秘める

「ぬしさま、こんな所で寝ては風邪を引きますよ」
「ん」

 本丸には基本的に審神者か刀剣男士しか居ない。元を言えば政府が用意した場所であり、そこに住まう者はその為に動かなくてはならない者であった。
 とは言うものの結局食事やら何やらともなれば自給自足生活を余儀なくされているというのが現状で、ともなれば審神者はただただ政府から仰せつかった面倒なものとは別に所謂ニンゲンセイカツなるものの為に動かなくてはならない。
 もちろん、それは此処に住まう者全員に当てはまるものではあった。

 元々刀剣であった自分達に姿形を与えられ、己の本体を自分が持ち運ぶというこの違和感はやがて身に馴染んではくれたのだが空腹を覚えたり睡眠を欲したりとそういった生理現象には未だ慣れることはない。
 自分の意志で動けるということは便利ではある。しかしそれに比例し面倒臭いものだって確かに、ある。
 この本丸において新参者である小狐丸もようやくそういった違和感と慣れ始めたところであった。顕現され、初めて目を開き、其処に居たのは真っ直ぐとした目を持った女だったが彼女こそが自分の主たるものであると直ぐに理解した。彼女自身、彼女個体の名前をすぐに教わったがそれを呼ぶ事はなくぬしさまと呼ぶ事を選んだのは間違いではなかっただろう。


「小狐丸、こっち」
「いかがされましたか」

 ちょい、ちょいと伸ばされる手。それが何を求めているのか分からぬ小狐丸ではなかった。
 自分の主は大層変わっている。それは顕現したての、まだまだ何処にも連れていってもらえていない自分でもよく分かっていた。

 初めて思ったのはその、匂い…とでも言ったところだろうか。
 この本丸は1人の人間とその他は全て動物か刀剣男士達であるべきであった。誰の説明等も受けてはいないがそれはこの世に顕現したその瞬間にああ、そうかと何となく把握するものでありそれに関して何ら疑問も抱いていなかった。
 此処は、ヒトの気配がないのだ。
 否、そうであるならば彼女は一体何なのだと思ったところもある。三日月にその疑問をぶつけてみればいずれ聞いてみるが良いと求めていた言葉が返ってくる訳でもなく謎が深まるばかりであり。

 小狐丸に其処へ座らせるように指示すると唯一の主である女は嬉しそうにその膝元へ頭を乗せた。どうやら朝から働き詰めで疲れていたらしい。頬に、腕に、それから足についていた煤や炭がそれを物語っていたが彼女からそのような言葉は一切紡がれることはない。


「やっぱり小狐丸は温かいな」
「ぬしさまは少し冷えておられる」

 目を細め、その柔らかな頬に触れた。自分の手もきっと大して温かい訳ではないだろうがそれ以上にこの小さな身体は冷えすぎている。どうにも長い時間此処で寝転がっていたに違いない。
 一体彼女は何者なのか。その謎は未だ解けることはない。聞けば恐らく答えてくれるだろうがしかしまだ日が浅い故に、周りを知れるようにと折角選ばれた近侍を外されるのは御免なもので。

――…カチャリ。

 彼女の手元、一時も離れることのないその剣。異国の物であることぐらいでしか分からなかったがその剣を彼女は抜くこともない。
 彼女は知っているだろうか。此処に顕現されたその時点で、自分達刀剣男士は審神者が全て、何よりも最優先すべきものであるという風に植え付けられていることを。それは最早刷り込みにも近いかもしれなかったがそれでもいいと小狐丸は思っていた。
 だからこそこの気持ちも恐らく皆が持っているものだと思ってやまない。だからこそ彼らとて感じているに違いなかった。

 その剣はいずれ、ヒトの姿をするのでしょうか。
 その剣はいずれ、あなたの1番となるのでしょうか。

 その腰元の剣に嫉妬しているなどと言えば、貴女は笑いますか。


「…ぬしさま」
「どうした」
「小狐はぬしさまのいちばんとなりたいのです」
「そうか。ならば私はいつかお前を使ってみたいものだね」
「それはなりません。私はぬしさまをお守りする立場ゆえに」

 そうか、それは残念だ。
 心の底から残念そうに告げる己の主に対し小狐丸も苦く笑う。嗅覚は他の者よりも幾分か優れているつもりだ。
 だからこそ分かるのだ。
 彼女はただの審神者ではないことを。ただの、戦えぬ人間ではないことを。
 自分に触れるその手が既に血に塗れていようとも、少なくとも自分が隣に居る時だけはただ守られる者でであってほしいものだと思いながら小狐丸はその心中を言葉にすることはない。
 ウトウトとし始めた彼女の頭を撫で続け、そして完全に眠りについた時、漸く彼女の名を口にする。


「よい夢を見てください。――…架月」

 それはたったひとつ、自分だけが許された特権なのだ。
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