CoCoon | ナノ
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どの感情が自分をその行動に走らせたのか、骸自身もよく分かってはいなかった。
初めて見たその時から囚われていたのは自分だ。その香りの存在を知るよりも前に、彼女の体質を知るよりも先に。
フランが自分と同じ行動を取ったが故に誰にもこれは気付かれる事は無かったと思っていたが何故だか彼女以外の全員には露見していたという現状。
触れたいと思った気持ちは時として彼女を食したいという気持ちを容易く上回り、強固な忍耐力でもって彼女に対し行ってきた修練の結果、スイは自分にだけ遠慮なく力を振るう結果となり。

「……全くもって、」

触れられたと思えば逃げられ、近寄れたと思えば避けられ。全てが驚く程に無自覚で無垢な彼女は決して捕らえられることのない蝶であり、かと思えばその香りで誘惑する厄介な花でもあった。
そのまま花が近寄ってきた獲物に対し牙を剥き、捕らえ、己の血肉とするのであればそういう生き物なのだと割り切り対処はできただろう。しかしながら彼女は外敵を排除出来そうな牙を持ってはいたものの使い道を知らず、また優しすぎるその性格の所為で己の内側にある術士であれば誰もが羨む極上の力に怯えていた。
つくづく神というものは不公平で、不平等で、残酷である。もっとも彼女の所属していたディヴィーノは計算した結果彼女をそうさせたのだろうけれど。

ギシリ、とスプリングをきしませて深々と座り込むと己の額へと手をやった。
ずるりずるりとそのまま目を覆う。目を瞑れば先ほどまで自分の腕の中にいる彼女の姿が容易に思い描かれる程に、今なら彼女の幻覚を事細かに出せる程度に自分の脳裏には彼女が居座っている。

『此処に、居たいんです』

自惚れてしまいそうなほどに必死な顔。震えながら、弱々しく己の服を掴むそれらを愛おしく思わぬ訳がない。
アルコバレーノであるマーモンに拾われるまでディヴィーノの実験体として生きてきた彼女。実験内容はこの際置いておくとして彼女は恐らく生存し続ける確率も随分と低い手術を受けてきた事は分かっていた。

そもそもマーモンという人間とはある意味古い付き合いだ。
金という目に見えるモノしか信じなかったというのに、力をコントロールのできない、使えないスイを拾い育ててきた。今となってはどこぞへ売り払うつもりも毛頭ないだろうが当時はいずれ使えるものだと思っていたに違いない。そんな価値のある彼女がディヴィーノでどういう扱いを受けてきたか。それはきっと、腫れ物にでも触れるように。力を暴走させないように。
決してそれが彼女にとって幸せだったかと問われれば彼女はディヴィーノより外の世界を知らなかったのだからそれこそが当然だと思っていただろう。
だが今は違う。
ヴァリアーという特殊な環境、マーモンという師、そして出会った自分達。彼女にとって拾われてから開かれた世界は自分と違い輝かしく見えたに違いない。

あの、力強く握ろうものなら簡単に折れてしまいそうな汚れを知らぬ指はそれでも、骸を求め、骸へとしがみついた。
それが何故こうも満たされた気持ちになれるのか。こんな感情を、持ったこともないというのに。

「――…僕らしくない」

スイの身体を掻き抱き、しかしその至近距離で湧いた気持ちは告げた言葉とは正反対のものだった。
その指を食みたいと。その喉に喰らいついてしまいたいと。誰にも見えない場所へと連れて行きその柔らかな身体を暴きたいと思ってしまったそれは間違いなく彼女の体質が呼び込んだものであるに違いなかった。
術士としての力が強ければ強いほど彼女の香りに抗えなくなってしまうあの感覚は最早呪縛に近い。が、それを避けようと彼女から離れれば今度は常々己の抱いている彼女と触れ合いたいという気持ちが自分を急かしていく。
触れたい、
食みたい。
相反したそれらは毒となり骸の内側を巣食っていくばかりで何ら解決に導くことはなかった。

最初はもちろん、こんなつもりではなかった。
アルコバレーノにより拾われ育てられた弟子が、自分の弟子とどう違うのか。どちらの方が勝っているのか。それはただの興味本位でしかなかったのだ。
マーモン直々に選んだ彼女を気に入ったのは確かだったがそれでも最初はフランに良い影響を起こすのならばとあくまでもフランの、ひいては今後自分の手足となるものの為だったというのにいつの間にか彼女は意図せず内側へ入り込んでしまった。
それが心地いいと感じてしまうのだから重症でしかない。

