こすぱに!

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 何かが割れるような音。
 何かが繋がるような音。
 オレの視界の中で10代目が頭を押さえ苦しんでいるっていうのに全く動くことができず、けれど脳にはついさっきまでオレの記憶にはなかった映像が一気に叩きつけられていた。
 発端はたった一言。たった、一人の名前。それを聞いただけなのに吐きそうなぐらいの勢いでオレの頭の中に何かが飛び込んで、埋め尽くされていく。
 …いや、記憶になかったわけじゃない。元々は持っていたのにいつのまにか失っていたもの、が、と言ったほうが正しいのか。

 ズキンズキンと痛むのは頭なのか、心臓なのか。
 その臓器があるだろう場所が破裂しそうな音を出している。服をグッと掴みながら呼吸を整えるともうオレの中にあった違和感は消えていた。


『来年はさ、満開の桜を見れたらいいね』

 ゆうだ。


『…ありがとう』

 何言ってんだよ、ゆうだったじゃねえか。
 あの悲しげな目をしたヤツは紛れもなくあいつだった。
 花見の話が出たときに山本があいつを誘って、けどその日タイミング悪く怪我をした所為であいつは参加できなくて。そうだ何だかさびしそうな顔をしていたから、だからタイミング悪く遅くなっちまったけどオレが誘った。あいつと、…ゆうともう散りかけていたあの桜の花を見に行こうと。

 あの時何を感謝されたのかは分からない。何であんな悲しげな顔をしたのかも分からない。
だけどその言葉がやけに残ったのは確かで、この年齢の割りにやけに大人びた表情を浮かべるなと印象的で、だからこそオレはきっと忘れねえと思っていたはずなのに。
 何で、忘れてた。
 何で、忘れていたことにすら、気が付かなかった。


「ゆう」

 その声はオレが出したとは思えないぐらい、掠れていた。
 訳の分からない感覚に預けられた手榴弾を落とす。慌ててこちらを振り返る2人の反応はまるで今、気付いたと…今、思い出したと言った表情を浮かべていてオレと同じ状態であることに気付く。
 オレも山本も……10代目も。忘れていたそれが今、目の前のアホ牛の一言で呼び覚まされた。呼び起こされた。

 ゆう、と名前を呼んだそれだけで当然のように蘇ってくる記憶は色褪せてやいない。
 ほんの数ヶ月前の、ほんの数ヶ月の出来事だってんのに何で忘れちまっていたんだ。


「押切、ゆう」

 アイツの名前を呼んだ山本も、信じられないと言った顔をしていた。あいつを忘れていたのは、―――オレの、所為なのか?
 山本だけならともかく10代目ですら忘れていたってんだ、じゃあむしろこの現象の原因はあっちにあったってことも十分にありえる。つーかこの感じからすりゃ相手を疑った方が正常な判断だろう。催眠術でもかけられたってんのか?そんなまさか。
思いついては消えていく仮定。あいつを敵だと考えればこうなった原因なんかを適当に思いつくことが出来たのにあいつはそんな奴じゃねえというオレが一番嫌いな感情論が全てを打ち消していく。

 いつかの日、リボーンさんがゆうのことをあくまでも一般人として見ていなかったことをふと思い出す。リボーンさんはやはり見えていたのだろうか。あいつが、普通の奴じゃなかったことに。いやそんなまさかと思うところはある。ゆうが普通の、マフィアでもねえ一般人であるなんてオレは最初から知っていた。そうであると今だって信じているけど、これはあまりにも異常すぎた。オカルト現象と言ってもいい。
 皆そろって一人の女を忘れているなんてそんなこと滅多とあってたまるか。


「アホ牛、何でその名前を」

 だけどこのアホ牛は、ランボは覚えていた。
 それがどうしてこうも気に食わないのか分かっちゃいねえ。怪我をして涙目だったアホ牛をひょいと掴みあげ真正面から睨みつける。ヒッと息を飲んだのは一瞬のことで、それからまたランボはオレたちの反応にニヤリと笑った。
いつもであれば見逃せるそれが、どうしても今のオレにはそんな余裕すらない。ガハハと笑うその声は神経を逆撫でるには十分だった。


「皆は忘れてたもんねー?ランボさんはえらいからー忘れることは無いもんねー!」
「ってめえ!」
「獄寺くん!」

 グイッとさらに詰め寄ろうとすると10代目が慌ててオレの腕を握る。そんなつもりじゃなかった。驚かすつもりも怯えさせるつもりでも。けどさっきも言った通り、オレに余裕はない。
 さすがのランボもオレの剣幕に驚いたようだったがすぐに10代目の背中に隠れ、涙目になりながら反論する。


「忘れてる方が悪いんだもんねー!バーーーカ!」
「っ!」

 それに言い返せる言葉を、オレは見つけることが出来なかった。バーカともう一度叫びながらキッチンから出て行くあいつを、追うことはできなかった。
 全てが図星だったからだ。
 そうだ、忘れている方が悪い。覚えてる奴もいたって言うのに。


『そう、君もおぼえていないんだね』

 あの、ヒバリの発言はまさか、この事だったのか。
 いやそれは考えすぎかとも思ったのがもしゆうが普通じゃないのなら。普通じゃないのであれば、随分前、押切ゆうが現れる前にヒバリの姿をしたゆうという奴は。
 奴の正体は、もしかして。


「……獄寺くん、顔、真っ青だよ」
「すいません10代目」

 10代目に迷惑も、心配もかけさせたかったわけじゃねえのに不甲斐ない。
 けどこれでようやく分かったことがある。前々からオレを襲っていた焦燥感の原因、それは忘れていたことに少しだけ気付いていたくせに気付かない振りをし続けなければならないその事実が苦しかったからだ。辛かった、からだ。
 あの時、そんな自分を納得させた言葉。『何も忘れちゃいねえ』?『重要なことは忘れない』?
 ――バカヤロウ、オレは大事なことを忘れていた。忘れたくないって思ったことを。それは忘れさせられていた、に近いかもしれないがそれでも。謎は深まるばかりだがやる事は見つかった。言ってやりてえことも、聞きたいこともハッキリした。


ゆう。


…ゆう。

 やがて枯れちまう花のように柔らかく笑いながら、けれど決して散ることのない強さを持った女。気が付けばオレの中にいて、静かに後押しをしてくれるような、居心地のいい風のような女。
 なあ、お前は一体、何者なんだ。
 お前は今の、そしてあの時のオレの問いかけに応えてくれるか。



 …どうして、オレはこんなに、

―――……。

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