「それでは本日はこれで失礼致します、ボス」
「…ああ」
「何かあればお声がけ下さい」

 見てて清々しくなるほどの無駄の無い動き。深い角度に頭を下げ敬礼。
 日本ではこれを最敬礼というものらしく、そもそもオレ達に頭を下げるなんていう習慣もクソもなかったもので最初は何やってんだこいつはという目で見ていたものだがこれは神前や目の前の身分の高ェ人間に対し敬意を払って行うものと聞いて成程、と思わずにはいられなかった。こいつの中で唯一敬意を払う人間という意味なのか、それともこいつの中でボスであるXANXUSの事を神格化しているのか。聞けば何言ってんだとばかりに睨まれちまうのは分かっていたがこの場において女はそれ以外何ら他言することもない。

 赤いヒールを履いた目の前の女はその高い靴であったとしても一切横に揺らぐ事もなくゆっくりと上半身を持ち上げる。キリリとこちら側を見つめる目は琥珀の色。その目に映るのはオレではない。
 オレのことなんざこいつは眼中にないのだ。或いはオレの事を既にボスさんの部屋にある置物の一つと認識しているのかもしれない。それほどまでに女の目は一途で、狂気すぎるぐらいに一直線だった。
 くるりと後ろを向き無防備にも晒すその背中にXANXUSが撃ったとしてもこいつは決して恨みはしないだろう。戯れに死ぬ気の炎の亜種である例の力を用いこいつを燃やし尽くそうがこの女は炎の中で笑っているだろう。そんなパラレルワールドを見た訳でも未来視が出来るわけでもねえがこれだけは断言できた。

この女は、狂っている。


「ふう」
「…で、お前はいつも何でこの部屋に来やがる」
「あら良いでしょ別に。ここならボスもほとんど来ないわけだし」

 プシュッと開けられるプルタブ、そのまま手を腰に当てグイグイとそれを一気に飲み干しカコンと軽い音を立ててテーブルに置かれたのは銀色のアルミ缶。スピードは衰えることもなく着実に同じ動きを繰り返しオレがウィスキーのグラス1杯を味わっているうちに2本、3本とそれが開けられていき視界に嫌でも並べられていく。
 良い飲みっぷりではある。
 日頃の疲れを癒やすべくゆっくりと呷っているというのにプハーッなんて言う女が居るとなるともう隣にいる人間は色恋沙汰で手をつけたくなるような女ではなくただの飲み仲間に成り下がった。


「こんな時間に来やがって。一応女だろうが」
「んー一応そうであるつもりだけど。でもホラ、スクアーロ作戦隊長様が隣についてくれているし」

 確かこのビールは日本から取り寄せたものだったか。一本どうぞと容赦なく投げられたそれを受け取りこちらも久しぶりにそれを堪能する。美味しいでしょうと笑う女はさっきのボスの前にいた秘書官殿と同一人物だとは到底思えなかった。

 女の名前を蜜柑という。

 日本出身、何かと買い物するのがかったるいという理由で全てを通販もしくは日本のツレに連絡をとりこういった嗜好品は全て日本のものであることをオレも長い付き合いで知っていた。元は一般人であり、そのくせこの世界に単身乗り込んだ挙句ヴァリアーを熱烈希望という異端児として入隊当初から有名だった。
 どうやらいつぞやでオレ達が日本に行った時にボスの顔や実力をその目にしたらしい。オレが言うのもなんだが日本に行って良い記憶なんざほぼ無かったものの確かにXANXUSの力は末恐ろしいものがある。それでいて他人を魅了する力も持ってやがるから厄介でしかない。普通の感覚で言えば恐れ慄くのが常だってんのにこんな女の人生はそこで狂っちまったに違いない。


「だって私のボス自慢を聞いてくれるのはスクアーロ隊長しかいないのよ」

 ふふふ、と楽しげに笑うこいつは出来上がっているようにも見えるがそうでもない。つうかXANXUS関連になれば素面であってもこんな状態になるぐらいだ。

 恐ろしい女だと、正直思う。
 検査の結果こいつの身体の内側で主に流れている属性は嵐だと判明し、当然ながらベルが統括する嵐部隊へと入隊することになる。まあその時点で奴にオモチャにされる未来が見え、死亡率が格段に上がったってんのに何故かヤツと意気投合した上にベルが直接ボスに秘書としてどうかと掛け合ったという流れがあった。
 曰く、蜜柑はボスの前でこそ真価を発揮するらしい。最初こそその言葉に首を傾げざるを得なかったが日をこなしていくうちにベルの審美眼に関心する結果となった。

 実力もなかった蜜柑が瞬く間に知恵をつけ、蜜柑専用とまでいえるスキルまで身につけたのはボスの秘書として就任してから1ヶ月経ったか否かというところだったろうか。今やどの隊員でも文句言えない位置までのし上がったのだから大したモンだと称賛はする。が、


「本当尊い…無理…見ているだけで本当に心臓が痛い…」

 最早これに関しては一生治ることのない病気だった。
 XANXUSを好いていることは知っていたがそれが恋愛なのか、神を崇めているものと同義なのかはこいつの言動だけでは分からなかった。突拍子もなく苦しみ、悶え、しかしそれがとてつもなく快感を覚えているような表情を浮かべるこいつの行動も見慣れたものではあったが相変わらず理解に苦しむ事が多い。

 言えばいい。言っちまえばいい。
 抱きてえならオレだって手をつける。手を伸ばす。それは女の方からだって変わらねえんじゃねえか。まあこいつは日本人だからそういうのも無理なのか。XANXUSだって拒否はしないだろう。あいつにとっても蜜柑という女は特別であることを知らない人間はこのヴァリアーに存在していない。