だからこそ彼女の好きにしてやりたかった。
だからこそ彼女の選ぶようにしてやりたかった。
だというのにその彼女が自分の隣を求めるだなんて誰が思っただろうか。

目の前にあるテーブルに視線をやればそこには並んだ二つのカップ。嘘でも幻覚でも無く、紛れもない彼女本体が今まで此処にいた証だ。
先程までスイも隣で座っていたがあれから遅刻したものの学校へ行くと言い出し慌てて出ていってしまったのである。
顔を真っ赤にさせて動揺する彼女の顔は正直もっと見ていたいものであったがあまり虐めすぎるのも嫌われてしまう要因で、だからこそ行ってらっしゃいと止めることなく額に口付ければはにかみながら彼女からも口付けの応酬。
とはいえクロームやフランに対しても頬や額にキスをしているのは彼女達の自慢話の所為でよくわかっていた為、結局皆と同じラインに立ったような気もしないでもない。

「それでも、」

彼女が自分を見ていたと、彼女が自分を求めたと言うこの事実に揺らぎはない。
術士たるもの全ての事象に対し裏側があるか否か、瞞しなどではないかどうかを疑ってかからなけらばならなかったが彼女に関しては殊更、それがもしもこちらが油断する為の嘘であったとしても表面上の言葉で信じてたくもなるのだが。

そもそも桐島スイという人間は術士向けの性格をしていない。嘘をつくのか下手くそで、驚くほど真っ直ぐだ。
ただ人間と話す機会が圧倒的に少ないだけで。
ただ経験が圧倒的に足りていないだけで。
それらのおかげで今でこそまだヴァリアーに所属しているとはいえほぼマーモン以外の人間と接触もとっていなかったが、それらを体験・改善していけば彼女の体質だけでなく、内側からの魅力に気付く者も現れるだろう。
その前に、彼女がこちらを向いている間、スイが此処へやってきた目的である彼女自身の力をコントロール出来て帰ってしまう間に捕まえておかなければ。
それから自分に対して力を遠慮なく行使するのもそろそろどうにかせねば先程の行為以上が出来やしないので。それが骸に課せられた暫くの命題ではあったが、今後は今まで以上に楽しくなるに違いないと人知れず口元に笑みを乗せ。

「ただいま帰りましたー」

しかしながら現実とはかくも非情であり。

「師匠ー、スイは何処にいるんです?」
「は」
「学校、来てませんけどー。携帯も通じないしやらしいことしてませんよねー?」

穏やかな時間は決して長く続かないものであると数時間後に知る。
久々に一日仕事もなく彼女の、ついでにフラン達の為に何か作ってやろうかと年に一度あるかどうかの気紛れを起こしていたというのに。

学校から帰ってきて早々、これまた珍しく骸自身がドアを開け出迎えたというのにそこにいるのはフランとクロームの二人である訳で。
そして、彼の言葉を聞く限り学校に向かったもののどうやら辿り着いて居なかったようで。

「…師匠ー?」

訝しげな表情を浮かべるフランを尻目に力を振るう。
その手の中に握るフライパンを瞬時に三叉槍へと切り替えその無言の行動の意図に気付いた二人の術士も空気をピリリとさせつつ銘々の武器を揃い揃え。

「クローム」
「気配、追えます」
「…フラン」
「久々にヘルリング使いますー」

宜しい、と呟いた声は緊張感に包まれそれでいてひどく冷静だった。
否、骸の内心本当はそうではないことはフランもクロームも知っていることなのだけれど。
犯人なんてものはすぐに理解した。だから、尚更早く動かなければ。
目を離さなければ良かったなどと悔いている時間すら惜しい。相手は彼女の体質を誰よりも把握し彼女の弱味すら自分たち以上に知っている。圧倒的に不利ではあったがしかしそうであっても放棄することなど出来るものか。
今度こそ確実に。マーモンが仕留め損なったものを完膚なきまでに。

「……愚かなマフィアの殲滅を」

彼女を無事に取り返し、そして彼女に仇なすディヴィーノに、神の裁きを。

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