こすぱに!

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 キー、キー、とブランコの音を鳴らしながらかれこれ座り続けてどれぐらいが経過したのだろうか。公園のド真ん中に設置されている時計を見るともう1時間は優に超えているような気もしないでもないけど、たらたらと流れる汗はきっとこの暑さの所為だけではない。
 さっきから小さい子が隣に並んであるブランコに乗ろうとしては心なしかこちらを睨んだお母さんらしき人に引き止められているし相当私は不審者みたいになっているのだと思う。そりゃそうだろう私だって同じような人間を見かけたら警戒するに違いない。
 だからこそ私はハァと溜息をついて愚痴らずにはいられなかった。


「解せぬ」

 起きたら此処に居た。
 ブランコまでは私の足で移動したものの、気が付けばジャングルジムで寝こけているなんて最悪な目覚め方で…っていやいやこれ本当にスタート地点だから。どうなっているんだこれは。
 前回とシチュエーションが全く同じだったお陰で自分の身の回りの把握はすぐにできた。ここは調べるまでもなく黒曜第2公園。つまり2度目にやって来た時に私が降り立った場所であり、未だリボーンの世界である。…ということまでは分かるけど、だからといって何故こうなったかという疑問が解けることはない。ホント有り得ないから。有り得なさすぎるから。

 全部がリセット?ううんそういう事では決してなく、これはきっとあの日からの続き。黒曜編が終わってからの、続編。
 私の中には最初に此処へやって来た際に並盛へ戻った記憶も、恭弥に怒られた記憶も、黒曜センターを走り回った記憶だってある。骸にだってそんな巻き戻しの、過去に飛ばせるような力は持っていないだろう。
 だからこそ私は今また骸に会うことができたならあの綺麗な顔にやっぱり私のことが嫌いなのでしょう、恨みでもあるのでしょうと小一時間問いただしたい気分である。それに、


「……うーん」

 なーんで、こうなっちゃったんだろうなあ。
 押切ゆうとしてやって来て、色々と悩んで振り回されて。結果、黒曜センターの中で恭弥に帰っておいでと言われた今ならあの日からきっとそんなに日にちも経ってはいないだろうってことで迷子になりながらも歩いて帰れる。怒られるだろうけど恭弥には受け入れられてもらえるような気がするのは自惚れではないと信じたい。その辺りは少しだけ成長したと実感はある。
 だけど、今の状態でならどうだろう。と染めたての茶髪をくるくると弄びながら足元を見続けた。

 再度“でざいなーずるーむ”が来いなんて言うつもりはない。あれは私の感情の昂ぶりとともに現れ、そして元の世界に連れていくための前兆。現れない方がこの世界に留まることのできる可能性は高い。
 なら何に悩んでいるかと言えばそれは私の方に起きた異変にある。さてどうしたものかと驚いたのは手を洗いに誰も使っていない公衆トイレへと足を運んだときだ。

 それまで私は気付くことがなかった。だって自分で自分の顔なんてあまり見る事がないのだから。取り敢えず落ち着くためにと前回と同様手を洗いきっと酷い顔をしているだろうとは分かっていながら顔をあげた私は鏡と数秒間見詰め合うこととなった。


「……うそ」

 私、だ。

 …うん、何を馬鹿なことをと思うけど実際そんなことしか思うことができなかった。
 そこに映るのはもちろん私であり、それ以外が映ればきっとホラー。わかってる。だけどこの世界においてそこに居るのは黒髪の眼鏡をかけた小柄な女の子であらねばなかった。中学2年生として並盛中学に通う少女。京子ちゃんよりも、М・Мよりも背の低い、いかにも読書が似合いそうな絵に書いた真面目な見た目。それがこの世界で私が与えられた姿・押切ゆうだった。

 今までその姿か、”でざいなーずるーむ”を通して恭弥になったかのどちらかであったはずだった。となればそこに映る、想像できるのはたったひとつな訳で。
 なのにそこでキョトンと馬鹿面を晒しているのは藤咲ゆう。元の世界、私が生まれ育った世界と同じ姿だった訳で。


