こすぱに!

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「人の顔を見て悲鳴をあげるなんて失礼ですね」

 黒のスラックスにワイシャツという出で立ちの彼は本当に10代なのか疑問に持つほど色気があっていやもう本当はご馳走様ですと言いたいところだけどそれどころじゃない。

 リボーンの世界へ行った事は忘れたくない記憶だった、というその言葉には嘘偽りもない。だけどこの人に関しては、この人との出会いに関しては完全に忘れたいものだったというのに。
 彼とロクに話したことはない。だけど、この人の身体は知っている。あれは事故だった。避けることのできない、事故だった!よりによって彼に素っ裸を見られそして私も彼の裸体を見てしまうというハプニングは今の今まで忘れていたというのに。

 私の慌てふためく様子なんて気にもしていない六道骸はクフフとその口元に笑みを浮かべて部屋へ更に一歩入って来た。うわー本当にこんな笑い方してるんだなあ、すごいなあ、なんてすっとぼけた感想を抱くも恐ろしい人であるには違いない。
 伸ばされた手は間違いなく私を捕まえようとし、数歩後ずさる。


「…逃げないでください」
「じゃあ、こっちに来ないでください!」
「それは無理です」

 怪しげな笑みを浮かべたままこちらへ歩いてくる彼に対し私は同じ速度で後ろに下がる。
 出口はあのドア一つ。…いや、最悪窓を開けて飛び出すことも考えたけどその外の風景は未だ私の知る場所ではない今、得策ではなかった。


―――バチンッ!

 とはいえ所詮はそこまで広くもない趣味の部屋、”でざいなーずるーむ”。
 あともう少しでその手に捕まると思ったその瞬間、私と彼の間に電流のような何かが走る。私にとってはただの大きな音だけだったけど彼は何らかのダメージを受けたらしい。突然頭を押さえその場に膝をつく。
 顔が見えなくなるその一瞬、彼が痛みを耐えるようなそんな顔をしていたことを私は残念ながら見逃すことができなかった。何があったのか分からないけどこんなところで倒れられるのも不味い。後ろに下がって逃げていたものの慌てて骸へと駆け寄った。


「…大丈夫?」
「クフフ、…なんてね」

 半分しゃがみこんだその体勢から肩を押され私の身体は呆気なく後ろにあったソファに背中からダイブした。


「っ!」

 視界が目まぐるしく動きながら演技だったのかとようやく理解した頃には遅く、その上から骸がのしかかってくる。慌てて身をよじろうとしても片方の手首は骸によってがっちりと押さえ込まれているし私の足と足の間に彼の足が割り込まれ何だかとっても危険な状況にあった。
 こういうシーン、えっちなアニメで見たことある気がする。こ、こんな展開少女漫画だけだと思っていたのに。全くの身動きが取れない今、抵抗するといっても睨むだけで、骸は変わらずクフフと見下ろすばかり。


「なかなか、いい光景ですねえ」
「!?」

 その視線が私と合うことはなくもう少し下にあることに気が付く。
 そういえばさっきまで制服を脱ごうとしていたことをすっかり忘れていた。グッと顔を起こすと結構大胆に下着が覗いていて、半ば反射的に空いた手でブラウスを寄せると「残念」と大してそうも思っていないような口調で呟く。
 骸の空いている方の手が目の前へとやってきた。何事かと身を強張らせると至極自然に私の片頬を包み込む。決して甘い雰囲気では、ない。その頬に触れる手はゾッとするほどに冷たく、そして口元にはその手に負けないような酷薄とした笑みが貼り付けられていて、


「さあ、答えてもらいます」
「…」
「君が一体何者であるかという事と、そして…この異質な場は何だということを、ね」

 目の前に広がる彼の瞳は確かに綺麗な赤色だなと彼の瞳をしっかりと見たその瞬間、ぞくんっと身体が震えた。心無しか一瞬だけ、六の文字が大きくなった気もする。


「…ぁ、」

 体温が一気に下降し、震えが止まらない。
 この人の言う事を聞かなければならないと全身が私に命令をしているような、そんな感覚に陥る。答えなければ。一刻も早くお答えしなければ。

 わずかに動くその身体で彼の鋭い視線から逃げようとしても固定されてある手が私の抵抗を全て奪っていき、瞳から視線をそらすことを許されはしなかった。その目は私のことを見透かそうと、奥底まで覗き込もうとしていた。
 さあ答えなさい藤咲ゆう。あなたは一体何者なのか、この目の前の人に、…


「わたし、は、」

――私が、一体何者だって?

