こすぱに!

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『……野球?』
『うん、ちょっと押切ゆうとしての約束を果たしにいこうかなって』

 何故私がこの姿になってしまったのか当人にも分からなかったけどひとつだけ確かなことがある。
 このままでは押切ゆうとして並盛中学に通えないことだ。門の前で草壁くんたち風紀委員に首根っこ掴まれて追い出されるパターンが目に見えて分かる。といってもその一番上は恭弥だし咬み殺されることはきっとないのだろうけど。

 結果的に私はあれから誰にも見つかることのないよう恭弥の生活空間の一部に転がり込み、今日まで何とか生活をしている。
 人の目を隠れて、なんて言葉にすると暗く感じられるけど私が警戒するべきはツナ達だけ。恭弥と話し合った結果、押切ゆうとしての姿ではない今はそれの方がいいと快諾され学校に通うこともなく自由な生活を送っていた。そりゃそうだろう、私だって混乱は避けたいし何よりツナ達との最後の会話が会話なだけあり今の姿を彼らの前に見せたところで…まあ一番の証拠となるだろうけどやっぱり避けておきたい。せめて原作が、漫画の通りに進んでいる今だけは。

 とは言え黒曜編が終わってからの彼らの生活は特に描かれていなかった気がする。今となれば記憶も随分と薄れてしまっていたけど確か近いうちにヴァリアー編へと進んでいた。それまで普通の学生生活を送っているのであれば別に平日の昼間に学外で出会うことは殆ど有り得ない。
 気にすべきは学校の登下校時間。この家と学校は近いから放課後のチャイムが鳴る頃には家に入り、また夜になるまでは出ない。そうやって気をつけていれば私は誰とも出会わずに生活することが可能だった。


『それって』
『絶対バレないし、名乗らないってば!大丈夫だから』

 結局М・Мに会うこともなく今まで暮らしていた部屋へと戻ってから日常はすっかりと変わってしまっていた。一番顕著に変わったのは恭弥だろうか。心配性という訳ではないけれど基本的に家の外を出ようものならばやれ許可をとれだやれ連れていけだと口酸っぱく言うようになってしまったのだけどこれはこれで、私の今までの行動の結果なのだし仕方ないと受け入れてはいる…ものの、だ。
 驚くほど過保護になってしまった恭弥を説き伏せるのはかなり至難の業だったけど絶対に彼らの傍に寄らないことを約束し、それからタイムリミットは恭弥が迎えに来るまでと言われてしまえば急がずにはいられない。

 ちゃんと1時間は居させて欲しいということ、恭弥は並中の屋上スタートだからね、と一応念のため言ってみると盛大な舌打ちが聞こえたもので、すぐに追いかけてくるつもりだったらしい。まったくもう、どういうことだ。


「……危なかった、なあ」

 まあそんな初っ端に会うとは思っていなかったけどあれは不測の事態、ノーカウントということで。まさか野球場に着いたものの入り口が分からずグルグルと周りを歩くような迷子になるとは思ってもみなかったし喫煙所に行き着いたら隼人が堂々と煙草を吸っているなんて思いもしないでしょう。
 ちょっと会話はしたけれどバレてはいないだろうし、名乗ることだってなかった。アレはセーフだ。大丈夫。
 怪我もどうやら治ったらしい隼人の様子には安心したし、別に私が押切ゆうであると分からなくたって気に病むことはなかった。それが、当然なんだと。М・Мや恭弥が普通じゃなかったんだと改めて感じている。


 隼人に教えてもらった入り口から何とか並盛側の観戦席へと辿り着くと少しの間は立っていたけど空いている場所を見つけてそこへ座り込んだ。
 ようやく少し涼しくなり、今日は試合日和。山本の試合である。
 ツナ達だって見に来ているのだから本来ならば私も此処に来ない方がいいということは分かっている。それに当然誘われてもいない。何の為に行くのか、と聞かれればそれは恭弥に応えた通りだ。
 これは私の意志。随分前の練習試合、見に行けなかったその約束を、守れなかった約束を、果たしにやって来た。

