揺る揺る

目を開く。
いつもと同じく上を向いて寝ているお陰でいつもよりも天井が幾分にも高いこと、そして何だかその視界の中でもやけに豪華な装飾が見えることに違和感を抱く。寝惚けながらのその頭でも凛の住んでいるボロアパートではないことぐらいは何とか判別がついた。そうとわかれば緩々と自分の頭が回転し始める。

「……」

身体を起こし辺りを見渡す。
キングサイズのベッドは凛以外の誰かが一緒に使っていた様子もなく、また、枕元にそういった道具もない。どうやら最悪の結末になっていない事だけは理解した。身体に違和感も痛みもないのだが何故だか頭と首が内側から痛む。
……否、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

昨夜は酒を飲んだだろうか?――そんな訳がない。
記憶を辿ろうとするも昨夜はバイトを終えて家に帰ったところまでしか覚えていないことに気付く。
それからの記憶はあやふやで、でもいつもと変わらない日常を送っていたのであればその後24時間開いているスーパーで買い物をして帰っているはずである。

「起きたか」
「!」

ガチャリ、と奥の扉が開いたのはその時だった。びくりと身体を飛び上がらせながら触り心地のいいシーツを握りしめ声の主を見上げ凛は口をあんぐりと開いたままになってしまった。
此処が如何わしい事を目的とするホテルではない、という事は体験も経験もなかった凛なりにも分かっていた。では次に考えられたのは何処かへ誘拐、或いはバイトまでの帰り道だか何処かで倒れたところを金持ちに救われその人の家に連れてこられてたということ……だったが流石に成人もしている凛にそんな後者の子供じみた、楽観的な考えを持つことは叶わなかった。

では扉を開いて現れた、目の前の男は何者なのだろうか。
見覚えもなければ声に聞き覚えがあるわけでもない。そもそも近所付き合いだってそこまで無く、そして数少ない学校の友人達の年代では無いだろう。それに、彼の髪色は黒髪に見えるがその背と言い体格といい日本人に見えることは無かった。

「調子はどうだ」
「え、と…ちょっと頭が痛いぐらいで」
「そうか」

恐らく長話の苦手な類だろう。
あまりにも言葉足らずではあったが間違いなく凛の身体の不調を気にしてくれていることぐらいは流石に理解もできて色々と浮かんでいた疑問よりも先に男に対し言葉を返す。

男の容姿は驚くほど整っていた。
顔のところどころに見える傷跡が少し気になったがそれですら彼の一部なのだと訳の分からない納得が出来る程に。芸能人か何かなのだろうか。それではここは撮影所なのか。否、そういった類の人間ではないと凛の本能が告げていた。そして、この人間は危険であるとも。
しかしながらその本能よりも、彼の姿を見ていたいという不思議な気持ちがそれを抑えている。この人の声をもっと聞きたいと。この人を知りたいと思ったこの感情は一体何だろうか。好奇心なのか、否か。
この時点でそれは然程問題ではなかった。ただただ知りたい。ただ、見ていたい。

「…凛」

時間は驚くほどゆったりと過ぎていく。
男はやがて凛の側まで歩み寄り、片膝をベッドに沈み込ませ自分の黒髪を片手で梳いた。直接触れられている訳でもないのに何故だかそれがとても恥ずかしい行為であるように思ってしまう。
名前を呼ばれた。それだけでこんなにも心臓が高鳴るのは何故だろうか。どうして自分の名前を知っているのだろうかと思ったがそれ以上にこんなにも名を呼ばれるだけで満たされる気持ちになるものなのだろうかとそちらの方に気を取られてしまう。
近くで見たい、もっと見たいと思った凛の願いは叶った。
だがしかし、彼が自分に対しその行為に至る理由を知らない。だからこそ正直な疑問を彼へと投げかける。

「ところで、……あなた、誰ですか?」

ピシリと男の身体が固まった。例えの話ではなく、本当にそう思ったのだ。
目の前の男は生きている人間だ。だというのに凛の言葉を聞くやいなや完全に、停止した。その瞬きさえも。
瞳孔が一瞬開いたところまで確認してから、凛の髪から手を離す。「まさか」唸るような声はどこから漏れたものなのか。

「…後で迎えを寄越す。話はそれからだ」

それまで寝てろと凛の頭に触れる手は大きく、話し方はぞんざいで高圧的で、触り方はお世辞にも優しいとは言えず粗雑であったが何だかとても懐かしいような、泣きたくなるような、不思議な感覚と感情が凛の中を渦巻いていた。何故こんな温かい気持ちになるのだろう。何故、初めて会ったというのに不審感よりも先にこんな温かい気持ちが生まれてしまったのだろう。

何もかもが分からないままパタリとドアが小さな音を出して閉じた事を目で確認し、どうかこれが夢でありますようにと願いながら凛は今度こそ顔を赤くして枕へと突っ伏したのだった。

  

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