 熱に浮かされたように何も考えていないくせに何かを口にしようとした私はふと脳裏に過ぎったその疑問にストンと落ちつく。私が何者かなんてその答えは私が一番よく知りたいのだ。
 骸の右目が怪しげに揺れているけれど知ったこっちゃない。ガシッと彼の腕をつかむと驚きに見開く彼の瞳。


「知らない」
「……は?」
「私も、教えて欲しい。私は何なの?ここは何処なの?…っ、ここは何処で、どうして私は此処にいて、どうして貴方が此処にいるの!?」

 聞けるチャンスは今しかない。
 もしかしたら彼は何かを知っているかもしれない。この変な場所…いや、元はといえば私の部屋だけどこの”でざいなーずるーむ”は一体、何なのかということ。

 そして、今、この場。その、ドアの先。
 彼が現れている時点でおおよそドアの向こうはリボーンの世界である可能性が高いような気もしないでもないけどそれでも並盛に続いているというわけではない気がする。もちろん私に超直感なるものはないけどこれは今までの経験上だ。
 じゃあここは何処なんだ。”でざいなーずるーむ”はどうして彼に見つけられたのか。


(…それに、この人は”いつの”彼なのか)

 私が経験したのは日常編。つまり、彼はまだ登場もしていないそんな時期で。
 彼の答え次第ではイタリアにすっ飛ばされる可能性も、もしかしたら復讐者の牢獄の可能性も、はたまた彼を連れて私の世界に戻る可能性だってある。
 いつの時代の彼であるかまで教えてくれたら一番こちらとしては手っ取り早いけどさすがにそんな質問をすれば終わりだ、色々と。


「…ックフ、」

 疑問をぶつけるとしばらく驚いた表情で黙ったままの突如骸は楽しそうに笑い出した。
 クフクハなんて初めて聞いたんだけど。口にしてしまおうならば絶対噛みそうな文字の羅列と、彼がこんなに笑ったことなんて初めて見たわけで逆にポカンとする私。っあ、ちょっと噎せた。苦しそう。
 ひとしきり笑った後、彼は相変わらず私を見下ろしながら笑いすぎた所為で浮かんだのであろう目尻の涙をふき取った。


「なるほど、君は異質な人間のようだ」
「!」
「クフフ、それでいて無自覚なのか…それともただ巻き込まれた哀れな人間なのか。良いでしょう、教えてあげます」

 彼が怖かったのは骸のさっきから浮かべ続けている笑みが冷ややかだったからだ。
 赤い瞳も先程とは違い、嫌な感覚はしない。


「この場は君が思い浮かべ、依存した君だけの世界です」
「…」
「聞いていますか?」
「いでっ」

 デコピンされた…骸にデコピンされた!でも小突くなんて可愛いものではなく普通に、痛い。
 けれど発言の内容に小首を傾げざるを得なかった。”でざいなーずるーむ”が私の、私だけの世界?何言ってるのこの人。クロームと同じ事に陥っているってこと?でもあの子との出会いはすごい綺麗な自然だったじゃないか。どうして私はこんないつもの自分の部屋なんだ。
 それに私は生身の人間で、術士でも何でもないはずだしクロームみたいに彼と一心同体ではないし、髪型もパイナップルなわけないし。そもそも今回は前の時みたいに階段から落ちたりしていないはずなのに。


「…この部屋が、私の世界、で」
「はい」
「あなたはただ興味を覚えて入ってきただけ、と…」
「ええ、そういう事になりますね」

 この人の趣味にそういうところをお散歩することって書いていなかったか。精神…じゃないな、幻想世界。あれ、そもそも幻想世界って何だっけ。
 私の脳の中?夢の中ってことで…いいのかな。つまり今の私も彼も、夢の中みたいなふわふわとした曖昧なものっていうことで…ん?ってどういうことなのだろうか。
 それってすごいってこと?私寝てるってこと?


「…」
「おやおや、容量の無い頭ですね。もう少し考えなさい」
「ぁいだっ!」

 再度ぺチン。痛みを感じる夢なんて困ったもんだとひりひりと痛む額をこすった。
 そもそも私が意思を持ってこの部屋に入れたことなんて恭弥の姿になるために使ったあの時だけで、それ以外はずっとこの部屋が勝手に現れたのだ。
 そしてあちら側の世界から元の世界に戻るにはこの部屋が何らかの気まぐれを起こすか、…リボーンの世界で私が死ぬなり体力が尽きでもすれば戻れるのかもしれないけど、もうあんな経験はしたくもないわけで。

 きっと色んなことを考えながら百面相をしていたに違いない。
 そんな私の様子をしげしげと観察していた骸は盛大に溜息をつくと「馬鹿なんでしょうね」と聞き捨てならない言葉を呟いた。
 
 君それ独り言にしては大きすぎるから。聞こえてるからね。

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