CoCoon | ナノ
oCoon


「お前、何してるびょん」
「何、と言われれば」

この体勢を見て他に何かあるのであれば是非とも教えて欲しい、と思う。何しろ私は居住スペースである黒曜ヘルシーランドの中の、一番端にある小さな部屋で絶賛トレーニング中で。とはいえまさか犬さんがここにやってくるとは思ってもみなくて私だってきょとんとしたまま「筋トレです」と素直に答えるとお前が?という顔をしながら絶賛筋トレ中の私を上から下までジロジロと見た。


私だって術士が多いこの黒曜ランドの中にどうしてこんな部屋があるのかは分からなかった。クロームや、骸さんやフランには到底使用しているとは思えない物の数々に最初はびっくりしたけど使っていいと教えてくれたからいつか使ってみようとようやく今日足を運んだのだった。
その部屋の中は至ってシンプルに出来ている。ドアを開ければ床は一面にマットが敷かれていて見るからに土足厳禁、そして低い位置から天井まであらゆる場所に鉄の棒が壁に刺さってあったりまるで部屋全体が遊具。
昨日テレビで筋トレ番組をやっていたのに影響された所為もあってついついこの部屋の扉を開き、そして今は私の背よりも高いところに置いてある棒にぶら下がり一生懸命懸垂をしようと踏ん張っているところだった。が、テレビで見たように自分の身体が軽々と持ち上がることはなく犬さんと目があった時は若干諦めながらぶらりと鉄棒にぶら下がり揺れているという有様で。下から見上げる犬さんには確かに不思議な様子に見えただろう。

「しっかしなよっちい身体してんなースイ」
「…犬さんはできますか?懸垂」
「ったりめーらびょん」

そういうと犬さんはどこからか白いものを取り出し口に含んだかと思うと少し助走をつけてジャンプして私が持っている鉄棒にぶら下がる。
それから懸垂どころかグルングルンと回ったり手を離したかと思うと他の器具へと身軽に移動したり、壁から壁へと走ったりとんでもない動きをし始めてしまった。

「……すごい」

思わず、素直に感想が漏れる。
何というか、これは力があるとか無いとか関係なく最早サーカスか何かでアクロバティックなパフォーマンスを見せられているレベルだ。
ウキー!なんて可愛い声は犬さんなのにまるで猿の鳴き声だった。あらかた動き終えたかと思うと犬さんは私の隣に戻ってきて私と同じようにぶら下がりながら楽しげな表情をこちらに向けてくる。どうやら私だけじゃなく犬さん自身も楽しんでいたらしい。そして何となく、この部屋は私が思っていたような筋トレをする部屋ではなく犬さんの遊び場であることを理解した。よくよく見れば壁の上の方や天井に手の跡とかがあってこんな動きが出来るのは彼以外にいないだろう。
自慢げにヘヘッと笑いながら私に話しかける。

「術士つったら体力も力もねーとらめなんらろ」
「そう、なんですよね」

どうしてこんなことをし始めたかと言うと結局のところ目に見えて分かる何かが欲しいと思ったからだった。話は今日の午前中に遡る。


『つっても俺達じゃーお前に何も教えてやることはできねーびょん』
『だけど…命令だし、』

今日は修練もお休み。
骸さんとクロームとフランの3人は本部に呼ばれただか何だかで出ていってしまい、私と千種さん、犬さんが留守番になってしまって珍しい組み合わせに少しだけ戸惑った状態だった。
いつもは彼ら3人でどこかに行くことなんてほぼ無く、今回が初めてじゃないだろうか。骸さんが出かける時といえば大体千種さんも犬さんも連れていくわけで、つまり今日の彼らの用事は術士が複数必要なものだったのかもしれない。私ひとりを残さないようにしてくれているんじゃないかと少しだけ考えたけど恐らく間違いじゃないだろう。

謎の白衣の人に会ってから、ほんの少し骸さんの過保護に拍車がかかった気がする。黒曜センター内であっても誰かと共に行動するように言われてもいる。お風呂は…まあクロームもある意味危ないから気をつけなさいとくどくど言われたけどあれからそういったこともなく、皆相変わらず私に甘く、3人で一緒に寝たりフランと学校へ行ってクロームが迎えに来て一緒に帰る。そんな生活が変わらず続いていた。
あれ以降、白衣の人に会うことは無かった。一体何者だったのか。タカラモノと呼んだ彼は私を知っているようではあったけど私はそんなふうに呼ばれたことはない。…もしかして、と少し心当たりもあるけれど此処にいる以上私にはどうしようもないことだ。お師匠様に聞いてみればまた分かることもあるかもしれない。

そんな事を考えつつ犬さんも千種さんも特にやることはないし私をお守りする役割を命じられたのか私の後ろで常にいるものだから、ある意味緊張はしているのだけど彼らはそれに気が付いているだろうか。…いや、無いだろうなあ。多分無意識のうちに気配だって殺して後ろからついてきているに違いない。悪気がないことはわかっている。彼ら2人はクロームとフランよりも骸さんの言うことを絶対としている人達だから。
それならば、と私は晩御飯の用意をとっとと終わらせ2人に向かってお願いをした、というわけだった。

『教えて欲しいこと?』
『ええと…ちょっとした護身術とか…私ができそうなものがあれば』

例えば、手を掴まれた時にどうやって抜け出すか。
例えば、万が一誰かに捕まった場合どうやって切り抜けるか。
幻術が効かない相手に私の力は特に無力なわけだ。勿論有幻覚にもなればどんな相手でも見えるし攻撃することは可能ではあるけれど、それでもこの前のように守られるばかりじゃいけない。いつも誰かが守ってくれるなんて甘えてちゃいけないのだ。
そういった訳で色々と教わったものの結局は元々の体力も力も無さすぎた挙句、千種さんに軽く握られた状態からも抜け出すことすらできず…驚くほど何も出来ないことを知るだけで終わってしまった。