「夢、…じゃないよねえ」

 見慣れているはずなのに随分と久しぶりに見た私の顔。別人に見えないこともないぐらいには、離れてしまっていた本来の私。鏡を見ながら自分の頬をぎゅっと思い切り抓ってみたけどこれはまたいつもと同じく痛みがない。感覚はあるし夢ではないだろうけどこれは一体どうなっているのやら。
 ま、当然そんな疑問に答えなんて出てくるはずがない。私の脳でそんな事が考えられる訳もない。
 そうしてまたトボトボとトイレからブランコの方へと歩き今に至る。

 溜息を何度吐いたか今となっては思い出せないほどに、悩んだ。
 どうしてこの姿になったのか。こうなることを誰が想像したのか。最初からこれであれば何も不思議ではないのに、2度の連続した不思議体験の後に3度目にしてこうなってきたのだから驚くのも当然だろう。今になって正常に戻されたとあっても私は困るのだ。
 この姿で果たして大丈夫なのかと私の立てていた予定がガラガラと音をたてて崩れていく。

 ここで並盛に戻ったとしよう。
 ただいまと帰ったとしよう。

 恭弥が私だと分かる可能性は限りなくゼロに近い上にふざけるのも大概にしろとトンファーでぶん殴られるのなんて火を見るより明らか。
 いや、元の姿はあの黒髪の中学生じゃないと知っているからどうなるかは分からないけどやっぱりこんなのを見られたら気持ち悪がられるに違いない。普通じゃなかったということを言葉にしていたとしても、どんな姿であったって変わらないよと言ってもらっていたとしても、実際目にすればきっと意見も変わったっておかしくはない。
 …うーん、それは十分に有り得る事案。いやこれは困ったぞ。不測の事態だ。


「押切ゆうとして来た方がマシだった、かも」

 起きてしまったことは元に戻ることはない。この世界、私に対しては殊更厳しいことを私は知っている。もう何を言ったところでどうしようもないことは分かっているんだ。分かっているん、だけど。
 そうやってぐずぐずして早数時間。
 ウロウロしたって鏡の前で変顔をしたところで鏡に向かって骸の悪口を言ったところで事態は変わらない。仕方ない。ならば暗くなる前に私は動かないと。以前は押切ゆうとしてだったから補導される可能性はあったけど、今度は逆に不審者として職質されては敵わない。私は今自分の身分を保証できるものなど何もない。復讐者の牢獄よりはマシかもしれないけど恥ずかしさ的に言えばこっちの方がよっぽど酷い。


 最終手段、”どうにでもなれ”

 思いついたのは悲しきかな、それだった。元々楽観的な性格をしているとは自覚もあるし、こんなところで悩んでいても時間がもったいない。考えるのは後からにしよう。どうせ黒曜センターに行ったところで骸はいないし、それなら少しでも可能性のある方へと行くしかない。
  ようやくそう自分を奮い立たせ立ち上がり、だけど汗でベッタベタのこの状態ではさすがに身体も怠い。少しだけ休んでから行こうと辺りを見渡して木陰へとゆっくり歩んでいく。そういえば身体は随分軽く今からなら走って並盛まで行けるような気すらする。いやもちろんそんなこと、しないけど。

 …あれ私あの時と全く行動変わってない?
 いやそんなまさか。少しはポジティブに生きているはずなんだけどなあ。


「あっつ、…」

 木陰へと向かえば多少は涼しい。けれど噴き出す汗は止まりそうにもなく、ハンカチも何一つ持っていないので手で拭っていく。今が何日かは分からないけど9月に入っているというのにこの暑さはどうにかならないものなのか。
 相変わらず手荷物がゼロの状態だったから仕方ないとは言え普通勇者見習いでも僅かな装備は持ってると思うんだよ。最低限のお金と。せめてタクシーとは言わない、ジュース1本買うお金ぐらい合ってもバチは当たらないと思うんだけどなあと思いながらジーンズのポケットを探ってみたけど何も見つかることはなかった。

