こすぱに!

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「…まったく、君は……」
「返す言葉もございません」

 きっかり1時間後、恭弥に迎えに来てもらった私はその足で並盛中央病院に連れて来られていた。途中まで押されていた並盛側が山本の活躍によって逆転ホームランを打ったところまでは確認したもののそこで私のタイムリミット。鬼のように電話が来て私の野球応援は終わったのだった。

 球場を出る前に確認したけど既にみー君の姿はなく、ツナ達は更に熱をあげて山本の応援をしていて振り向くことすらない。みー君は最後に彼らの姿を見れただろうか。私もそんなに邪魔をしていないしその辺りもしっかり原作通りであればいいけれど。
 あまりこういった場面にでくわすような学生時代を送っていたわけではない。だけど、これぞ平穏とでも言うべきなのだろうか。次にやってくるヴァリアー編の事を考えるとこれは束の間の日常でしかない、とは分かってはいるものの。

 まあでも平和が一番だよ、ホント。

 漫画であれば次のページには直ぐヴァリアー編、スクアーロが現れていたはずだけどこの世界はページ毎に区切られているわけじゃない。こういう日常もあって、苦しみもある。傷ついて、負けて、勝利して…色んな事を皆で乗り越えハッピーエンドに繋がっていく。できることならば彼らの傷がもう少し癒えるまで平穏であってほしい。
 …私は彼らとそういう日々を送ることはもう出来ないけれど、ね。


「お、…お待たせ」
「遅い」

 彼らに向かって心の中でサヨナラと告げ外に出たらムスッとした恭弥がそこで待っていて怒られたのは言うまでもない。
 咬み殺されなくて良かったけど案の定不機嫌なままバイクに乗せられものすごいスピードで走っていく。曲がる際なんて後ろにいる私を忘れているんじゃないかと怒鳴りたくもなったし危うく気を失いそうだったけどそれは心配されていたからということで。

 そして、冒頭に戻るというわけだ。


「…お兄ちゃんができたみたい」

 言えばきっと怒られるだろうからもちろん本人の居ないところ、1人で病院内をうろつきながらポツリと呟く。…大分、年下だけど。

 この並盛中央病院に来たのは実は2回目。
 身体に異常があったらということで私はМ・Мとのあの別れの当日、恭弥にこの病院へと連れてきてもらい、精密検査を受けていた。社内の健康診断ですらまだ受けたことのないような大きな機械であちこち調べられてゲッソリして帰ったのは仕方のないことだと思いたい。
 今日はその結果を受け取りに来ただけなんだけど、そんな簡単に終わってはくれなかった。病院の受付のお姉さんが入ってきた私達に挨拶をしながら恭弥の顔を見た瞬間立ち上がりどこかに電話を掛けたかと思うとすぐさま恰幅のいい男性が小走りでやって来た。どうやら彼が院長らしく、だけどその人ですらまだ10代のはずの恭弥に最敬礼するんだから私はその光景に唖然とする。


「ゆう、僕は彼と話をしてくるけど」
「じゃあ私は屋上にでも行ってるよ。終わったら呼んでね」

 そこで恭弥と別れ、屋上へはエレベーターで1本。少し古い扉を力任せにギィイと押せばその先には人っ子1人居なかった。

 洗濯されていたシーツもすべて取り入れられた状態、物干し竿が風に煽られガタガタと鳴っている。それ以外はがらんとした様子で差し込む夕陽が何だか物悲しい。
 そういえば屋上と言うものに私は何だかんだと縁があったなと歩きながら色々と思い返していた。
 初めてやってきた時は恭弥としての姿で並盛中学の屋上に。いつかの不良に追いかけられた時に追い詰められたのもそこだ。それから隼人や山本と再会したのもそこになる。

 私にとっては何の思い入れもないけれど此処で確かツナとリボーンが話をしたんだっけ。手すりに肘をかけてぼんやりと外を眺めてみるとなかなか見晴らしも良く、天気も1日ずっと良かった所為か並盛町の全体が、遠くにある山がよく見える。
 本当に、平和な町だった。今回の黒曜編が始まるまでは。これから色んなことがあるこの町は少しずつ色を変えていくことだろう。


 …この病院は今後、こんな並盛を変えた人たちも来るんだよなあ。

 見たところ普通の病院なのに色んな人間を受け入れているのってまあ何とも不思議なことだ。
 恭弥だけじゃなく今後はボンゴレ機関の息もかかるんじゃないかとも思える。それだけしっかりとした施設だということなんだろうけど。

