真綿の監獄

その女は青く大きな空を、愛しさを含ませた瞳でよく見上げていた。
初めて彼女を見た時からそんな印象が強く、ボンゴレ御用達のリストランテに所属するものの一般人であろうという見立てで沢田凛という女と出会った。
よく笑う女であった。
何度か食事に誘ってきたがどれもが物の見事に断られ、それでも何とか粘って彼女の仕事後を見計らい小さなバールへと誘うことに成功した。日本人が流されやすいだなんて聞いたことはあったがとんでもなく強固なガードである。が、それでもたった一言、一人の人物の名前を出すことによりスクアーロの半年に及ぶ努力は報われたのだった。…その人物の名前が、男のものでなければの話ではあったが。

XANXUSに恋人がいる。

それを聞いたのは先週の事で、その時には流石のスクアーロでも恐らくはこの女こそがそうであろうという予測は難なくついた。ではそれでも諦められないのかと言われればそういう訳ではない。彼が選んだ女は、彼の隣を歩み続けることができるのだろうかという見極めも必要なことではあった。

『窮屈なのはね、嫌いなんですよ』
『だろうな。俺もそう思う』
『だけどね、あの人…XANXUSさんは広げてくれたんです』

自分の世界を。
何杯目かの酒を呷りいつもよりも楽しげな彼女から聞くXANXUSの話は到底自分達のボスとは思えなかったがこれこそが彼が本気である証なのであろうと知る。過去の女は幾人か知っていたがどれもXANXUSの女であることを気取り、気になってやって来た幹部達の視線をあからさまに嫌がったり逆に色目を使ったりと正直碌でもない人間ばかりを見てきた所為かこの沢田凛という女は驚く程に普通であり何処を気に入り選んだのかと思ってしまうぐらいだった。
が、彼女の魅力は既に発揮されている。その証拠に幹部の誰もが彼女に対し厭いの目を遣ることはなかったのだから。XANXUSに彼女と会う予定を聞き、邪魔にならぬよう再度彼女に会う日を伺うほどに。

『本当に、素敵な人。私になんてもったいないぐらい』
『お前も大概いい女だぜえ?』
『ありがとう』

当然スクアーロだって彼女に惹かれていたことは確かであったがどうしても手に入れたい類のもの、とまでではなかった。もちろんそれはXANXUSが彼女を気に入っていなければ、という注釈付きではあったが。
成る程、彼女の魅力はこれなのか。無防備さ、無邪気さ。その笑みに何ら深い意味は持たず嬉しければ笑い、間違えていれば怒り、逆に彼女が間違えていれば素直に謝罪する。
たったそれだけのことではあるが例え相手がボンゴレの、それも暗殺業を営む自分達に出来るということがどれだけ難しいかなんて彼女は考えてもいないだろう。こちらが困惑してしまうほどに彼女は自分たちを、彼女の友人達と同等の扱いをする。

『私は彼を、命に変えても守るわ』
『…逆じゃなくて、か?』

そうして、深酒。
ふと間が空いてしまったがあまりにも不似合いの言葉にぽかんと思わず口を開く。誰が誰を守ると言ったのだ?間違いなく彼女は戦える身ではない。その身体に珍しく、…否、沢田家に連なるものであるのならばある意味確率的には高いであろう大空属性の炎を有しているとはいえスクアーロ達の耳に彼女が戦闘員であることもボンゴレに所属していることも届いてはいない。
だというのに、何故。それは傲慢さからの口調ではなかった故にスクアーロも素直に口に出した。

『XANXUSさんは、沢山守るものがあるから』

そして紡がれる理由にこの女は知らないなんて何故思っていたのかと先ほどまでの自分の考えを恥じた。XANXUSがある程度話していたのかもしれないが寡黙な自分達のボスが内々の話を恋人であってもする筈がない。つまり彼の決して多くはないその言葉の端々から読み取ったのだろう。
それが何たるか、というものは聞くことは無かった。彼女が恐らくと思っていることも本質に触れている可能性も外れている可能性も大いにあったが、当たり外れが問題ではないのだ。