 とにかくどこか座れる場所はないかと見回しながら、だけど結局ふらりと足を向けるのは以前の場所。知っている場所があれば寄るのは当然のことだと思う。前回はリング戦で利用しただろう体育館や図書室を彷徨いたりもしていたし、私は何かとこうやって記憶のある場所をふらつくクセでもあったのか。聖地巡礼?ああ、まあそういうのに近いのかもしれないけど。


「…M・M」
 
 そこはすぐに分かった。何もない、何も目印もない大きな木の下。
 公園の奥、人があまり来てもわからないようなここは子どもも大人も寄り付かず傍の散歩道をそそくさと足速く通り過ぎるような薄暗さと、ほんの少し薄気味悪さがある。
 彼女はあの時ここで休んでいた。暑そうにして、大きなツバのある女優帽を被った彼女がたくさんの荷物を抱えていたっけ。彼女は果たして、元気にしてるだろうか。


「あんた、暇そうね」


 そうやって話しかけてくれた彼女は今、どこで何をしているだろう。
 彼女が黒曜編を終えた後、どこかに行ったという記述は確かなかった。私が覚えている範囲では彼女が次に登場したのは随分先の未来編、それから虹の代理戦争。その過程がどうだったかは書かれていなかったけど一緒に骸と連れて行かれた可能性もあるし、そうでない可能性もある。
 ランチアさんと一緒に連れていかれたように思えたけど他の組で連れていかれている可能性はある。結局話すどころか見ることもなかったバーズ達の行方も知らない。だけど10年後には牢獄に居る訳ではなく外の世界にいる。未来編では彼女は動いている。ならば彼女はどこかで今も生きているし、元気に過ごしているのだ。だってM・Mだもの。

 
 また、会いたいな。

 そう思ったのは当然のことだ。結局黒曜センターでは会うこともなく離別は手紙で済まされてしまったのだから。だからだろう、ここに足を運んだのは。
 
 だからだろう、彼女の名前を無意識に呼んだのは。


「へえ、私の名前を呼ぶなんていい度胸してるじゃない」
「っ!」

 聞いたことのある声が後ろからしたというのに私の身体はそれ以上動くことはできなかった。感じられるのはピリピリとした殺気、それからヒタリと冷たいものが頬に当たっている。頭に目がついている訳じゃないけど振り向かずともそれは分かっている。この、後ろにいるのが誰なのかは。これが幻覚ではない限り、彼女であることは。

 いや確かに会いたかったのだけどここでそれを叶えられても困るわけだ。今の状況では不味いことだってもちろん分かっているんですよホント。


「……」

 ちらりと視線を落とし頬に押し当てられたものが質量のある黒い輪状のものであること、可能な範囲でさらに奥を見ようとすれば細く白い指、そしてこの黒い物体が楽器であり彼女の武器であることを確認すると彼女のお得意分野である攻撃でチンされてしまわないように大人しく手を挙げ、降参のポーズ。
 確かに痛みは感じないかもしれない。実際チンされてしまった場合どうなるかっていうのは見たことがなかったから想像もつかないけどきっと少年漫画にあるまじき光景が広がるに違いない。人体が溶けるのか内部から破損するのかはわからないけど平穏なこの場所でそんな死体を転がす訳にはいかない。黒曜の皆様ゴメンナサイ、だ。


「まさかまた、ここで会えるなんてね」

 何の脈絡もなくパッとその物体、クラリネットが私から離れたことに安堵すると恐る恐る振り向き彼女の姿を目でとらえた。

 そこにはやっぱり私の想像通りの子が居たのだけどあの時とは様子が違う。
 暑さにやられ、荷物の重さに疲弊し不機嫌そうでそれでいてどこか不安げだったあの時の顔は何処へやら。変わることのないのは見慣れた鮮やかな髪色、その手に持つクラリネット。足元にあるのは彼女の名前が印字されている高そうなカバン。纏っている黒曜中の制服は初めて着た当初よりも少し傷つき汚れていたけれどそれを物ともせず。

 久しぶりねと不敵に笑うM・Mは戦う女の子であるということを改めて思わせる堂々とした立ち姿で私を見返していた。

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