何もかもが夢のようだった。
 元々、確かにベルが知っていたように蜜柑は小さな会社の社長付きの秘書である。とはいっても基本的にはその辺りの事務員とすることは変わりなかったし、違うと言えばそこに社長のスケジュール管理があったことぐらいであり、そしてほんの少しだけ身体を動かすことが得意であったことか。SPと言えば聞こえはいいが、元々体術もそれとなく会得はしている。もちろんそれも自衛レベルではあったし体を張って誰かを守るような力でもなければ他者を殺すほどのそれは持ってはいない。
 人を殺したことなんて、当然なかった。


――恋する女は強いだなんて、ホント、そうかもね。

 あの燃え盛る赤い瞳を見たのは初めてではない。あれはどれぐらい前であったろうか、友人が怪我をしたということでたまたま見舞いに出向いた並盛病院、そこで初めて彼を見た。いきなり壊れる壁、病室4部屋分が繋がったというその瞬間を蜜柑は目の当たりにしたのだ。

 何があったのかさっぱりわからなかった。
 何が起きたのかさっぱりわからなかった。

 酷い地揺れ、舞う粉塵。思わず目を閉じ耳を塞ぎそれがようやく終わったと安堵した時、その原因となる人間達を目の当たりにする。
 もちろんその問題のあった彼らとの誰とも知り合いではなかったのだがそれでもその時、間違いなく彼の姿を見た。詰まらなさそうにベッドの上に寝転がった彼は外を確認するように部屋の外側を睨めつけ、そしてすぐに銀髪の男によって扉が閉じられる。
 ほんの一瞬のことだった。
 なのにそれはまるで長い時間そうであったかのような感覚に陥った。
 一目惚れと言うものなのだろう。否、そんな言葉では納得の出来ない何かが自分の身体をビビビと走ったのだ。

 結局それからはほとんど勢いのようなもの。
 自分の行動力はこれほどまでだったのかと驚く程に並盛病院を自身の持つコネクションから何やらを利用し調べに調べ上げ、そこで驚愕の事実を知る。
 治療を受けているのが誰なのか、何者なのか。…恐ろしいほどにそれら一つとして情報が出てこなかったのである。まるで彼らの名前が、存在が秘匿されているかのように突然ブッツリと足跡が途絶えるその不可思議さに興奮すら覚えたのだ。

 しかしながら、その謎はそこに通い詰めることで幾らか分かることがあった。
 至って普通の少年が彼らの名前を呼ぶ。あの扉を閉めた銀髪の男が階段を何故かずっと上がり降りしている最中に吐く怨嗟の言葉、誰かの名前。ボス。
 …そうか、なるほど彼らの間柄までは上手く把握は出来ないがこういう感じなのかと蜜柑の頭の中で繰り広げられる想像と妄想と、そして沢山の考察解釈そして否定。彼女の脳内は少ない情報量で膨大な考察結果を出し、それから少しずつ得る事実によりやがて幾つか筋道の通る仮説を導き出す。
 しかしそれまでであるはずだった。あの扉に手をかけることは蜜柑には出来なかった。

 なのにそれは彼らが退院する当日、運命の時がやってきた。縁をつなぐきっかけとなる彼と出会ったのだ。
 レヴィ・ア・タンに。


『貴様、我々の事をこそこそと探っているようだが』
『私はあの人の手足になりたいと思っています』

 勤めていた会社は数カ国語の言語を扱えることが義務付けられていた。蜜柑とて例外ではない。日本語で話しかけてきた彼に対しそうイタリア語で返すと途端に自身の肌を刺すような殺意。浮き上がる彼の武器、気が付けば彼の身体を纏わりついている雷。
 間違いなくこのままでは殺されるだろう。ここは路地裏、悲鳴をあげても誰も来てはくれないだろうし万が一聞きつけた人間がいたとしても間に合わないに違いない。そう思わずにはいられなかったし、普通の人間であればとんでもない筋の人間に興味を持ってしまったのだと恐怖し逃げてしまっていたに違いない。はたまた許しを請うていたのかもしれなかった。