 ――此処までされて気が付かねえ女も居るんだなと馬鹿にする気すら通り越して褒めてやりたくもなる。
 その赤い靴、長い前髪をねじり上でXを作るようにしているその赤いヘアピンも、それから蜜柑のメイン武器である剣の柄部分からぶら下がる赤い羽も全てXANXUSからの施しだ。
 あいつが女にそんなモンを贈ったことなんざオレは生まれてこの方見たことねえし突っ込んで聞こうとした結果オレの部屋に風穴が開いてしまうという大損害になりそれ以来何も聞いちゃいねえ。が、男が女にそんなモンを贈る意味を…いや、こいつは知るはずもないか。自分の欲望には素直で出来得る限りボスの望むものをとオレ以上に考えているくせにそういった事には何一つ気付いていないのも何だかなあと思うがボスでもまだこいつに手をつけていないという事実。見守ってやるつもりではある反面まどろっこしいと思うことだってある。


「…ん?お前まだ煙草やめてねえのか」
「あー…うん、まだ残ってるし」

 ふと胸元のポケットから取り出した白い箱。
 緑の文字で銘柄が、丸いイラストが縦に二輪重なったそれを見るのは随分と久しぶりだった。ゆったりとした動きで口に咥え、…どうやらライターを探しているらしい。ポフンポフンと胸元ポケットの中に無いことを確認しながら揺れる胸を思わず凝視したがこれは男の本能ってヤツだ。
 暫くオレも煙草は吸っていないがそれでもこのヴァリアーの幹部がよく集う談話室には一応マッチだって置いてある。主にベルが火をつけてレヴィに着火する用ではあるが。
 仕方なしにそれに手を伸ばし火をつけてやると嬉しそうに顔を近付け煙草に火を灯す。


「そろそろやめようと思ってるんだけどねー、体力的にも金銭的にも」
「ガキにも悪いぜぇ」
「やだやめてよ!まだボスの子孕んでもないんだか…らっ!」

 バチンと一発、背中に掌の感覚。クソ、馬鹿力め。こういうところはもう少し女らしくしやがれってんだ。ヒリヒリする背中に顔をしかめつつ唐突に開け放たれるドアに思わず目を見開いた。


「ぼ、ぼぼボス!」
「…くせえ」

 空けた酒の事なのか煙草の匂いなのか、それともこのXANXUSが居ない状態で2人飲んでいたこの状態が心の底から気に食わなかったのか。
 おおかたどちらも当たっていただろうがピクリと眉を動かした後、XANXUSはおもむろにコートの内側へと手を伸ばす。
 まさかここで銃でもぶっ離すつもりか!?
 そう思って避ける準備をしたオレとは裏腹に何をされようとも受け止めますとばかりに前へ出て手を広げる蜜柑。一見オレを守ろうとする健気な行動だと称されるだろうがオレは知っていた。こいつはXANXUSの攻撃全てを、XANXUSの全てを受けたいだけであると。一言で言えば結構性癖にヤベえ奴。ベルと同様の感想をオレは抱いていた訳だ。

 しかしながら思っていた攻撃は蜜柑に降りかかることはなかった。その代わりに


「ぃだっ!」

 情けない蜜柑の声。
 何事かとおもえばXANXUSが投げた小さなものが蜜柑の額にクリティカルヒットしたらしい。白い額が無様に赤く腫れ上がっていたものの血は流れることもなかく無事ではあったようだ。
 直撃したそれはオレの足元に。ちらりと見ればそれは赤い色をしたジッポだった。…おいおいまさか此処まで足を運んだのってこの為かボスさんよ。オレの視線なんざ残念ながら気にもかけておらずやはりこいつらはある意味お似合いだと心の底から思った。

 「それはテメェにくれてやるが」赤色のメッシュを入れたその長い髪に手を差し入れようやくそこでXANXUSの機嫌が少しずつ戻っていることを知る。結局のところオレとサシで飲んでいること、自分の前ではこういう姿を見せないくせにという嫉妬だろう。言ったら今度はオレの身体に風穴が開けられそうだからこればかりは絶対に口に出来やしねえと分かっているが。


「煙草臭い女は抱く気にならねえ」

 最上級の殺し文句というべきなのか。残された言葉、ペタンと座り込む蜜柑を見てくつくつと喉を鳴らすXANXUSはそのままドアのむこうへと消えていく。
 遠ざかる気配、今度こそXANXUSはこちらの部屋に戻ってくることはないだろう。元々今日、それを渡すつもりだったのかもしれない。何故ならば今日は…まあ、当の本人はそんなことにすら気付いている様子もなかったが相変わらずめでたい頭をしてやがる。

 臭いと言われたそれを受け止め煙草自体をやめるか、それとも贈ってきたものを大事に使う為に煙草を吸い続けるか。どちらにせよ常人離れしたXANXUSのあの嗅覚だ、端から蜜柑が隠れて喫煙していることだって知っていたのだろう。喫煙具まで贈るってことはこの部屋にあるマッチもベルに説明して撤去しないとオレ達の生命だってあぶねえ。


「どうすんだ?喫煙続行か、禁煙するか」

 聞いたのは興味本位。だがそれでも蜜柑は馬鹿正直に、顔を赤く染め上げ応える。

 ――…やめます、煙草。
 小さく聞こえてきたその声にオレは大声で笑わずにはいられなかった。分かりにくい祝い方をしたXANXUSだって悪い。
 それでもあいつが言ってからオレ達も言ってやるよ蜜柑。何はともあれBuon Compleannoってな。
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