は伸びに伸び、結局のところそれら全てが相まって彼女を孤立させることとなったのである。


「で、何で此処に一人いやがるんだテメエは」
「トレーニングでもしようかなと思って。そうしたら皆、用事があるとか何とかで出て行っちゃったのよね」

 だから貸切状態なのと笑う蜜柑にそうかと返しながら当然だろうとスクアーロは思わずにはいられない。
 
 精鋭部隊の人間ならばまだしもXANXUSの秘書とならば立ち位置は殊更特殊。蜜柑に話しかける人間といえばもうスクアーロやベルフェゴールなど幹部陣ぐらいしか居らず彼女もまた元からの気さくな性格が幸いして打ち解けた、というところだった。
 蜜柑の周りは、最早普通レベルの人間は居ない。
 誰もが息をするように人を殺し、瞬きしたその次の瞬間には誰かが死んでいるような世界である。そしてそんな連中の中でも突出した実力者ばかりが彼女の周りを囲うこととなっている。逃げ場などはない。

 だとスクアーロが懸念する一方でこの馴染み方。本当にこの女は数ヶ月前まであの平和なジャッポーネにいたのかと問う者が現れるほどだ。実はどこからの内通者ではないのかと噂する者がいるほどに、彼女は少しずつ溶け込んでいく。世間一般、一般人の持つ”常識”をXANXUSへの恋心ひとつで飛ばしたなどと誰が信じるものか。スクアーロもまた、その異常性に後程気付き、楽しんでいる人間の一人であった。


「体力のねえ奴なら取り敢えず銃を勧めるが」

 しかしながら常識を飛ばしたところでいずれぶち当たる壁というものはある。トレーニングルームにひきこもったまま出てこなかった彼女の傍には多種多様の武器がばら撒かれていたことですぐにそれが何であるかをスクアーロは感じ取った。

 覚悟だけは先にある。
 おそらく他の人間よりそれに関してだけは秀でているし、むしろそれだけを全面に押し出し着の身着のままこの世界に飛び込んできた女だ。度胸もあれば根性もあるし、頭だって悪くはない。問題はやはりこの世界で生き延びる為の力。即ち武力である。恐らく蜜柑は探しているのだろう。自分でも使えるような武器を。方法を。しかしそれを聞くことのできる相手はおらずましてや直属の上司と言えばあのXANXUSになるのだ。簡単に聞けるはずもなく独力でどうにかしてきただろうがこれにはお手上げ状態といったところだろうか。
 そう思い提示もしてみたが肝心の蜜柑は首を振る。


「銃はおこがましいわ」
「…お前のそういう考え、嫌いじゃねえぜ」

 恋は病であると誰かが言っていた気がするが実際それを目にしたことは無い。しかし、確かにこれはもう一種の病気に違いのかもしれない。XANXUSの怒りについてきた自分も人の事を笑えない立場に居るといえば居るもので、だからこそ蜜柑のことを見てやろうと言うところはある。

 ならば彼女の求めている武器を何にするかと思考を巡らせたのだが如何せん己の本分は剣士だ。つまるところすぐに出てくるのは剣ぐらいしかない。女であるとワイヤーやナイフ等も覚えさせるのも手だっただろうがどちらにせよあれはベルのような器用さや戦闘センスがないと活かすこともできやせず、最初の任務は他の隊員に聞いたがどうにもノコギリの要領で敵の首を刈り取っていたらしい。それはそれで異常すぎたのだがそれならば恐らく専門分野であるベルは蜜柑に教えることはないだろう。彼は彼で独自の美学があるのだ。そんな風に使われたらたまったものではない。


