白い壁と告白

黒髪の男が迎えを寄越した少年、ベルはそれ以上何も説明を加えることはなく着替えを終えた凛の腕を掴むと部屋を出て廊下を歩む。
どうやらベルの居住区であるという事だけは途中途中ですれ違う使用人らしき人間が壁際に寄って恭しく礼をしたことで判断した。その都度凛も一緒になって軽く頭を下げながら歩くこと数分。

最早どの道を通ったのか、どの階段を使ったのかも覚えていないしそもそも此処が何処であるかという最初の疑問も解けてはいない。ぼんやりと歩きながら窓から見えるのは中庭だろうがこんな洋風の大きな建物が近くにあっただろうか。
凛の住むところは都会でもなければ田舎過ぎるわけでもない。平々凡々といえば聞こえは良いだろうが至ってその通りである。こんな屋敷のようなものが建っているのであらばすぐ有名になるだろう。

つまり……あまり考えたくはなかったが眠っている間に何処か遠くに運ばれたのだろうか。…誰に?この人達に?

「あの、ベルさん。此処って」

しかし、彼は凛の言葉を最後まで聞くことは無かった。くるりと振り返った少年は先程よりも深く深く笑みを刻みながら凛に返す。

「後は全部ボスに聞けよ」

じゃーな!という言葉と同時に目の前にあった大きな扉を開き、それから背中を強く押された。突然のことによろめきながら室内に入るとその後ろで無情にも大きな音を立てて閉まる扉。

自分がどうしてここにいるのか、連れてこられたのか分からない上にパニックに陥らなかったことは奇跡に近い。
分からないことばかりでどうしていいかすら判断出来なかった、というのが正解に近かったのだがそれでも部屋の中を見ると先程の黒髪の男がこちらを見ていたことに気付き全ての思考が停止した。

「…あ」

ドキリと心臓が高鳴ったのは気の所為ではない。
一目惚れと言うものに近しいのかもしれないと凛は思っていたが未だにそれを認めきるほど自分の今の立ち位置は安定してはいない。
男は手にペンを握っていて先程は確かに目が合ったというのにまた目先の書類へと視線を戻した。部屋が静けさに包まれ、ペンが紙を滑る音のみが聞こえている。
まるで凛という存在がなかったかのように、空気であるように振る舞われたもののその姿に凛が声をかけることは出来なかった。

重苦しい空気かと言われれば確かにそれに近いものであった。
しかしそれ以上に話しかけてあの赤い目に見られた時自分は果たして平常通りの反応をすることが出来るかどうか些か不安で、だからこそ黙って立ちっぱなしになったまま凛は彼を見続けることにしたのである。

「…」

此処は仕事部屋なのだろうか。
壁際には本棚が嵌め込まれあらゆる蔵書が置かれていて目を凝らしてそれらを見てみたがどれもこれも凛の知っている言語で読み取れるものはなかった。部屋の真ん中、凛の前には見るからにわかる高級そうなソファとテーブルが配置されてありその上には酒とグラスが1つ。
どれもこれも彼のものだろうと判断したのと同時にこの人こそベルの呼んでいたボスであることも理解した。滲み出るオーラ、覇気というものだろうか。凛はまだ学生でそういった事には疎かったが間違いなく只者ではないということだけは分かっていた。
ならば自分がここにいるのはやはり彼の意思なのであろう。

「まだガキくせえな沢田凛」
「……え、」

反応が遅れたのは突然声をかけられた事とそれ以外にもう一つ。
足元を見ていた凛はバッと顔をあげると男はいつの間にか立ち上がりこちらへと歩み進んでいるところであった。

先程と変わらない格好をしていたが違ったのは近寄る彼から僅かにアルコールの香りがした事だ。
紛れもなく自分も成人していたが学友とさえあまり酒の席へと行くことはない為か、余計にその匂いには過敏になっている。思わず1歩、2歩と彼の歩みと共に後ずさるがそもそも扉の前で立ち尽くしていた凛に逃げ道などは無かった。

トン、と背中に壁が当たる。
しかし目の前の男の歩みは止まることはない。目の前に来ると彼との身長差がそこそこあることに気付く。一体背は幾つぐらいなのだろう。ふとそんなことを思いながら彼を見返すとその赤い瞳には不思議そうな顔をした己自身が映っている。
つ、と伸ばされる腕。骨ばった手は凛の頬へと伸ばされその冷たさに思わず身震いをすると目の前の男はほんの僅かに口元を楽しげに緩めた。それは確かに笑みの1種ではあったが凶悪なものである。先程までの浮足立った凛であれば彼の表情に惚けていたかもしれないが今は確固とした疑念を1つ抱いている。

「どなたかと、間違えていませんか?」

ピタリ、と触れていた手が止まる。
朝方とは違い目が見開く事もなかったが訝しげな顔付きで凛を見返していた。男はたっぷり数秒間凛を見つめ、また凛もその視線を受け止めながら逸らすことはなかった。

「テメエ名前は」
「佐伯凛、です」

素直に言うべきなのだろうかと思うところはあった。もしもドラマであるような展開だったとして、この人達が自分と同じ名前の人間を身代金目当てやら何やらで誘拐していたとしたら自分は間違いなく殺されてしまうのだ。
それはそれで嫌だと思ったし人違いであるとしたらそれはそれで同じ名前である凛という人間をほんの少しだけ羨ましいと思えただろう。彼にあんな瞳で見られるのだ、恐らくはただならぬ関係であったに違いない。

しかしながら、凛の予想は大きく外れる事になるのである。
男はくつくつと喉を鳴らしながら「そうか」と昏く笑み凛の両頬を固定し己から視線を外させることなくその瞳を覗き込んだ。赤い瞳はさも楽しげに、それでいてどことなく寂しそうな色であると思ったのは一瞬である。

「俺が探しているのはお前で違いない、佐伯凛。お前はもう」

――…ここから出ることはねえ。


それは凛に触れているこの手の温もりに反し甘やかさなど欠片もない、宣告であった。

  

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