 テレビで高校野球を見たことはあっても実際こういうところに応援しに来るような学生生活を送っていなかったものでどうすればいいか分からず試合開始までぼんやりとグラウンドを見ながら、唯一持ってきた携帯のボタンをポチポチ押して遊ぶ。こういう時にスマホがあればちょっとしたゲームも出来るけどこの携帯にそんな便利機能が入っているはずもなければ連絡相手は恭弥しか入っていない。

 …試合、早く始まらないかな。

 家を出た時間が少し早かったものだからタイムリミットも早い。2時間待ってと言えばよかったか、なんてそんなことを思いながらそれを何十回かしている内にひょこっと私の隣を誰かが座った。
 間もなく始まる試合の為、そろそろ周りも人が増えてきたようだった。「ごめんね」と言いながら少し寄って場所を空けると、ふと見えるのは子供の足。いかにもこれから応援するつもりだろうと私の真横に見える小さな手。それから、


「…久しぶりだね」
「?おねーさん、だあれ」
「残念だけど私、迷子だった君と一度会ったことがあるんだよ」

 きょとんとする少年からするといきなり話しかけて来たこの大人は一体誰なんだと言ったところだろうか。私だって元の世界に居た私ならばこんなこときっとしなかっただろうよ。
 だけど今は違う。
 ここにやって来たからには会えるかなと思っていたから驚くことはないし、元々彼のことは”知っている”。恭弥を連れてこなかった理由の一つだし、わざわざ人がたくさん居る場所から、…ううん、ツナ達から大分と離れた席に座ったのは万が一聞かれたら困るから。


「こんにちは、みー君」

 藤森みつる。

 それが私の隣にちょこんと座った男の子の名前。
 よくよく考えれば私は彼と並中で会ったことがある。あの時は気が付かなかったけど黒曜編の終わりがどう締めくくられたかを思い出している最中に私の記憶にポッと彼の顔が現れた時はあー!!と叫んで恭弥に喧しいと怒られたわけだけど。
 まさか前回の不思議体験時に接触済みだったとは思わなかったし、私だってよく思い出したなと自分のことを褒めたいレベルだ。

 と、言うことでこの少年は当然ながら只者ではない。いや少年自身はきっと普通の子なんだろうけど今、その身体を動かしている人物は、というべきなのか。
 本人は隠すつもりもないらしく大きな目が一度パチクリとしたかと思うとクフフ、とその幼い顔をしたまま聞き覚えのある声で笑う。黒曜編を目の当たりで見ていなかったからそういう意味では骸の能力を垣間見たのは初めてかもしれない。しかし見た目が子供なのに声が骸って違和感しかないよ、やっぱり。


「どうやら上手く馴染んでいるようですね」
「おかげさまでね。だから、骸にもありがとうって言いたくて」
「聞こえません」
「…相変わらず、手厳しい」

 ところで私は骸にとんでもない借りが1つある。
 それが以前骸に会ったあの日のことだ。”でざいなーずるーむ”に居た骸に選択として提示された選ぶ権利とはすなわち今後をどうするかということだった。リボーンの世界に居座るか、それとも全てを放棄し元の世界に戻るか。
 ちなみに後者の場合はとても簡単だったらしく、やはり私をあの場で殺してしまえば恐らくは元の世界に戻れたのだという。

 だけど私はこの世界にまだ居たいのだと望んだ。
 この世界にまだ居たいのだと願ってしまった。

 そうですかと骸が大して驚かなかったのは私が”でざいなーずるーむ”に依存したのと同じぐらいこの世界に執着していたのがどこからかバレていたということ。
 以降、この世界に戻ってから私の中では何かが確実に変わった。その一つが、不安。それが取り除かれたことだろう。
 私は今、いつ元の世界に戻ってしまうかという不安から解き放たれた状態にある。


「まだ、平気そうですね」
「…それもおかげさまで」

 そうやってみー君…じゃなかった、骸の小さな手によってグンッと私の胸元から引っ張り出されたのは首元にかかっているネックレス。
 私が元々持っていたものでもないし、骸からもらったものでもない。トップにはその細いチェーンのネックレスには不似合いな、少し大きめのリングが通されている。

 見た目は…そうだなあ、夜店で売っているような透明の指輪といったところだろうか。だけどこれには不思議な力が備わってあり、今は藍色に淡く光っている。自分の手でそれを添えるようにして持ち上げると私の体温で温められたとはまた違った温もりを感じるし、変な感じ。
 だけどこれが重要な役割を果たしているということはまだ私と骸だけしか知らない秘密だ。

