こすぱに!

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 分かる、だとか分からないとかそういう問題じゃなかったの。ただ理解した。それだけのこと。


「久しぶりね、ゆう」
「…M・M」

 あの任務に失敗した日から既に1週間ほどが経過している。私はあの日のことをきっと一生忘れはしない。みじめなものね、この私が立ち向かうこともできず逃げるだけしかできなかったなんて。

 既に過去何度か牢獄に入れられ、その都度脱獄している私は骸ちゃんほどやらかしてきた規模は大きくなかったけれどそれなりに知名度はある。人だって殺してきたし、潜入して情報を聞き取る方が得意ではあったけど何処かに与することもなくフリーの暗殺業をやって来ていたのだからそれなりにリスクも覚悟していたつもり。
 何をしたって自由だけどその代わりに後ろ盾がない。私はいつだって1人で、それで生きてきた。人を陥れたこともあるし裏切られたことだってある。その過程があって今の私がいる。誰かを蹴落としたって今更何も痛まないわ。そう思っていたのにそれは彼女の所為で変わった。


 私は悔いた。
 私は、彼女を見捨てた自分を恨んだ。


「元気にしてたの?」
「え、あ、…うん。一応、元気…かな?」
「そう」

 髪の長い女にやられたものの口に含んだ毒の量はそんなに多くもなく私はあれからすぐに目を覚ました。
 だからといって倒れた私に対し見張りを付けているわけでもないし拷問にかけられるようなこともなかった。本当に驚くぐらい何も考えていない連中なんだわ。彼らの目的はただ骸ちゃんを倒すこと、きっとあの気に食わないランキングフゥ太を取り戻すことなんでしょう。それ以外に見えていないって本当素人もいいところ。一人ずつ倒してそれで勝ったつもりなら大間違い。1度負けたからって戦闘に戻ってこないなんて決まってはいないもの。

 とにかく私は骸ちゃんとの契約があった。もちろんいざという時には自分の生命を最優先するわけだけど今回、骸ちゃんの手元にあるのはお金だけじゃなかった。だから私はそのまま逃げるんじゃなくてその場に留まった。あの人の狙う中には、既にゆうが含まれていたから。

 だけど、骸ちゃんは復讐者に連れて行かれてしまった。
 きっと今回脱獄した人間全員がそれに当てはまるのだろうと分かっていたしそれなりに覚悟もあった。この生活をしていればいずれやってくることだもの。私も連れていかれる予定だったのだと。…なのに復讐者にとって優先順位はゆうの方が高かった。だから私はきっと隠れていたのに気付かれていたというのにつれて行かれることはなかった。私はある意味、ゆうに助けられたようなもの。


「顔色悪いわね」
「…ねえ、」
 
 …どうして、この子なの。

 ランチアと共に首枷をつけられ引きずられていたその光景を私はただ見るだけしかできなかった。3人1組、もしも彼女を助けることに失敗すれば私だってその空いた枷を嵌められてしまう。考えたのは自分の保身。いつもの私ならばそれが当然だったというのに、日が経つほどに私はあの時の事を悔いていった。

 何故ゆうが連れていかれたの?彼女が何をしたというの?
 ゆうと一緒に過ごしていればあの子に何も特別な力があるようには到底思えなかったわ。人を殺す事だってできないだろうしスパイ活動だって不向き。…ただ、異端だったのは骸ちゃんが気になっていた”先読み”の子であるというそれだけ。
 それがどういう意味なのか私は知ることもなかったけれど復讐者にとってはそれが捕まえるほどの重罪だったというのかしら。人を殺したことものないような子がどうしてそんな目に遭わなければならないのかと、私はランチアやゆうの姿が消え去った森の中で茫然としていた。

 残されたのはゆうが残した大量の血、千種の針、引きずられた痛々しい痕。私は何もできずにあの子を見捨てたようなものだった。
 普段の私なら代わりに行ってくれたのだとラッキーと思うのにお腹の中に大きな石でも入ったかのような感覚で、それがずっと渦巻いていた。ああ、だから初めから思っていたのよ。あの牢獄の中で生きたいと思ったのは確かだけど、それでも手を差しのばした骸ちゃんは決して救いの人間ではなく”悪魔”だったんだって。

 過ぎ去ったことを思い返しても仕方はないと僅かに残った痺れから完全に解放されるまで無理をせず近辺で身をひそめていた。
 弱っていたと言ったって復讐者が来ない限りこの日本でその辺の輩に負けるものですか。私の唯一の不安だった復讐者による再捜索は為されず、結局彼らの目的は骸ちゃんたちだったと知る。私は大した事もないと思われているのであればプライドが許さないけど今回ばかりはそれが救い。
 黒曜センターはそれからかつての不良の溜まり場として戻り始めていた。雇用主であり、私の生命を脅かしていた骸ちゃんはもういない。…それから、ゆうも。それならばもう私はこの日本に用はない。
 結局買い込んだ荷物は自分の普段生活する場所に送り、あとは私も身をくらますだけ。