「蜜柑、立て」
「お願いします」

 どうにも面倒を見てくれるかもしれないとすぐに気が付いたらしい。
 俊敏な動きで立ち上がると軽く礼をしてスクアーロの前に立つ。久しぶりに彼女の姿を間近で見たが相変わらずこうして隊服に身を包んでいなければ気配一つ隠すことのできない一般人と相違ない。
 これで良いのかと不安を覚えたものの一度受けてしまった以上、そしてヴァリアーとしてある種異分子を取ってしまった以上隊長である自分はそれを見届ける義務が生じる。明らかに剣士としての才がありそうにはない相手にあまり乗り気はしないがスクアーロはそのまま蜜柑にとっておきのものを放り投げた。


「…これは?」
「世は暫くすりゃ戦闘スタイルが大きく変わる。お前には一足早く前準備をしてもらうぜ」
「ああ、匣とかリングとか、そういう?」
「…書類ぐらいは目にしているから知識としては分かってるか。そりゃ話が早い。ならそれに炎を灯してみせろ」

 蜜柑に渡したものは小さなものだった。心得のない彼女はそれが何であるか気付かないだろうがそれは柄である。しかし隣でスクアーロが剣を構えたのを見て理解したのだろう。同じように構えてみせるがその渡したものは本来武器としては成り立つことはなかった。
 剣の部分がないのだ。
 ただの柄。どう見ても欠陥品だというのにこれだけでどう戦えばいいのか。流石の蜜柑もこれには困惑しているようで、スクアーロは口元を歪め補足する。


「これはどこぞの奇特な研究者が制作した世界に1本しかない代物でな」

 入手方法は省くが世の中の科学者という者の思考にはこちらがいつも驚かされる。
 未だこの世界での戦闘は己が磨き上げた技量でのみとなっているが今後そのスタイルが変わっていくであろうということは未来の記憶を得たスクアーロはよく分かっていた。だからこそ秘密裏に少しずつ精鋭部隊の人間にも教え始めさせているのが、生きている人間であれば誰しもが持っている死ぬ気の炎のことである。
 それを出すには覚悟が必要。逆に言えばそれだけあれば匣を開くことができるし、その炎さえあれば武力がほぼない人間であったとしても活路を見出すことが出来。本来この貰った武器はスクアーロが使う予定のものであったが属性からすれば明らかに彼女の方が使い勝手はいいだろう。それに推測しなくたって彼女が精鋭部隊の誰よりも明らかにこれを使いこなすであろうという自信が湧いてくるのはたった一つだ。
 

「――XANXUS」
「…あ」

 それは彼女の中に眠る、限界値を難なくクリアするためのいわば魔法の言葉。蜜柑にしか効果のないそれは、人間の機能的意味合いを考えるのであれば呪解といっても差し支えないのだが。
 はたしてスクアーロの読みは正解であった。彼の名前を聞いた瞬間、柄から現れた炎の色は燃えるような炎の赤。直前までスクアーロが出していた剣を見ていた所為だろうか、激しい赤色はまるで元からその形であると思い込んでいるかの如く、まるで剣状を模っていく。


「スクアーロ、これって」
「思ったよりもいいセンスしてんじゃねえか。蜜柑、お前のその炎の性質は”分解”だぁ。それだけ言えば分かっ……って何しやがる!」
「人間の分解ってどんなものか気になっちゃって」
「うるせえ、お前は剣士としてはカス中のカスだからな!毎朝しごいてやるから覚悟してろぉ!」
 
 直属ではないにしろ上司である自分にその分解の炎で出来た剣を振り回すとは何たることか。その剣擬きには確かに死ぬ気の炎を出しやすいよう促す便利機能が搭載されているとはいえ初めて死ぬ気の炎を出したにしては見事なものである。出せぬ者には一生出すことはできない。思いの丈がこの炎の全てであるならば、赤色の炎こそ彼への気持ち。別に彼女に何かの感情を抱いた訳ではないが蜜柑に敵うものは早々現れはしないだろう。

 全くもって、面白え奴だよお前は。楽しげに笑う蜜柑の隣、スクアーロも釣られて笑わずにはいられない。
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