こすぱに!

29  

 風紀委員はいつの時だって忙しいらしい。
 恭弥は決してそんな事言わなかったけど何となくそれが分かった。私が今、住まわせてもらっている場所は確かに恭弥の第2の家であり、仕事が忙しくて家に帰ってる暇も無い時に使っているという何とも贅沢な生活空間である。当然ながら仕事が忙しく無い時は家で過ごすというのは言われなくても前の時だってそうだったから知っている。

 私だって一人暮らし歴だけはそこそこある。
 寂しいだなんて思うことも早々なければ彼には彼の帰る家があるのであれば、それが不仲でないのであればそこで一緒に過ごせる間は家族水入らずで過ごしておくのが当然だと思っているだけに何の不満も感じていない。


「今日、行けそうにない」

 この世界にやって来て、初めての週末。恭弥にリクエストを聞いてみれば安定のハンバーグを用意するよう言われて買い出しに行こうとしていたところだった。
 スーパーに響き渡る並盛の校歌。私としてはCDでしか聞いたこともなかったしそもそも私の母校ではなかったから特に恥ずかしいとは思わなかったけど周りの奥様方や学生さんがギョッとして私を見ていた時は流石に顔も引きつった。

 以前もらった携帯の着信音。

 この音か携帯に元々ついている音楽しかなかったし折角だったらと恭弥が設定したままのその並盛校歌にしていたけどこれはマナーモードにしておくか本人に言って普通の音に変えさせてもらう方がいいのかもしれない。
 そんな事を思いながら画面を見ることなく携帯を耳へ当てる。表示なんて見なくてもこの携帯は元々恭弥のものであり、彼の番号しか入っていない。それに友達なんてものがいない私には他の人の名前が入ることはないのだ。何と悲しい現実なのか。

 電話を出て第一声、不機嫌極まりない恭弥の声にうっかりと笑いそうになったけど携帯越しでよかったと本気で思う。
 内容は言わなかったけど恐らく風紀委員の仕事だろうとすぐに分かる。そういえば初めてこの世界にやって来た時も新学期辺りは見回り強化だとかで走り回っていたような気がするし大変だと思うよ、ホント。


「そっか、無理しないでね」

 というわけで日曜のお昼、恭弥が家へ来るという予定が無くなってしまったので朝からずっと平日出来なかった荷物を広げ整理し、それから掃除で終えてしまった。
 きっと私が居なかった数ヶ月は恭弥も此処へあまり寄り付かなかったのだろう。窓を開けて部屋中を拭き回れば埃さえ積もっている有様だった。こういうところはあまり気にしない性質だったらしい。とはいえ…何度も言うと本当に悲しくなってしまうけど固有の友人もいない私が他に何か出来ることでもあるのかと聞かれれば答えは胸を張って堂々と、NOだ。
 無駄に磨き続け暫くは掃除もいらないだろうと思えるぐらいにピカピカにしてみた。もちろん恭弥がこんなところ、気がつくわけ無いだろうけどせめて居候させてもらっているほんの少しのお礼である。


「…よし、これで」

 随分と綺麗になった気がする。
 久々の全身運動に筋肉痛がきてしまいそうだと軽くストレッチしながらベッドにダイブ。眠気はないけど流石に疲れた。自分の部屋でさえ碌に掃除しないのに頑張った方だと自分を褒め称えたい。
 カチカチ、と鳴る時計。
 重い体をのろのろと動かし視線を遣ればまだ夕方で、もう少し時間はある。
 いやでもそろそろ動けるようにしなければ。枕元においてあったツナから貰った答案用紙…もとい彼の家への地図を広げて再度頭に叩き込む。そういえば前に図書室で地図をコピーしたけどそれにも書いておいた方がいいかもしれない。


「えっと、確か…」

 机の上に地図が挟んであるノートが積んであるのを思い出してページを見開くと何とかコピーした中にツナの家の付近を発見して青のボールペンで絵を書いてみる。…これ、マグロに見えるだろうか。自分の美術の才能が妬ましい結果になったけど見なかった振りをした。
 こうやって原作で知っている部分が少しずつ増えていくのも、悪くないかもしれない。もちろん彼の家へはあの答案用紙を持っていくわけだけど。
 そうだ今回は是非自分の活動範囲を広げてみよう。噂のケーキ屋さんにも行ってみたいし、近くのスーパーで全て終わらせてはいるけど並盛商店街というのも実は気にはなっているのだ。

 ようやくゆっくりとする時間が出来たような気がする。並盛へとやって来てから日が経つのがとっても早かった。
 平穏で平和な日々。
 机の上に肘をつき地図を見ながら目を閉じると漫画から離れていた事と、実際自分の身に起きた事があまりにもバタついていてすっかり記憶の隅においやられているこの世界のこれからの話を思い出すと溜息しか出なかった。


『ならば世界征服…いや、世界大戦。この世界の僕の目的はそれにしよう』

 冗談で交わされた会話。
 今頃、原作でいう所謂黒曜編へと繋がる何かがひっそりと行われていることなんて並盛で生活をしている彼らは知らない。隣の黒曜が少しずつ骸達に蝕まれている事を、彼らはまだ知らない。
 私だけ。
 私だけが、この場において知っている。きっと前回同様関われる事はないのだとしても、これから誰が傷付き誰が倒れ、誰が泣いて、誰が捕まるかまで知っているということは思ったよりも私を重苦しくする。関われないという事はつまりこれが解決したところで誰とも共有することも出来ないというわけで。
 ならばどうして骸やМ・Мと関わってしまったのだろうかと問い詰めたくもなる。この世界は必要以上に皆と関わることも許されなければ、何も知らないまま、気が付かない間に終わってしましたという状況にもしてくれないつもりらしい。


「…なるようになれ、だ」

 少し早めに家を出ようと思ったのはこのどんよりと暗い思考の海に沈みかけたのを恐れたからで、それからツナのお母さんの事を思い出したからで、夜半にお邪魔するのであれば何か手土産でも持っていった方が良いのかもしれないと思いついたからだ。

 このままだとどうせ、眠ってしまいそうだし。
 時間も特に指定はなかったわけだし。


「よし、」

 決めたらさっさと動く。化粧の必要がないのは子どもの特権だということにしよう。
 例によって三つ編み、眼鏡。
 いつもの押切ゆうのスタイルを用意すると服はどうしようかとクローゼットをじぃっと睨みつけること数分。どうせきっと座ることになるだろうからと結局ディーノさんに買ってもらった服ではなくTシャツにジーンズという何とも動きやすい格好になると鞄に財布と携帯、地図を入れて家を飛び出した。

×
- ナノ -