 彼も風邪をこじらせて黒の寝間着を着て入院もしていたぐらいだし、虹の代理戦争が終わったら今度はもっと大所帯になる。ヴァリアーも骸も、白蘭も。……M・Mにもまた会える可能性があるのか。漫画の流れからすると未来編の方が先だけど、結局時間軸で言えば10年後よりもまず今年の終わり頃にやってくる話の方が早い。
 それまで、私が無事にいられたらの話だけどその時を楽しみに出来たのはやっぱり胸元にかかる指輪のお陰、だろう。


「……あー、そうだった」

 忘れていたつもりのことを思い出してしまって思わず頭を抱え込む。そうだ、一見落ち着いたように見えていたけど全然そうじゃなかった。今後私がこの世界で生きていく上で必要な大事な話がまだ残っているんだった。

 …どう説明すればいいのか骸に聞いておけばよかったのかもしれない。そう思ったところで後の祭りなんだけど。


『恭弥の炎をください』

 要約すればそう恭弥にお願いをしろということ。だけどそれがどれだけ問題なのか骸は知らない。

 それがさも当然の流れだろうとでも言うように骸は私に話していたし、私もまたこの件に関しては張本人だし漫画の設定を元々知っているのだからここまではすんなり話が出来たまでは良い。
 だけど、私達以外の人間にとってはそれこそが大問題なのだ。だって恭弥はこの時点で死ぬ気の炎が何たるかを知らないのだから。ううん、それどころかツナだって今はまだ詳しく知らないはず。

 属性のことを知るのはヴァリアー編になってから。
 炎の件を知るのは未来編になってから。

 そういう意味では並盛の学生組は誰一人としてまだ炎だとかリングだとかそういった事を知っている人はいない。


「きっと話は聞いてくれるんだろうけど、…さあ」

 でも私の持っているこの指輪が他人からの炎を受け入れ、溜めておける代物であり、またその炎によって私が生かされているのであれば協力を仰ぐべき人物には説明をしなければそもそも死ぬ気の炎を出すことなんてできないだろう。
 未来編に連れていかれた恭弥がその炎の出し方を知っていたのも確かヴァリアー編辺りでのディーノさんから教わっただとか言っていたし、…うう、それってつまり無理やり引き出すには恭弥を怒らさないとダメってことなのかな。
 即ち私も確実に死ぬんだけど大丈夫なのか、ソレ。

 どうせ骸にそう説明したところで「なら教えればいいでしょう」なんて言われるのが目に見えている。そりゃ私だってこの世界で生きる為にそうしたいのも山々だけど物事と物語には順序とルールがある。それを私が破っていいわけがない。


 ――…難易度、高すぎじゃないだろうか。

 骸はきっと私の事を“先読み”だから何もかも分かっているんだと思っているんだろうけど、実際のところそんな特別強い能力なんて持ってはいなかった。
 私の世界の、私にリボーンを勧めてくれた人達なら、あの漫画を好む人達ならば知っている物語の知っている設定なのであり、何なら私はそんな大勢のファンの内の1人でしかない。
 何も特別だというわけではないのだ。ただ少し変わった能力を持ってやって来てしまった、異質な人間。部外者の私。たった、それだけなのだから。


「ゆう」

 ほら、私はこうやって恭弥が真後ろに立っていたとしても気付くことなんて出来やしない。人の気配なんて探れるような力すら持っていないんだ。

 突然声を掛けられた事にびっくりしたけれど振り向けばいつも通りの恭弥が立っていて変な事を口走っていなかったか確認する。
 …うん、多分、口には出してないはず。あれ全部声に出していたら相当危険人物に違いない。 


「身体、異常ないって」
「あ、やっぱり」

 どうやら検査の結果を代わりに聞いてくれていたようだった。元々健康体だったしあまり心配はしてなかったもののやっぱり何かあったら…と考えてしまうのが人間の性だ。
 まあ異常と言えば押切ゆうになったことで、それからこの身体になったこと自体がそもそもおかしかったわけなんだけど。
 「ねえ恭弥」ふふ、と笑った後、私はおもむろに口を開く。


「迎えに来てくれて、ありがとうね」

 何を言っているのかと思われているだろうか。それとももう一度頭を診てもらった方がいいとか思われているだろうか。
 どちらにせよその言葉の意味がわからないといった表情だったけど私は別にそれでも良かった。ただ、言いたかっただけなのだ。

 お礼はいつか、言おうと思っていた。

 いつだって恭弥はそうだった。
 彼自身そんなに意識してやってきてくれた事ではないだろうし色々お世話をしてやった、だなんて思ってはいないだろうけど私が今まで生きてこれたのは恭弥のお陰だった。

 押切ゆうとして隠れたあの日に見つけ出され、秘密を共有して一緒に居てくれた。
 私のこの変わった体質を、気持ち悪がることなく聞いてくれた。
 どんな姿をしていても私は私だって、言ってくれた。