 しかし、蜜柑はもうこの時点で既に”普通”という枠からは越えてしまっている。逃げるどころかその雷に相対し、彼女は微笑んでみせたのだ。


『…何が可笑しい』
『すごい人達を束ねているのだと思って』

 それはレヴィを見ているようで全く見ていなかった。あの時の話をレヴィに切り出すと彼はいつだってこう云うだろう。”ヒトの皮を被った化物と会った”と。蜜柑としては平常であったし、これが恋する女のたくましい力だと信じてやまなかったが彼女の姿を真正面から見たレヴィにとっては異様でしかなかった。

 どうして己の身体を雷で焦がされると考えられるこの状況で笑うのか。
 何故、目の前のレヴィを見ながらその先を見据えているのか。

 彼女が見ているのはレヴィではなく自分の慕う唯一、…XANXUSであるということに気付いたその時に感じたもの。それは畏怖であり、不思議なことに親近感でもあった。


『貴様、全てを捨てる覚悟はあるのか』
『…ええ。あの人の傍で居られるならば』
『――愚かな』

 レヴィの最後の言葉はそれであったが、それ以上手を出されることもなく彼はその場にて自分の覚悟を、決意を読み取りこのヴァリアーに連れてきてくれた。あれからレヴィと話すことはなくヴァリアーの隊員になるべくスクアーロに連れ回され、そしれベルに出会う。あっという間の出来事だった。

 取り敢えずは下っ端として彼の束ねる組織を把握することからかと大して期待はしていなかった。
 ボスたるもの、そう簡単に末端の者と会ってくれるわけではないということも知っているし何より自分はこの世界において武器たるものを持っていないことだって己が一番理解している。どう見ても年下ではあるが彼らが幹部であるというならば当然従うし、見様見真似で取り敢えずやっていかなくてはならない。
 そう理解し、実践することが出来たのもただ名も知らぬ彼に会いたかったから。あの赤い瞳をもう一度目にしたかったからだ。


『これが終わったらそのままボスんとこ行くんだから、さ』
 
 だからこそ人を殺すという、最後のラインをベルのたった一言でいとも軽々と乗り越えた。

 かなり力が必要だった。借り受けたナイフは確かに斬りやすかったのだが人の肉とはこうも分厚く、そして血が出るものなのか。初めての殺しはそんな感想だけで終えたのも、恐らくは既にあの赤い瞳の男に挨拶へ行けるということで頭がいっぱいだったからだ。
 気がつけば目の前では3つの死体が寝転がっている。呆気なくそのラインは超えてみせた。結果としてそれがベルに気に入られる要因となったとは知らず。

 それからどうしてだか、自分はどうやら嵐属性の炎なるものを持っているというのにまさかのお目通りが叶い、しかも彼の秘書なるものをさせてくれるというではないか。これは何のめぐり合わせか。自分は何処かで既に死んでいて、夢でも見ているのではないか。そう思えるぐらい全てが上手く行き過ぎていて逆にこれが恐ろしい。
 それに、彼は思ったよりも荒々しく恐ろしい人間ではなかった。ホッとしているところはある。しかし、


「…どうすればいいものか」

 この書類の山はどうすればもっと効率よく消え去ってくれるのか。挨拶なんてものは碌に無かった。彼の名前がXANXUSという名前、綴りを知ったのはその書類を見たからだった。
 振り分け、分からないものは勝手に判断することなくそれ専用の場所に置く。その単調作業に既に数十分が経ってはいるが一向に終わりは見えず、これでは日本のあの会社で働いている時と大して変わりないような気もしないでもない。
 しかしこの尋常ではない量、全てが英語とイタリア語。ボスであるXANXUSの捺印のいるもの、いらないもの、そして内容が依頼であったり任務完了の報告書であったりと到底普通一般のものではないことからやはりここはそういうところなのだと今更ながらに理解しつつ手をとり広げていく。


「……」

 ちらりと執務室の奥の部屋、固く閉ざされた扉を見遣る。肝心要の彼は現在就寝中だ。どうにかしろ、の一言で眠られてしまったのだから本当に一人でどうにかしなければならないのだろうけどこれは流石に無理難題すぎではないだろうか。

 だけど、任されたからにはどうにかしなくちゃ。

 呆れた顔をされたくはない。否、その顔は見たいっちゃ見たいには違いないのだがその後困るのは自分ではなく彼だ。それだけはあってはならない。例え、自分の身が滅びようとも、だ。
 蜜柑はそれだけで頭いっぱいにしながら、それでも手を止めることは一切なく現状打破の方法を考えていた。
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