こすぱに!

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 身体の底から力が湧いてくるようだった。どうしてだろう、オレはただ普通の生活がしたかっただけなのに。皆と遊んで、…嫌だけど宿題もしなきゃリボーンだってうるさいし。ああそういえばランボとも遊ぶ約束してたんだっけ。それだって守らなきゃ後がうるさいんだよなあ。
 普通の生活からは急速に離れていっていたことに気付かずにはいられない。
 何でこうなったんだっけ。…ああそうか、並盛の人たちが襲われたからだ。全部六道骸が原因で、だからこれが終わったらオレはいつもの、のんきな生活に戻るはずなんだ。倒したいなんて今までのオレでは決して考えられる事じゃなかったけど今はここまで来てしまったんだから、逃げるわけにもいかないしダメツナなりにやらなきゃ。
 そう思っていたけど獄寺くんに憑依した骸からのダイナマイトで身体中が痛くて、…死ぬのかなって。


「……」

 冷たくて汚い床で倒れながら散々だった1日を振り返る。

 ボロッボロだ。
 どこもかしこも痛いし、口の中は血の味がするし。オレは喧嘩なんて嫌いだし、そもそもしたこともないし。それなのによく六道骸を倒そうなんて考えが出たとは思うよ。これもきっとリボーンの影響に違いないんだ。
 そうじゃなければオレは…誰も友達も居ないままのダメツナは、今頃部屋で怖がっていただけだっただろうから。


 ポゥ、と目の前が輝いたのはその時だった。
 オレに当たったのは小言弾という特殊弾らしい。リアルタイムで届く皆からオレへの小言が入ってきて、…これじゃ悪口を直接言われている方がマシじゃないかとすら思えるぐらい隠すこともない本音が駄々流れし始める。

 部屋の中を散らかしたまま来てしまって怒っている母さんや、日直日誌にうっかり混ざってしまっていた2点のテスト用紙を見て情けないと溜息をつく黒川の声に、最後の最後にまたダメツナって思い知らされるのかよ……なんて情けなくなりながら、だけど流れてくるのはそれだけじゃなかった。
 バーズからハルを守ってくれた10年後のイーピンとランボのいつもの様子、ハルの泣きながらの応援、オレの実力を認めてくれたお兄さんの、それから京子ちゃんの声に、ランチアさんの言葉に何だか温かくて強い気持ちが湧き上がってきていた。


「藤咲…を……」


 思い出すランチアさんが倒れる前の言葉。
 きっとあれは人の名前だった。ランチアさんも誰か知っている人が居たのだろうか。それとも他にもここに人質がいたのか分からないけどオレは残念ながら藤咲という人を知らなかった。
 だけどこれもきっと、骸を倒せば元通りになるに違いない。ランチアさんの分までもオレがその人を助けなくちゃならない。だからオレは立ち上がらなくちゃならないんだ。


「オレの小言は言うまでもねーな」

 そうだ、リボーンの言葉なんて言わずとも分かる。それがオレに力を与えてくれる。


「……ヒーローのためにも頑張らないと」


 これで全員の言葉が聞こえてきたのだと思ったその最後の最後、柔らかで薄ぼんやりとした映像がオレの中に入ってきた。

 そう思ったのと同時に突然まるで誰かの身体に入り込んでいるような感覚に陥る。発言も身体を動かしているのもオレじゃなかった。でも聞いたことのあるような…誰の声だったっけ。


(これは……これも小言弾の力…なのかな)

 他の人達の言葉は全部喋っていた人の顔が分かっていたというのに今回ばかりは違った。
 決してオレの足じゃ感じることの出来ない早さでさっき通り抜けてきたあの森みたいなところを誰かが一生懸命走っているそんな映像。その視界だけを見ているのはまるで映画でも鑑賞しているようなそんな感じでもあった。
 オレじゃない誰かは何かを握りしめて走り続けている。苦しそうに息を吐く声はまるで体育の授業で全力疾走したマラソンの時のようなものに近い。

 何の為に走っているのか。これは誰なのか。…何を握って走っているのか。
 オレの意思じゃそれが何だか確認出来なかったけどその身体の持ち主がちらりと下を見たおかげで何かを確認することが出来た。そして絶句する。

 その手に持っていたものは針であることに、気付いてしまったからだ。


「!」

 あまりにグロいその光景に目を背けたくもなったけど、オレの視界はその人と同じように見えるよう固定されていて目を瞑ることも逸らすことも出来なかった。
 オレの…じゃなかった、その人の手には決して短くもない針が深々と突き刺さっているのに気付くことなく走り続けている。これは、さっきまで獄寺くんが戦っていたあいつの針なんじゃないか。
 何でこんな所で、誰か知らない人がそんなものを大事に握って、走っているんだ。