「…いつもいつも本当に、」

 いつだって、逃げることもなく向き合ってくれた。黒曜センターの時だってそうだ。他人のことばかりと怒ってくれたのは恭弥だったし、帰る場所を教えてくれた。
 それなのに私は何も、返せてはいない。逃げてばかりの私は、時折彼の視線が怖くなることもあるけれど。

 …きっといつかまた、戻されるのかもしれない。分からない。けど、もう後悔はしたくないし、困らせたくもない。
 何かあるまで、此処に。恭弥の隣に居たいと。やっぱり私は、そう思ってしまったから。


「ゆう」
「…な、」

 恭弥の手が、私の肩に触れる。
 まだまだ言い足りないけど改めてお礼を言うなんて照れくさいなと思って俯いていたらいつの間にか目の前に彼は来ていた。いつもより少し低い彼の声に驚きながら見上げると、何時になく真面目な顔でこちらを見ていて一瞬息が詰まる。

 こんな恭弥の顔を私は見た事が、――…いや、あるか。

 押切ゆうの姿だった時、恭弥にキスをされた時のことだ。場所は違えど全く同じ光景に、思わずギクリと身体を強張らせるとそれが不満だったのか今度は頬に手が添えられ目がしっかりと合ってしまった。


「…きょ、うや?」
「……」

 恭弥は終始、無言だった。
 だけどその瞳はいつもより鋭く、逃すまいとしているのが頬に、腰にかけられた手の力で分かる。

 …時が止まったというのはこういう事を言うのかもしれない。
 その青灰色の瞳に射抜かれたように動けなくなった私へと、近付く彼の顔。ぎゅっと目を閉じてしまったのはただ恥ずかしかったからだ。


「――…え」

 その動作がとても緩慢だったのか、はたまた私の目にスローモーションで映っただけのかどちらかだったというのは私でも良く分からなかった。近付いてくる顔、あの時と違ったのは藤咲ゆうとしての身長が高かったことで恭弥とほとんど視点が変わらなかったということぐらいだろうか。
 下から見上げる恭弥、降り注ぐようなキスをされたあの時と違って感じた箇所は唇ではなく額。髪にかかる吐息に、額に恭弥の唇が押しつけられたことを悟る。

 だけど私は見てしまった。

 口付けられ、ポゥ、と鮮やかに、だけど恭弥には見ることの出来ない光る透明の指輪に宿った色は藤色だということに。それは恭弥の色。紛れもなく雲属性の、彼の色だったということに。
 もちろん彼は知ることはないけれど、私の心の中でまさかという言葉で埋め尽くされていく。


『しかし、…可笑しいですね』
『何が?』
『君は既に供給を何度か受けているようですが…そうでなければ僕の与えた炎ではここまで動けた筈がない』

「どうしたの」
「…ううん、何でもない」

 それは骸が”でざいなーずるーむ”で呟いた一言。私はその意味をよく理解できなかったし最終的には悪運だけは強いんですねと皮肉られて終わった会話のあの意味は。
 …覚悟を持って死ぬ気の炎を灯す必要もなく私の指輪に炎が流れてくるのであれば。死ぬ気の炎を灯そうとせずとも触れたことで私の身体に炎が流れてくるのであれば。

 恭弥の色を感じたことはこれが初めてじゃないじゃないか。

 朝起きて、何ともなしに恭弥に額へと口付けられたりする度に感じていたあの温かみがただ彼の体温だけではないというのであれば。
 ――なるほど、これが供給ということならば私は今まで彼によって生かされていたに違いない。もっとも恭弥にとってそれは無意識だったんだけど。


「帰ろうか」
「…うん、」

 口にされなかったのちょっと残念だなと思ったけどこれはまだ内緒。秘密がある今は恭弥にこの気持ちを伝えるのもルール違反だ。

 伸ばされた手と、伸ばした手が重なり合う。

 どう繋いでいいのかわからなかったけれど触れた瞬間絡め取られてしまって血が止まってしまうんじゃないかと思うほどに握られる。まあこれも恭弥らしい、か。


「ねえ恭弥、ハンバーグ食べたい」
「それは君が作るんだよ」
「……ハイ」

 まだ色んなことを言い足りていないから。
 まだ色んなことを伝えられていないから。
 やっと私の本当の姿を見せられたのだから、君にもあの時交わした約束を果たす日も近いかもしれないけど。もう少しだけ、待っていてね。

 帰りの献立を2人で決めながら私達は普段通りの日常へ、ツナ達と同様束の間の平穏な日々へ歩んでいく。

 私の不思議な生活はまだ、終わらないらしい。


fin.

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