 これが、…この世界で言う私の心臓。私がこれまで沢山抱いてきた疑問に答えてくれる鍵となる。
 私はこの世界に来ることにより、体質が少し変質化してしまったのだという。


『まず、君には死ぬ気の炎というものが巡っていません』
『…死んでいるということ?』
『それに近しいものと考えればいい』

 驚くことに、これは骸と2度目に出会った”でざいなーずるーむ”へ入る前から私が身につけていたのだと言う。
 なら考えられるのはたった一つ。これが私や骸が作り出したものでないというのであれば、…バミューダからの贈り物ということになる。


『僕は”君を生かすこと”にした。君は後々きっと役に立つからね』


 言われた時にはわからなかったけど、きっとこれの事なのだろう。指で弾くとこれがまた意外と硬い。変わった材質で出来たこの指輪は骸曰く死ぬ気の炎を灯すことができるのだという。

 この世界では血が循環しているのと同じぐらい当然に、死ぬ気の炎が巡っている。ヴァリアー編や未来編でそれとなく読んできたから大体のことは分かっていたけど、もちろんそれは私だって例外ではないらしい。
 間借りする形で舞台に立つことが許されていない私でも、生きる条件というものがある。それが自分で作れないなら、待ち受けているのはすなわち死。

 それをどうにかするのがこの指輪というわけだ。


『つまりこれは死ぬ気の炎を入れて、溜めておく容器と』
『君の肉体へ直接的に灯すことも可能だがそれだと満たすには必要量が多すぎる。まあ、大層趣味の良い贈り物のようでよかったですね』
『……それは、どうも』
 
 壊れたり手元から離れたり、その温まりがなくなった時は死だと思わなければならない。その死の先が果たして元の世界に戻るということなのか本当に死亡するのかはよく分かってはいないのだけど。
 ということは前回私が元の世界に戻ってしまったのは、屋上から落ちたことが原因であった訳でもなく、不良達から受けた暴力の所為ではなく、私の中にかろうじてあった死ぬ気の炎を使い切ってしまったから起こった、強制的な帰還。炎切れを起こさなかったら私はあんな状態であっても生きていたのだ。

 ここまで聞けば私だって何となく意味は分かってくる。いやこれリボーンの漫画を全巻読んでいないとわからない話だったんだろうなというのは未だに思ってはいるんだけど。
 死ぬ気の炎を灯すための容器を与えられ、それからあの場でじんわりと感じた温もりは、その時に見えた視界の”黒”は彼の炎を与えられたということであり、

 私は体質だけで言えばイェーガーと同じというわけだ。

 彼らの持つおしゃぶりよりもこじんまりしているけれど死ぬ気の炎を集約する役割を持った容器を私は胸元に引っさげていることになる。…そこから考えればこの指輪の原料も何となく想像がついてきたけどそれに関しては恐ろしい答えしか出てこなかったのでこれ以上は考えないようにしている。


『ではその空っぽの脳みその中にこれだけ、覚えておくといい』

 骸は私のことを散々詰りながらも私に色々と教えてくれた。まとめると、こうだ。

 ひとつ、私はこの世界においては既に普通の人間ではないこと。
 ふたつ、私はこの指輪によって生かされていること。
 みっつ、私は自分で死ぬ気の炎を作り出せないこと。
 よっつ、死ぬ気の炎を得るためには定期的に他者から供給を受けること。


「その様子ではまだ言っていないようですね」
「……」
「近くにいるでしょう、体のいい供給者が」

 無言になってしまった私を見て骸はハアと演技がかった様子で大きく肩を落とす。
 どうでもいいけど彼は人のことを小馬鹿にする術にはとんでもなく長けているような気がする。骸らしいと言えば骸らしいけど見た目が可愛いらしい少年であるだけにそこまで腹立たしくもならないのが何とも羨ましい。

 でも骸の言いたいことはよく分かっているつもりだ。自分で死ぬ気の炎を作れなくて、イェーガーのように供給を受けられなければどうなるか、ということぐらいは。
 生きるためには誰かの炎を受け取る必要がある。そんな事を私が話せる人間なんてこの状態では骸を除けば一人しかいないのだから。