「薬、早くランチアさんに……」


 ランチアさんはこれまでに名前を呼ばれることもなかった、はずだった。つまり…もしかして、この人も骸に連れてこられたのか。いや、この人がランチアさんの言っていた藤咲さん、なのかもしれない。
 声はオレの予想を裏切った、まだ若い女の子のものだった。未だに視界はその子のもので、顔を見ることは出来なかったけど足元だけじゃ何も分かることもない。並盛中の子なのかそうじゃないかすら分からなかった。
 
 だけどその子はオレなんかよりも何倍も、何十倍も一生懸命だった。針を手放さないようにぎゅうと握るたび、ポタポタと流れ出ていく血。それに気が付いていないその子はフラつきながら森の中を走り続けている。
 …まるでこれを何か別のものと信じきっているみたいに。

 薬をランチアさんに届けるつもりであるような言葉にピンとくるものがある。骸の幻覚。まさかそれを、ランチアさんに飲ませようとしているのか。…薬だと思って?その針を薬だと信じ込んで、手放さないように握っているのだとしたら。


 だめだ!

 そう思っているのに彼女に何かを届ける手段はない。でもどうにかしなくちゃ。抗おうもしてもオレはあまりにも無力で声を荒らげようとも伝えることはできない。

 ゾクンと身体が震えたのはその時だった。
 落ちていくような、はじき出されるような感覚に襲われたのは。


 何かが抜けていくような感覚。
 何かが消えていくような感覚。

 どうやらその子の小言らしきものはそこまでだったらしい。だとしたらヒーローっていうのはもしかしてオレ宛だったのだろうか。…そんなことを言ってくれたのは、オレは一人しか知らないけれど。

 身体が突然傾き、ズザザザザと大きな音を立てながら落ちていく。終始オレは痛みを感じなかったけれどこの人の痛覚は一体どうなってるんだろうか。何も、感じていないなんてそんな訳はないのに。


 私はまだ走らなきゃならないのに!

 その強い意志を、オレはただ聞くだけしかできなかった。
 斜面を転がり落ちるその子とは正反対にオレの意志は、その人の体に入り込んでいた自分の意識が引っ張り出され、オレの元へと返ってくる。ぐんぐんと彼女の身体だけを置いてオレの意識だけが遠巻いていく視覚。遠ざかって初めて分かる、やっぱりそこは黒曜センターの森の中だった。というかさっきまでオレ達が戦っていた、山本もランチアさんも居たあの広場の近く。

 女の子は力尽きたようにそこからぴくりとも動くことはない。その後、ただ離れていくオレとはまた対照的にパタパタと羽音を鳴らし、黄色の鳥が傍に止まる。そこで力なくそこに倒れていたのは。


「――…ま、っ」



 いつもの死ぬ気弾とは違うその弾を受けて、オレは振りかざされた骸の武器を一部壊しゆっくりと立ち上がった。
 これが死ぬ気弾だったら今頃お兄さんみたいに大声をあげながらパンツ一丁で骸と戦っていたことだろう。だけど今回は違った。いつもと明らかに何かが違っていた。負ける気は、しない。…負けるわけにはいかなかった。

 獄寺くん、山本、それから雲雀さん。ハルに京子ちゃん、お兄さん。色んな人がたくさん犠牲になった。たくさんオレの仲間が、友達が、大事な人が傷つけられてきた。
 もうこれ以上こんな思いをさせたくはないんだ。


「…おまえを倒さなければ、」

 もう負けられない。オレは何が何でも骸を倒さなければならない。
 色んな後悔を残して死ぬ訳にはいかない。倒して、普段の生活に戻って。やり残したことがいっぱいあるじゃないか。言い残したことがいっぱい、ありすぎるじゃないか。


「私はさ、許された人間じゃないからできる事は全部やろうかなって」

 あの時、オレにかけられた言葉がふと蘇る。…どうしてあの子がここにというそんな疑問は一旦、頭の隅に置いておくしかなかった。全ては骸を倒してからじゃないと始められない。でも早くしなければならなかった。もうこれ以上誰も傷つくことも、誰かを傷つけることもないように。


「死んでも死に切れねえ」

 骸に憑依をされているわけでもなさそうだった。だけど間違いなく骸の幻覚で騙されているのは。
 針を後生大事に抱きかかえ、森の中、枝や草木で切り傷だらけになりながら走っていたのはゆうちゃんだったのだから。

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