こすぱに!

51  

 彼女の話を、しましょうか。

 押切ゆうは至って普通の人間でありながらその性質は全く普通ではなかった。
 2度目に彼女と出会ったのは精神世界での散歩中突如出現した扉の内側。牢獄を出てすぐ、さて次は何処へ行こうかと思い悩みながらの散歩の最中にそれは現れた。
 ”でざいなーずるーむ”と日本語で書かれているそのネームプレートのぶら下がった変わった扉は決して僕のいる世界を邪魔することなくひっそりとあり、その世界にノックし足を踏み入れると僕を拒絶することなく柔らかく包み込む。
 

『私も、教えて欲しい。私は何なの?ここは何処なの?』

 現状を把握できていない押切ゆうはただひたすら憔悴しきっていた。…己が、僕も彼女もその時点でここが精神世界であるどころか精神体であることにも気がついていなかったようにも見える。恐らく肉体と精神が分離していることにも気がついていなかったのだろう。稀にそういう人間はいた。
 精神世界というものは誰でも行ける訳ではなく、そして人によって様々な形がある。一番強烈な思い入れのある場所、…例えば死んだ場所、恨みのある場所、悔いの残った場所。僕のように生きたまま自由に行き来できる人間はそう多くもなく、だからこそ驚いたのだ。…僕の世界に干渉できるほどの強い力に。

 それが押切ゆうにとってはあの部屋だった。
 思い入れがあったが為に詳細に、綿密に作り上げられていたのだけは少し不可解ではあったが、触れてみればまるで本物。訳の分からないカツラや色の付いたコンタクトレンズをどう利用するのかは定かではなかったが、その感触に驚かずにはいられなかった。ただの術士による幻覚なんかよりも強固で、絶対にそれらがあるという一種の依存が作り上げていたのだ。それほど閉じこもりたい何かがあったのか、それともあの部屋にそれほどまでの思い入れがあったのかは僕にはわからなかったが。

 どうやって彼女がその部屋に引きこもっていたのか僕は経緯を知らないし興味がない。しかし肉体がなければやがて彼女の精神はそこで朽ち果てるだろう。
 肉体と精神、それはいつだって惹かれ合う一対。片方が朽ちてしまえばもう片方も然程時間はかからずに崩れ去る。そういう変えられぬ運命を持ち合わせている。


『僕と一緒に来ませんか?』

 けれど僕はこの人間の持つ力がどうしても、欲しい。
 その知識がどこまで僕の今在る世界で通用するのかは分からなかったがそれでも使えるモノが目の前にあるというのに手を伸ばさない理由などない。
 唯一厄介なのは僕のいた世界なるもののその先を知っているということ。つまり僕がどういう人間であるかまでも知識として有しているということだ。結局どこの世界での僕だとしても本質的なものは変わるまい。騙すことは難しいと考えていいだろう。
 
 出来るだけ先輩のように自分の力を行使する訳ではなく彼女自身の意思で、と思えたのはまずこの押切ゆうという女が何者であるか分からなかった故に契約をしこの僕が彼女の身体の中に入り込みたくなかったことが一番だ。
 次点での理由を挙げるとすればほんの少しだけ彼女の持つ雰囲気が居心地良いと思えたこと、そして何より彼女はマフィアでもなくただ誰かによって弄ばれている存在だと分かったからだった。

 この僕が珍しく同情したと言ってもいい。

 これはただのまぐれなどではない。この人間が怯え閉じこもっていた部屋はただの事象ではない。誰かが意図的に起こした奇跡に見せかけた偶然。きっとこの何も考えていない脳天気な女はそんなことに気が付いていないに違いなかったが。
 それでも僕のいる世界に興味を持っていることは聞かずとも理解した。ならば都合がいい。気を失わせた後、さてこれをどう僕の世界に連れていくかと逡巡した結果、不可思議な力に導かれ再度扉を開ければそこは僕の知っている精神世界ではなくなっていた。


 …使え、と。

 そこには一つの肉体が、落ちていたのだ。
 何処の世界のものか分からぬ廊下、くたりと力なく倒れていたその肉体は果たして人形なのか人間なのか判別付け難い状態でそこに在る。
 人形というにはあまりにも人間味のある、しかし人間というのはあまりに生気がない。これが彼女の本体だろうとすぐに分かったが恐らく次元を隔てたせいで人間か否かの境目をさ迷っているのだろう。

 例えば生命の危機に陥った時。例えば意図してそう在ろうと意志を持って行う以外に精神が肉体を離れることは滅多とない。先程言ったように肉体は精神が、また精神が肉体と分離してしまえば両者共に長くは持たないからだ。
 まるで磁石のように引き合い続けるそれらが離れるということは間も無く死を迎える人間か、僕のように特殊な力を用いることが可能であったのか、はたまた肉体と別れてでもしがみつきたい何かがあったのか。その理由を僕がうかがい知ることは出来なかったのだが、別にそんな事はどうでも良い。

 空(から)の器。

 ふと思い浮かんだのはエストラーネオファミリーでも執り行われていた研究の一端。人形に、生きた人間の魂を入れられるか否か。そんな事ができるのであれば死にかけた人間でも人形に魂を移動させることにより生き永らえるのではないかという外道極まりない人体実験がかつて存在した。つまり肉体が損傷したとあっても移し替えができるのであれば何度も代替の利かせる戦闘人形が幾つもできるのではないかとずっと継続し研究されているものだった。

