真夜中は白の瀬

「初めまして、凛チャン」
「……誰?」
「カメラ、あるんでしょ。ちょっとぼんやりとしてるフリして、前向いててよ」

それはいつもと少しだけ違えた日ではあった。
朝からXANXUSと一緒に食事をしたところまでは変わりなかったが昼になってもベルが来ることはなかったし夜になってもXANXUSが訪れることはなかった。
そういえば朝の時点では夜に来るといつも決まり文句のように言われていたが今日は言われなかったような気もする。

普段であれば夜になるとこの部屋で一人食事を摂り、それからやって来るXANXUSと他愛のない話をして、施錠されたことを確認し就寝するといったのがいつもの流れではあったがそれがなかった。
凛が食事をする様子を見張る者が居ないと分かれば口にする気力などとうに無く温められた夕食が目の前で急速に冷えていったが気にすることもなく放置を決め込む。相変わらず時計も何もない為今の時間は分からなかったが恐らく夜も更けていることだろう。周りは森になっていてもしこの建物内に何処か明かりがついていようものならば手前に見える中庭にどこかしら光が漏れ出るようなものであったがそれすら見当たらない。皆、就寝しているのかもしれない。

日本に居た時とは違ってここの静寂は本当に、静かだった。
その無音は決して心地良いとは言えなかったが、同じことばかり繰り返すだけの日々に今更文句を言ったところで何も変わりはない。そこまで考えると思考することすら億劫となり窓枠に肘をつき空を見上げていた。
寝る気がしない。あのベッドに入ってしまえば恐らくいつものようにぐっすりと眠ることができるのだろうけどいつもと違う今日は何だかそれに抗いたくもなったのだ。

「こんばんは」

そんな時に、突然の声が聞こえビクリと身体が跳ね上がったことも仕方のないことだろう。間違いなく自分に対して紡がれたものであるとわかったからだ。この建物はもっと上の階があることを凛は知っている。つまり今頭上から聞こえたように感じたその声の主は上の部屋から凛に話しかけてきているのだろうか。
此処で働いている人間は今のところXANXUSとベル以外は女性だった。少なくともベルに連れられ屋敷内を彷徨いている時に見えた人間は全員がそうであることは凛も自分の目で見ている。ならば頭上の声は3人目の男であったが姿を確認することは次いで紡がれた言葉により叶わなかった。

もしも何か変わったことがあればすぐに声を出して誰かを呼ぶことは常々言われていた。が、どうにもこの話しかけてくる雰囲気は敵というよりは寧ろ気さくでまるで友人のような空気に少し安心したところはある。男の言葉の通り前を向くと楽しげな声が変わらず頭上から降ってきた。

「ごめんね、僕も色々と制限のある生活を強要されてる身だからなかなか会えなくて。今日がやっと手薄になる日だったんだ」
「…」

男はシロと名乗った。それで君には伝わる筈なんだと言われたものの凛に覚えはない。此処の建物に居るということは恐らくこの組織の幹部職の人間なのだろうと判断したが制限のある生活と言われ疑問を感じない訳がなかった。
そしてその生活と言えばまるで凛と同じような生活だというわけで。もしかして未来の凛と同じ不利益になるような事をして閉じ込められた人間は1人ではなかったのだろうか。
そう思うと不謹慎ながら安堵する自分がどこかにいたことも確かだった。

自分だけではなかった。
自分だけが特別酷いことをしたわけでも、ただこの建物内で会うことがなかっただけで他にもそういう人がいたのだとそう思っただけで自分の腹の中で凝り固まっていた何かがゆっくりと解けていくようなそんな気すらして久しぶりにホゥ、と息が吐けたような、呼吸が出来たようなそんな感覚に陥り、だからこそシロの言葉を素直に聞き入れることができたのである。

「君の事はそこそこ気に入ってたんだ。だから、この時代の君にどうしても会いたくてさ」
「あなたも…未来の私の知り合いだったんですか?」

だが、残念ながら未来の記憶は有しているらしい。
どうして自分だけにその記憶が無いのか不思議に思ったがもしも講義中にそんな記憶が突然入り込んできたらそれはそれで逆に恐ろしいことになっていたのかもしれない。

自分は罪人だ。クリミナーレだ。
だからこそこんな場所で、外に出られぬ箱の中に閉じ込められ続けているのだから。恐らくきっと、本当に自分が人違いなどではないのだとしたらとんでもない事をしでかしたに違いない。XANXUSが銃を、ベルがナイフを持っていることは知っていた。つまり…ここはそういったものを隠すこと無く寧ろそれを常用する組織で、そんなところに対し何か出来るとはやはり思えなかったが、例えば人を、殺したとか。大事な何かを盗んだ、とか壊した、とか。
そんな記憶がもし入ってきたとして、果たして自分はその罪の重さに平常でいられるかと聞かれればそれはきっと否だ。

「…でも君には記憶、ないんだよね」
「ごめんなさい」
「いや、僕としては都合が良いんだ。非常にね」

楽しげな男、シロの言葉は依然として変わらなかった。
彼に聞けば教えてくれるのだろうか。自分が何をして今こうなっているのかを。どうして皆は自分を罪人だという割にこの破格の待遇を受け続けているのかということを。どうすれば、此処から出られるかということを。
しかしながら凛の言葉は「時間だ」という彼の言葉に遮られる事となってしまった。

「多分もうこれで君と会うことは出来ないかな。もし機会があれば…その時には笑顔の君が見たいけど」

バサリ、と聞こえたのはその時だった。上の窓が閉められたのかと思いきや、しんとした暗闇の中驚く事に男は宙に浮いていた。
その背中にはパタパタと羽ばたく、小さな翼。

「…っ!」

驚きのあまり声も出ずその姿を呆然として見ていることしか凛にはできず。
男がチラリとこちらに対し振り向いた。この男がシロなのか。彼の纏う色彩は名乗った名前の通り、白色である。だからこそこの暗闇の中、夜目が特段利いている訳でもない凛ですら視認することができたのだろう。
ぼんやりと浮かび上がったのは彼の白い服と白い髪、そして

「バイバイ」

彼の姿が消え去った後、部屋の中へ入り込んできた小さな羽を凛は長い時間、凝視していた。

  

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