 要は恭弥からこの指輪に灯された炎が尽きる前に死ぬ気の炎をもらえと、そういうことなのだ。
 そこまで詳しくはないけれど別にもらったところで恭弥の身体にどうこうという変化はないし、そもそも身体の外に出させてしまえばそのまま消えてなくなるのだからもらってしまえばいいだろうと。あれなら今から沢田綱吉をけしかけて溢れ出る炎をもらいに行きましょうか、なんてしれっと言うものだからそれは慌てて引き止める。何と恐ろしい事を考えつくのか。


「…ちゃんと、言うよ」

 どうやらバミューダ以外の復讐者達よりは燃費のいい身体をしているみたいで数日経過した今でも炎が弱まった感じはしない。だからそれに安堵して恭弥に言っていない状態なのだけどいつ尽きるかわからないし、いつ以前のような事件に巻き込まれて無駄遣いをするかわからない。
 分かってる。…分かっては、いるつもりなんだけどタイミングがなかなか無くて言い出せずに終わっている。


「自滅ほど情けないものはありませんよ」
「…分かってる」
「なら良いですが」

 しゃらり、と指を離され指輪は私の胸元へと戻っていく。
 硬度がどれぐらいなのかもわからないこれは確かに怖い。謂わば心臓が外に出ているようなものなのだ。体質としては復讐者達と一緒だし、こうやってその弱点を外に出しているという点で言えばアルコバレーノ達と変わらない。そう考えれば彼らの精神力というものは強靭なのに違いない。…いや、きっと彼らだって元は人間なのだから相当戸惑っただろうし不安だったに違いないだろうけど。

 ワアッ!と歓声が上がり気がつくと試合は少しずつ進んでいた。
 現在、同点。次は並盛側の攻撃という事で並盛側に座っている人達も白熱し、応援している。そんな中でこんな暗い話をしている私達の会話なんて誰も聞いていないに違いなかった。
 だけど、どうやら骸もお迎えが来たらしい。みー君!とどこからか聞こえるのはその子供の母親か。振り向くと美人なお母さんがみー君を探しているようだったけどこの皆が立ち上がった中で彼を探すことに一苦労しているらしい。そして骸もまた、私の影にそっと隠れたということは恐らく今はまだ彼女の前に姿を現すつもりはないようだった。


「どうでもいいですが君、今夜の晩御飯は何ですか」
「え?うーんそうだなあ…ハンバーグにしようかなって思ってる」
「…そうですか」

 わからないまま答えた後、ああそう言えばみー君がお母さんに晩御飯を何にしようか聞かれていたっけと思い出す。…骸はきっと日本食なんて、知らないもんね。
 あとから同じように聞かれてハンバーグと答えたら昨日食べたでしょう、なんて突っ込まれることは今の私だけしか知らない。
 余計なことを教えちゃったなと思いながら私はツナ達の居る方向へと指を指す。「ちなみにあの子達はあっちだよ」「…ええ、」骸は少し驚いた様子が見えたものの頷き私の前を通り過ぎ通路側へと移動する。

 さて、それじゃ骸ともこれでお別れなのかな。また彼があの世界にやってくるならば話は別だけどきっと来てくれはしない気がする。なんていうのは私の超直感、なんてね。
 「骸」だから私は骸の、今はまだ小さな身体に声をかける。腰を浮かせ、その小さな手を取ると驚いた顔をした骸はやっぱり元がみー君だから年相応にしか見えない。訝しげに眉根を潜め心底鬱陶しいというような表情は勿体無いから止めておいたほうがいいと思うよ、ホント。もちろん、そういう表情見せるのは私ぐらいなんだろうけどさ。


「…何ですか」
「Arrivederci」



「汚い発音です、練習しておきなさい」

 最後まで骸は容赦がなかった。ああ、まあうん分かってたけど。でもせめてもう少し優しく言って…くれる訳ないですよね、ソウデスヨネ。練習しておきなさいってことは今度また聞いてくれるってことでしょう?
 そのまま手を離しバイバイと手を振ると少年の顔のままハッと鼻で笑い私に背中を向ける。だけどそれから僅かな時間の後、こちらを見ることもなくひらひらと手を振り返してくれたんだからそれで十分かなーって。

 ――Arrivederci
 また会いましょう。…今度は君も、生身で。

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