それから、と凛は言葉を続けようとして一旦区切る。
どう話せばいいのか考えあぐねているようにも見えたがその顔に苦悩さが滲み出る様子は一切なく。

『お荷物にならないよう、強くならないとね』

向かいに座る凛の赤い髪飾りが店内を照らす淡いライトを浴びきらりと輝いたような気がした。そこに偽りも、不安なんてものも何も感じられることはなく…

だからこそスクアーロも彼女であればとようやく認めることが出来たのである。




「沢田凛、見っけたぜ」

ベルからの報告を受けたとしても正直会いたくない気持ちの方が断然、大きかった。
そうかと小さく答えたXANXUSの行動を止めるつもりはなかったがスクアーロは自分から彼の為に動くつもりは欠片もない。これ以上何を言っても無駄であるということはベルに凛を探し出し連れて来るようにと命じたあの時から説得に全く耳を貸すことがなかった事から容易く知れる。
理由としては誰のためにもならないというものを前面に押し出してはいたがスクアーロ個人の持つ感情が、彼女を許すことが出来なかった。

「――何がXANXUSを守る、だ」

あんな事を豪語していた彼女はあっさりと逝ってしまった。命に変えても守るという言葉通りに。
確かに彼女の行為は勇ましく、強く、正しかっただろう。彼女に救われた命も多く、そして自分のボスであるXANXUSだって護られた。
だけど、そうじゃない。それだけでは全然、意味が無いのだ。

「…お前の生が、最低条件だろうがぁ」

彼女は思い出せなかった。

死んでしまっていたのだからそれは当然で、寧ろそれが当たり前の事であり逆に記憶を有している方が異常であったというのにその事実をXANXUSは決して認めることはなかったのだという。彼女の五感全てに訴えるものを与え、しかしそれであっても彼女の肩を掴み思い出すことを強要することもなく。
絶対に行くものかと強い意志さえ持っていたのだがXANXUSの様子がどうにもおかしいという再度の報告にそれらは容易くも消え去った。

凛ばかりがXANXUSを愛していたのだと思っていたが、それはとんだ誤認であることにようやく気付く。

『幼ねえなあ、凛』
『……どなたですか?』

だからこそ、会いに行った。

『今度は悪い男に騙されんじゃねえぞ』

だからこそ、皆の思惑に嵌らぬ方向で彼女と接触をとった。
XANXUSが苛立ったのは敢えてスクアーロが彼を、彼女の記憶を揺さぶるような言葉をかけたからだろう。殴られ、詰られる覚悟はあった。それもXANXUSや凛、それから振り回されているベルを思ってのことである事に当然ながら彼が気付かぬわけがない。だからこそこの件に関してスクアーロに対し手が、暴力が振るわれることは無く余計にギリリと歯噛みせずにはいられない。

『佐伯凛。お前は明日、帰国する』

諦めるのであれば早い方がいい。
実際、見る見るうちに衰弱していく彼女を誰も求めてはいなかった。誰かが幕引きをしなければならないのであれば、それで誰もが救われるのであれば糸を、縁を切る役割を厭いはしない。
最後の食事の後、帰国する旨を告げた彼女の動揺は目に見えてわかったがそれ以上彼女にかける言葉はない。ひどく、辛い時間だった。スクアーロも気に入っていた日本食ではあったが何とも味気ない、苦しい時間であった。
とぼとぼと力なく部屋へと戻る彼女の背中へと彼にしては小さな声で呼びかけたが当然のことながら彼女に届くはずもなく。

『俺達の事は忘れた方がいいんだって。フツーの生活するには、さ』

ベルは凛にそう言ったがきっと、自分たちにそれは難しいだろう。
彼女とは違って生き続け、少なくとも未来での彼女の死亡の後の、喪失感を味わったのだから。

どうしていいのか分からない。それはこの建物に入った人間が誰しも思うことだっただろう。
ある者は両者の思いを知っているが故に身動きが取れず。またある者は相手に求めすぎる事で逆に壊してしまうかもしれないという僅かながらの恐怖を覚え、またある者は何も知らなさすぎた故に全てに怯え。

「…皆、縛られすぎてんだろうなぁ」

この匣に。
矛盾しているのは自分にもしっかり当てはまることで、急がせて作った白の匣を隊服の内側から取り出し最後の賭けに出る為、強く握りしめた。

佐伯凛、お前はそんなモンなのか。
窮屈なのは嫌いだったんじゃねえか。XANXUSが世界を広げたんだろう、早く気付けよ。お前の目の前にあるその狭い建物じゃねえ、もっと上に、もっと外側から誰よりもお前を見てる奴が居るじゃねえか。
未来において彼女の生命を奪うことになったこの匣は、だが皮肉な事に現段階を打破する鍵となっていた。呪縛から果たして開放されるか否か。それは彼女のこれからの言動にかかっている。

「なあ、凛」

――…いい加減、出てこいよ。
待ってる奴が居るだろうが。

  

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