ねむくないあの日に帰る

彼女と出会ったのはいつの事かハッキリと記憶にはなかったが何処で、ということであれば覚えていた。
商談によく利用されるボンゴレ御用達のリストランテ、一番奥に控えるその部屋の本日のホストはXANXUSであった。滅多とない珍しい出来事であるがこれも任務の一環で嫌々ながら、というところである。
問題なく無事に終了しとっとと退散するかと腰を上げたその時、外の廊下から聞こえてくる男女の諍いの声。面倒くさいと思ったのがその時の正直な感想である。しかもこんな所で。ここは一介の人間が入れるような場所ではないのだというのに豪胆と言うべきか、はたまた命知らずと言うべきか。

『離してください』
『良いじゃん連絡先ぐらい』

どうやら酔った男が女に言い寄っているらしい。
女のはっきりした拒絶の声に、しかし男は気が付いていないのだろう。声の大きさからして廊下を出ればおそらく鉢合わせになると分かってはいたが自分には何ら関係ない。寧ろXANXUSの姿を見てそれらを続けられるものであればそれはそれで見ものである。
立ち上がりその廊下へ繋がるドアを開いた時だった。
パシンと乾いた音が響き渡り思わず目を遣ると男は己の頬に手をやりながらポカンとした表情を浮かべ壁際に追い詰めていた女を見返している。客同士のやり取りかと思っていたが女の服を見るからに従業員だったらしい。

『……酔っていらしたようなので。目が覚めました?』
『このっ…!』

媚びへつらうヘラヘラした人間ばかりだと思っていたがどうやら芯のある人間も混じっていたようだ。敵意を隠さず男を睨みつける女はいつの間にかその指に嵌めていたリングに炎を通し牽制を始めている。
流石に此処で戦闘をおっ始めるつもりではないだろうが、十分な効果をもたらした。ヒッと息を飲む男は女と距離をとる。女は好戦的な笑みを浮かべていた。
面白い。
その炎はまだ荒々しいが放たれるそれは見まごうことない橙。滅多といる訳ではない大空属性だ。
その色の希少さを知らぬ者は此処にはいなかった。恐れをなしたかのように男は笑みを張り付かせ後ずさり逃げていく男の背中を見守る女は手慣れている風にも見え、だからこそXANXUSが興味を持ったのだ。

『失礼いたしました』

僅かに肌蹴られた服装を正し女はXANXUSへと一礼後、自分の通路を邪魔せぬように壁際へと下がる。
女に見覚えはあった。此処へはあまり足を運ぶことはなかったがその少ない訪問数でも必ず居た従業員であることをすぐに思い出す。こんなところに日本の女が登用されている事は珍しく、他の従業員たちよりも頭ひとつ小さな彼女がよく働けたものだと思ったこともあった。
いつも笑みを絶やさぬ女の、アレが本性か。XANXUSを見ても驚いた節が見えないのは恐らく自分が近付いていた気配にも気がついていたらしい。料理の腕がどんなものなのかは分からないがそれよりも戦闘の方が向いているのではないかとも思ったがそれ以上に気になったのがその好戦的に見える瞳だ。気紛れで自分の側に居させる女とも、部下達とも違うその目。面白い。悪くない。

『…てめえ、名前は』


「…私の顔に、何かついていますか?」
「何もねえ」
「…」

沢田凛と名乗った女は全ての経歴が謎に包まれていたが紐解けば何ら難しいことはなかった。
縁者でもない彼女がその苗字を名乗った理由は沢田綱吉による提案であったのである。お守り代わりにと。大空のその炎を有しボンゴレ関係の人間の働くそこで沢田姓を名乗れば恐らくきっと、誰もが勘違いをし凛を悪いようにはしないと。彼女の身を守るだろうと。
そんな優しさの結果、結局それは巡りに巡りXANXUSが彼女を探し当てる弊害となったのだ。随分と時間がかかったが、今は取り敢えず彼女が手元に来たそれだけで収穫であった。

しかし幼い彼女、佐伯凛は何も覚えてはいなかった。
最初から然程期待はしていなかったがこの現代において初めて彼女と相対した時にあまりにも動じずXANXUSを見ていて、――その瞳が未来での彼女と会ったそれに重なったのだ。何か思い出せばいい。思い出して、聞き出したいことがあった。だからこそ覚えていなかった彼女を引き止め、匿う事にしたのだった。

そんなXANXUSの思惑など知る由もなく、黙々と食べる彼女。それらは全て彼女の好んだ味であったがしかし引っかかりはしなかったらしい。例のリストランテのシェフを呼んでいた訳であるが引き出せなかったようだ。
そうですか、と大して興味もなさそうな凛の呟きは吐息となって消えていく。彼女にとっては何もかもがどうしてなのか、何故こうなっているのかと全てが謎だらけであろうがXANXUSは聞かれれば答えるつもりではあったものの己から話し出すことは決してなかった。
聞きたい事の、その答えをこの小さな彼女に聞いたところで意味はない。否、その答えも彼女の口から出る事すら恐れているのだ。
この、自分が。
ヴァリアーのボスたる自分が。
カチャリと小さな音がして凛へと目を向ければ彼女は既に食事を終えていた。

「もう良いのか、凛」
「…はい、美味しかったです。ごちそうさまでした」

当たり障りのない返事。これも幾度目のやり取りだろう。歯痒さを感じなかった訳ではないがこればかりは無理強いも出来なければもう奇跡等という一番信じられない事象でしか彼女の中に未来の記憶が生じることはないということは分かっていた。

気に入っていた女であれば自分のモノにしてしまえばいいと思っていた。
しかしそれは、それを行動に移すことは叶わなかった。あまりにも彼女は小さく儚かったからだ。そして、未来で初めて会った時と同じ感情を、抱いてしまったからだ。
当然ながら、それが凛に伝わることはなかったのだけれど。

立ち上がる。
ビクリ、と身体を揺らし不安げにXANXUSを見上げたのは最初の2日程度だけでそれ以降は勝手に恒例のものであると認識をしたのか何も反応することはなくなっていた。
どうすればいいのか分からなくなっていたのはこの時点で、XANXUSもであった。

自分の手で小さく、華奢で、それでいて…XANXUSを守り死んでいった彼女の柔らかな手を包み込むと世界で一番安全だと思ってやまないあの部屋へ送り届ける為に歩みをすすめるのであった。
その手に、声に出せぬ想いを、疑問を込めて。

何故、死に際お前は笑っていたのか。
落ち逝く際、お前は何を伝えようとしていたのか。

――…お前は俺を恨んでいなかっただろうか。


その答えは、依然闇の中。

  

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