 エストラーネオファミリーは僕の記憶が正しければ子供全員が皆ファミリー全体の子供として、道具になるのが当然として使われてきた。しかしそれもやがて資本は増えることない限り、研究が成功し続けない限りは尽きてしまう。
 僕の目もそうだ。この瞳はただの機械ではない。怨念、六道輪廻で得た記憶、体験が詰め込まれたメモリーカードのようなもの。マフィアに対する憎悪は確かに僕自身が持つものだったがそれを助長するのはもしかするとこの右目なのかもしれない。
 だからこそ彼らは急いでその研究を成功させる必要があった。その為に近くの子供を攫い続けていたこともある。あれはかつてない程に生贄を必要とする史上最低の実験だったのだ。


『ここまで、用意されているとは』

 残念ながら空の器の実験は失敗のまま終えている。
 そもそも人間の身体には血液とは別に死ぬ気の炎というものが巡っている。これが一体どういうものかということは詳細も明らかにされてはいなかったが、それは生きている人間である証であり、絶対不可欠のものだった。そしてそれらを目に見えるようにする術は、それのみを摘出する方法はまだエストラーネオでは発明されていなかったのだ。
 人間から抽出すると、それはただの臓器よりも厄介で瞬間的に保存することは出来るが、生きた人間ではない限り死ぬ気の炎を体内で作り出すことも灯し続けることは不可能だった。持続的に他所の、例えば誰かから新たに炎を供給しなくてはならなかったからだ。人形の身体という無機質な器に生きた人の精神を閉じ込めたとしても死ぬ気の炎が回らなければそれはただ短時間で腐っていくだけのナマモノ。
 ここで実験は放り投げられていたのだが、しかしこの人形のようなものであり人間のものであれば、もしかすると。


『押切…、いや、藤咲ゆうか」
 
 君という存在は、その身体、体質は恐らくどんな研究者であっても喉から手が出るほど欲されるものになるだろう。
 触れてみれば感じられる、柔らかさ。精神が離れてしまっていたことにより肉体は瀕死状態にはあったがかろうじて生きている。かすかではあったが上下しているのがその証拠。あとはこれの性質が変化することなく僕のいる世界に連れてこれれば成功だ。

 その変質間際の、人外に近い肉体に込められていた初期の炎は僕の本来持っているものとは違ったが僅かに同じ性質のものが少しだけ含まれていた。…これであれば、きっと。
 僕は研究者などではなかったが何故だか成功するという自信があった。
 気を失ったままのゆうの精神体を抱え、半ば興味本位で同じ顔をした細く壊れそうな肉体にそれを押し込んだ。仕上げは僕の肉体にも流れている死ぬ気の炎の供給。
 手っ取り早いのは血を飲ませればいいのだろうか…それすら分からなかったが何しろここでは僕も精神体。その冷たい肌に触れたまま力を灯すと青ざめた身体がゆっくりと血の気を通わせていくのが目に見えて分かった。今にも止まりそうだった呼吸がしっかりとしていく。時折目蓋まで動くとなれば後は時間の問題だった。


『…さて』

 やがて生きた身体と認識された彼女は歪んだ世界から、僕の腕の中からゆっくりと消えていく。さて、何処の世界へ行ったものか。彼女が何故か焦がれた僕たちの世界の方なのか、それとも何かしら思い悩んだ彼女の元の世界なのか。

 それは一種の賭けだったが世界は僕に味方をしていた。
 彼女はこちらの世界にやって来たのだ。僕の灯した炎が、或いは肉体が突然耐えきれず変質化し半端に崩れればそれまでかと思ったがその点だけでいえば彼女は運が良い。もっとも、まさか僕の知っている姿ではなく以前この世界に居たという押切ゆうとしての姿に変貌しているなんて流石の僕も思ってもみなかったが。

 ――何はともあれ、僕の力でこの世界へとやってきた人間ならざるモノ。ならば僕の力が消えると同時に化け物は本性を表す。それもまた、一興か。十分君で楽しませてもらいましたよ。
 ……それでは、



「……ああ……!」

 目の前には沢田綱吉が作り出した、目に見える死ぬ気の炎。為す術もなく浄化されていく闘志。これが皆、研究者ならば誰しもが欲したものか。そうか確かにこの力は素晴らしい。これがあれば、…まあいい。今更どうでもいい。
 僕が力を失ったことにより破壊された三叉槍。
 最早この肉体に力は一切入らず、目も開く気力さえなかったが沢田綱吉が安堵している雰囲気だけはよく分かる。今はもうこの身体で何をするつもりも、…否、その力さえ湧き上がらなかったが僕は不思議とまだ生き残ったおもちゃについて考えていた。

 …クフフ、彼らは未だ知らない。
 あの化物とこれらは確か知り合いではなかったか。他人の為に心を痛めた輩のその裏側でもうひとつの物語が終えようとすることを知らない。それが面白くて、可笑しくて仕方ない。
 一生懸命倒した相手が1人の人間を、化物を生き長らえさせていたことを知らないのだ。仲間の為に生命を張ってきた男が最後に1つ喪失するのだ。この場で大きく笑えないのが、種明かしをし絶望に染め上げられた顔が見れないのは残念ではあったが。


「終わったな」
「……」

 そうですね、終わりました。そしてもう一つも。アルコバレーノが告げた終わりはもう一つの終わりも示す。しかし君たちには関係のないことか。知らずに始まり、知らずに終えた哀れな女の終わりを僕は先に一番良い席で見守ることにしましょう。

 あの命は、僕のものだから。何をしようとも自由でしょう?ねえ、

×
- ナノ -