『…力、無さすぎ』
『……すいません』
『守られたくないなら、鍛えれば』

呆れたような言い方じゃなかった。吐き捨てられるような言い方じゃなかった。
ただ私はこの世界で生き延びるには無力すぎて、具体的な言葉ではなかったけど千種さんの言葉に間違いはなかった。
力がなければ鍛えればいい。
守られたくなければ強くなればいい。
幻術に関しては少しずつ自分でも前へ進んでいるように自分でも思えるようになってきたし、ならば基礎的なものは自分で鍛えればいいんだ。

『…鍛えられたら嫌がられるだろうけど』
『え、それってどういう』
『めんどい』

話とちょっとした護身術の手解きはそれで終わり、結局3人で晩御飯を食べ終わって私は居てもたってもいられずだけど結果的にこの部屋でただぶら下がるという何とも情けない状況になったというわけだった。
幻術は、気が付けば使えるようになっていた。だけど普通の力だとか、体力だとかはどうすればいいのだろうか。私の周りで肉弾戦といえば犬さん、千種さんとお師匠さま以外のヴァリアーの人達、それから恭弥さん。…どの人も人間離れしているから先生にすらなってはくれなさそうだけど。

「飽きたし戻ろうぜー」
「あ、はい」

犬さんが隣でぴょんっと軽く飛び降りて私を振り返る。どうやら私も一緒に部屋に戻ることが決定しているらしい。
確かにもう少ししたら皆が帰ってくるから私もご飯を温めておかなくちゃ。そう思ったのに何故だか手が棒から離れることがなかった。これは、…まさか。

「…手、痺れて降りれなくなりました」
「はー世話が焼けるびょん」
「……ごめんなさい」

今まで自分の身体を鍛えたことが無かったけれどずっと力を入れ続けていたせいで自分の手なのに自分のものではないような感覚に陥り私の意思では鉄の棒から手を離すことが出来なくなってしまっていた。
ハァとあからさまに呆れた様子の犬さんはそれでも私を見捨てることなく手を伸ばす。そのままどうされるかと思いきや腰のところに腕が伸ばされて抱っこされる形になり、ふわりと少しだけ浮く体。流石に私だって自分の身体の重さぐらいは分かっているのでやや焦りながら早く固まってしまった指の筋肉をどうにかしようとしたしたその時だった。

「犬」
「ひゃっ!」

ドスンッ!

突然の声に驚いたと同時にようやく手から力が抜ける。が、目の前の犬さんの顔にそのまま抱きついてしまって視界が真っ暗になったことに慌てた犬さんはバランスを崩し後ろに倒れ、私も一緒になって落ちる。

「っいたた、」

マットで良かったと思った。本当に。
犬さんが下敷きになった形だったので私に怪我は一つもなかったけど柔らかい地面とはいえ確実に後頭部を強打した犬さんは若干目を回している。だけど私を落とさないようにと気をつけてくれていたみたいで意識が半分飛んでる状態でも私を抱える体勢のままだ。つまり力が緩むことのない彼の腕から抜けることも出来ない。だけど声をかけても返答はない。とても変な体勢だということは十分に分かっているけど犬さんの上に跨ったまま、彼の身体を揺さぶることになった。

「犬さん…!犬さん!」
「…随分と羨ましいことを」

犬さんの腕から強制的に抜け出すよう私を上から引っ張りあげたのは骸さんの力強い腕だった。そもそも骸さんが突然声をかけてきたからびっくりしてこんな事態になってしまったというのに彼に動揺した様子はない。いや、これこそが術士として大事ないつでも慌てぬ冷静な精神、なのかもしれないけれど今はそう言ってられない。さらりとした髪が私にかかり「ただいま帰りました」とにこやかな笑みを向けるもののそれどころじゃない。
犬さんが危ないのだ。もしかしたら強く打って脳に障害が起こるかもしれない。お帰りなさい、は心の中で言うことにして骸さんを見上げた。

「骸さん!犬さんが!」
「気にしなくていいですよスイ。犬、来なさい」

骸さんの一声でぱちりと目を見開いた犬さんは骸さんを見たかと思うと顔を青ざめながらがっくりと肩を落とし、それから立ち上がる。
やっぱり頭が痛いんじゃないだろうか。犬さんの方へ駆け寄ろうとしても骸さんは私を離そうせず、「大丈夫ですから」と何故か彼に言われてしまう有様で。少しだけムッとした様子が見れた骸さんにこれ以上話しかけることは出来ず額に口付けられたかと思うと、彼はフラフラとしている犬さんを連れて部屋から出て言ってしまったのだった。

「あの、千種さん。犬さんは」

残ったのは私と、千種さん。
私を一人にしないようにという彼の命令を律儀に聞いているようだった。犬さん、大丈夫だろうか。それに骸さんも、どうしてちょっと怒ったような感じだったのだろうか。

訳が分からないまま千種さんなら答えてくれるかもしれないと思って声をかけたけどそれはどうやら間違いだったらしい。私を見て先程の犬さんと同様ハァと盛大に溜息をついた後、眼鏡をくいっと持ち上げ面倒臭そうに答えてくれた。

「……知らないほうが幸せなこともある」

prev / next
bkmtop
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -