泳がない魚

バシャンと水しぶきが上がる。2回目あがったそれは1回目の時よりも大きなもので水面に彼のコートが浮き上がったことを確認するとベルはふう、と息をついた。

「……やっべーな、アレ。王子でさえ身動き取れなかったんだけど」

今の見た?と後ろのメイドを振り返るも彼女達は静かに首を横に振るばかりでチッと舌打ちせざるを得なかった。
凛の表情、声、…意志のある瞳。ここへ彼女を連れてきてからというものの見ることのなかったものだ。だけどベルの記憶にはしっかりとあるものであり。窓枠に肘をつきながら目の前に広がる湖を眺め、しししっ、と楽しげに笑みを浮かべた。

「今の音は何だあ?」
「あー、二人して水浴びしたかったみてーだぜ」

騒ぎを聞きつけたスクアーロもベルの横に並び外に目を遣ると丁度タイミング良くXANXUSが凛を横抱きにし上がってくる途中であった。凛の方はどうやら意識がないのかグッタリしているようだが焦った様子があまり見られないXANXUSの動きからして命に別状はないのだろう。
当然ながら二人してびしょ濡れで、それに気付いたメイドが悲鳴をあげながら2人分のタオルを持ち玄関口へ走っていく様をこれまたスクアーロもベルと同様口元を歪ませながら見守っている。

「…スク先輩ここまで分かってたわけ?」
「んな訳ねーだろ。ま、後で詳しく聞かせてもらうか」
「だなー。今は邪魔者だろうし」

がしかし、2人共言葉にこそ出さなかったがきっと凛は思い出したに違いないという根拠も無い確信が内にあった。
ベルは凛を間近で見ていた分、余計に自信がある。

全てが偶然であった。
皆が一斉に”無かったことにされた”未来の記憶を得たのとは違い彼女は、凛は与えられることはなかった。
詳しい説明をされることのなかった凛は恐らく誤認しているだろうが彼女が未来の記憶を持っていないのは記憶喪失やその類ではなく、そもそもの可能性自体が無かったのだ。
確かに彼らと近かった存在ではあった。が、白蘭の行った事に関わった、巻き込まれた沢山の人間の1人でしかなく、そして記憶を運んだアルコバレーノの誰とも関与のなかった為に記憶が送られてくる訳がなかったのともう一つ。
これが、…これこそが彼らが凛に伝えられなかった事である。

彼女は未来において、白蘭を倒す随分前に死んでいたことを。

記憶に関してはマーモンだってそうだったのだ、例外はない。そう思って、誰もが諦めていたのだ。だからこそ彼女があの箱を見て何かキッカケになるともベルは思ってもいなかったのだが……ベルは手持ち無沙汰からナイフを取り出し弄る。


『初めまして、凛と言います』

沢田凛という女を10年後のヴァリアーの幹部内で知らない者は居なかった。
たかだか一般人がXANXUSに気に入られたという時点で大問題ではあったがそれ以上にすぐに関係を持った訳ではなく足繁く彼女の元に通っていた挙句交際をXANXUSから申し込んだというのだから当然それは衝撃が走ったのだ。

ボンゴレ御用達のリストランテで働いているという情報を聞き出し、だからこそ皆も面白半分で代わる代わる遊びに行き凛の顔を見に行ったっけ。
レヴィに至っては少しでも非があればXANXUSに報告してやろうという魂胆だったろうが余りに普通の礼儀正しい女性であったことに完敗であると負けを認め、ルッスーリアはいつの間にか茶飲み友達に、そしてベルは弟のように可愛がられ、内緒だよとたまに日本食の土産を持たされるぐらいの仲である。
ちなみにスクアーロはそうとも知らずうっかりと口説きそうになったところ、彼女の頭に飾られた存在感のある真っ赤な髪飾りを目にして顔を青ざめたという笑い話まであるぐらいで、聡く豪胆な彼女であればいずれは裏の世界を歩むXANXUSの隣にだって居られるだろうと認めた女であった。

しかし、だからこそ目をつけられた女でもあった。
それが白蘭の関与した未来。
ボンゴレを潰そうと国内外問わずあらゆる拠点を狙い始めるその前、やはり白蘭としてもヴァリアーの存在は目障りだったのだろう。何か弱点が無いものか、何か、楽しめるものはないものか。そう探し出し、見つけたのは凛の存在だった。

何を言われたのかは分からない。
何をさせられたのかは分からない。
ただ彼らの耳に届いた彼女の死。死因は爆発物を諸に被っての身体全身に至る火傷。本来であれば建物丸一個ごと壊すことも可能であったその大きな科学の力は彼女の炎、それこそ死ぬ間際に放出した死ぬ気の炎がそれを調和とし、結果的に彼女一人の損害で済んだ。その爆発物こそ先程の箱である。

しかしながら世には真実が流れなかった。彼女が何かを必死に抱え、建物内を走り回るその動画だけが残されそこから慎ましやかに偽りの情報が流れていく。

――ボンゴレに仇なす女がいた、と。
その女はXANXUSへと近付き周りを巻き込む自爆を試みたが不発に終え一人死ぬこととなった、と。

死後、罪人と蔑まれた彼女。
あの爆発物を抱え走る様子を見た人間のみがそれが間違ったものであることを知っていた。その真偽がどうであったかの証拠を探している最中であった、……ボンゴレの主要人物、機関が狙われ始めそれどころではなくなったのは。
それから先は皆が共有する記憶である。そんな未来の記憶が突然脳に叩きつけられたとあれば、彼女の存在を探し始めるのは当然のことで。
凛が見つからない理由は彼女自身の偽りの情報の所為であった。沢田凛と名乗られ彼の属性の炎を有していれば身近な人間だと誰もが思い、信じていただろう。マーモンの粘写で見つけ出した彼女にも記憶がもたらされているという一縷の望みに賭けていたがそれは叶わなかった。

彼女をどうしたかったのか。
ただ一目、会いたかっただけなのか。

XANXUSの心は彼以外に知れる筈がなかった。
どうして死んだのかとベルは問いたかった。どうして身を張って、――…なんて言ったところで未来の彼女は恐らくいつものように困ったように笑みながら答えなかったに違いない。
結果、XANXUSはその爆発に巻き込まれなかったのだから。

だがその日は、…彼女の命日になった日は、XANXUSは誰にも言わなかったが皆は知っていた。未来を共に歩もうと、彼女に歩み寄る日であったことを。赤い花を、用意していたことを。自分達の上司がそんなものを用意していただなんて知れば余計彼女に何があっても思い出して欲しかった。
自分たちのような日陰者に絶やさぬ笑みを浮かべ続けた彼女を、10年前の時分であっても彼と会って欲しかった。だからベルは凛を拉致しろと命を受けた時、ただ純粋に嬉しかったのだ。

勿論、こうなるなんて、思ってもみなかったけれど。

「別に他人とかどーでもいいんだけどさ」

だからこそこうやって、ベルはいつもよりも、否、いつもと違った表情で誰に言うでもなく呟くのだ。
もう彼女を無理やり連れ出してきたときの戸惑いも悩みもそこには無い。

「凛には生きて欲しいって思うんだよなー」
「…ガキの割りに言うじゃねえか」
「ん?先輩喧嘩売ってんなら買うぜ?」

  

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