 ――そうね、最後にここに立ち寄ったのはあの子のことを思い出して、忘れるため。

 復讐者に捕まると死ぬまでそこに囚われるという噂はあるけどだからといって私に何が出来る訳もないのだもの。私に残ったのは思い出。そんなものだけ。

 だから驚いた。
 だから、…ソレを手にしたの。


「…私のこと、分かるの」

 その場所にたどり着く前、こんな場所に何の用があってその位置で立ち尽くしていたのか分からなかった。だって私よりも背が大きいし、ふと見えた横顔だって知らないし、声も違っている。知らない大人だった。彼女の声が聞こえなければ私は今頃この良い記憶のない土地から早々と去っていたことでしょう。


 『M・M』と。確かに彼女はそう呼んだ。

 まさか、という疑問ともしかして、という期待が入り混じったままカバンの中からスペアのクラリネットを構え彼女に向かって武器を突きつけた。もしも私の期待が当たっているのであればこんな事はしない方がいいと分かっているものの、それが外れた場合はいつでも臨戦態勢にあらなければならない。
 はたして、当たっていたのは抱いた期待の方。


「当たり前じゃない」

 正直ね、分からないわ。今目の前に居るゆうをつま先から頭のてっぺんまで見たところで信じられるものじゃない。
 だって私の記憶にあるゆうとは全然違うんだもの。あの地味な格好は変わらないけどもう別モノレベル。私の知っている彼女の面影なんて何ひとつ見当たらないのに、変わらないのはゆうの怯えた視線。
 彼女はいつもどこか、不安そうな眼差しをしていたもの。私はそれを取り去ってあげることはできなくて、それがどうしてなのか分からなかった。一人旅をしていたと言っていたのだからそこからきた不安かとも思っていたのに結局そうじゃなかった。

 それがあんたの秘密だったのね、ゆう。


「私はこれから日本を去るわ。あんたはどうするの」
「…私は、ここに居るよ」
「そう」

 ゆうが何も言わないなら私は聞かない。どうしてあんたが大人の姿なのか、どちらが本物なのか、結局先読みとは何だったのか。すぐに人の事を信用するようなゆうはきっと巻き込まれたのだと私は今でも思っている。私を騙そうとするなんて無理に決まっているし振り回されてきたに違いないわ。
 …それにどうせその性格だもの、今までもそうやって苦しそうに誰にも言わず黙っていたんでしょう。

 今にも泣きそうなゆうの顔は、どの姿になっても見たくもないものね。だってこの子は一時であっても私のものだったのだもの。あーあ、せっかく綺麗な顔をしているのに情けない顔をしちゃって。今のあんたを前みたいにデパートに連れていった方が良いものを買えたかもしれないけど残念ながら私にはもう時間がない。
 それにゆうもここから離れないのであれば、ここが別れの場所。会った場所で離別なんてまあ悪くないんじゃない?


「ゆう」

 クラリネットを手放すと私はそのままゆうへと抱きついた。あんたの方が背が高いなんてちょっと癪だけどこの際、仕方ないわ。いつか背、見返してあげるから少し待ってなさい。
 私の腕の中におさまった華奢な身体は一瞬ビクリと震わせたもののそのまま私の背中へと腕を伸ばす。えむえむう、なんて私の名前を情けなく呼ばないでちょうだい。泣き顔もきっと酷いんでしょうけどあんたの涙を拭くものなんて私は持っていないんだから。


「私はあんたが何者でも味方でいるって、そう言ったでしょ」
「…うん、」
「また会いましょう。それまで元気でいなさいよ」
「うん、」

 最後に見たゆうの顔はもう涙でぐちゃぐちゃだったけど、それが私の為に流されたものなのだから気分は悪くはない。
 ゆうに渡すものがあるからそこで少し待っていなさいと告げるとゆうは座って待っているとその場におとなしく座り込んだ。やっぱり顔色は悪いみたいだけど身体に別状はないみたい。時間かかるけどそこで待っていなさいねと再度念を押し、私はそのまま黒曜第2公園を去る。

 もちろん、そこに戻っていくつもりは2度とない。…だから、そのかわり、




「あんたに渡したいものがあるの」
『……君は』
「黒曜第2公園」

 特別出血、大サービス。無料よ。2度と私はこんな事をしないでしょう。あんたのことは大嫌いだけどゆうの為だから。

 私のカバンの中にあったのはたった一つの黒い携帯。後ろに風紀委員と書かれたシールがついているこの携帯はゆうの持ち物。そしてゆうが唯一気を許しているだろう人間と繋がりを持つもの。
 唯一履歴が残ってあるこの番号がきっとそれだろうということも、あの時骸ちゃんに痛めつけられた黒髪の男だということも何となく分かっていた。じゃないとあんな場所にわざわざ持ってこないでしょう。

 あんたがどんな人間でゆうの事をどう思っているのかは全く知らないけど、もしも彼女の為に黒曜センターに行ったのであれば少しだけ情けはかけてあげる。
 そして、これが私の懺悔。私は彼女を連れていけない。私じゃゆうの事を守ってあげられないから。


「あんたはあの子を、見つけることが出来るかしら」

 頼んだから。そう最後に告げると私は名も知らない彼の返事を待つことなく電源を落とし、公園の入り口に携帯を置いて今度こそ振り返ることもなく歩き出す。

 ……泣かせたら、許さないわ。

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