忘れ葬

目を開く。
ズキズキと頭痛が伴うのはもう慣れたものではあったがそれ以外に目が少しだけ痛い。恐らく泣いたことが原因だろう。
それから、自分が何かを握りしめていることに気付く。一体これは何だ。そういえば今までずっと上を向いて眠っていたのに今日は丸まって眠っていたようだ。が、目の前にあるこの白いものはシーツではないようだが、…これは。

「…起きたか」
「!」

その声が降ってきたのは随分と近い。
ビクリと身体を震わせ恐る恐る見上げるとそこには見慣れた赤い瞳がある。驚きに声が出ないというのはこういうことなのかと思いながら、ゆっくりと意識が覚醒していくのを感じていたが悲鳴をあげるのはお門違いだとはすぐに理解し口を開いたまま何の声も出せないでいた。
何故ならば今、凛が握っているのはXANXUSのシャツな訳で。ゆっくりと寝付くまでの記憶が蘇る。ずっと、ずっとXANXUSのシャツを握っていたのだ。そして彼はその手を外すことなく凛の隣に居てくれたのだ。そこまで分かるとこの状態であることに納得出来る。誰が悪くて、誰に迷惑をかけたかなんてこともだ。

「…すいません」

ゆっくりとその手を外すとやはり長時間握りしめていた所為かそこは皺になっている。ようやく開放されたXANXUSはその様子を目を細めながら見ていたが凛の頭を一度、大きな手で撫でるだけで何も言わなかった。見る。見つめ合う。
まるで恋人同士の空間だった。
ドッドッ、と次第に心臓が不規則に脈を打ち始め鼓動を落ちつかせることはできない。心地いいような、苦しいようなそんな感情が凛の中を支配する。

『死にたくない』

朝、いつもの時間に起床し、取り乱してXANXUSに泣きついた後いつのまにか気を失ってしまっていたようだが凛の服はいつも建物内を歩き回る時に着ているようなワンピースを身に着けていた。
恐らく濡れたままだった凛を抱え着替えさせてくれたのはこの眼の前の彼であるのだと安易に想像はついたがしかし凛だってもう20を超えた成人だ、恥ずかしくない訳がない。
そもそも此処へ来てからというもの何もかもが世話されっぱなしで自分で何かを行うということがあまり無かったが、着替えは一度たりとも誰かの手を借りたことはなかった。理解すればするほど恥ずかしさが先行する。ありがとうございますと礼を言えばもっと顔は、今度こそ茹でたダコのようになってしまうだろう。

「…」

言葉無く、改めて彼の姿を一瞥する。
年齢を聞いたことはなかったが恐らく年上だろう。自分を日本から遠いイタリアの地まで連れ去っておいて、だけどそこでどうこうする訳でもなくただ軟禁するだけだった男。
10年後、彼やベル、それからスクアーロの所属する組織に対し不利益な事をしたとして罪人であると最初に告げられていたし――…信じられない話ではあったがそうでなくては色々とおかしいところも沢山あった。
彼らは凛の事を把握していることだ。
勿論、彼らが最初に語った、未来の凛が彼らに話したという情報は殆どが嘘っぱちであったとしても一部は本物が混じっていたようで、ところどころに一致部分があればベルは嬉しそうに顔を綻ばせたことも知っている。直感に近い。彼らが嘘をついていないと感じたことは。

ふ、とXANXUSの顔が近付いた。何事かと身を堅くさせたがそのまま凛を己の胸へと押し付けてきたぐらいでそれ以上は何もなく。
ドクン、ドクンと力強い鼓動。規則正しい音。どうしてこの人の心臓の音は落ち着くのだろうか。この謎が解ける日は来るのだろうか。それに包まれれていればすぐに微睡みかけていたがノックの音でまた意識はハッと浮上する。自分を抱いている手がほんの少しだけ、力がこもったようなそんな気がした。


「飯だ」

着替えが終わっていたこともあり、XANXUSにいつもの食事を摂る部屋へと連れていかれる。手が触れることはなかった。いつもは問答無用で握られてはいたのだが今日は勝手にしろとでも言われているようなそんな感覚にも陥り、凛は駆け足でXANXUSの後ろを歩み続ける。
その大きな手に触れていたいと思うのは、いつも握られていたという慣れの所為だろうか。触れたいと思ったのはやはり絆されているからだろうか。

「…っ」

しかし伸ばした手は彼の手に届くこともなく宙を掴む。
そんなことを出来る権利は自分にはない。そして言い聞かせる。自分は悪い人間だったのだからそんな事をして良い訳がないのだから、と。グッと手を握り込みXANXUSの後を追い部屋へと入ると今日は何だか様子が違っており思わずその場で立ち尽くす。

「…日本、食」

嗅ぎ慣れた、匂い。いつも並べられていた豪盛な洋食ではなく、白米に、味噌汁。漬物まで用意されてあり食卓はどちらかと言うと地味な色合いになっていたが凛にとってはとても見覚えのある光景がそこには広がっている。
それだけではない、いつもはXANXUSと2人きりでの食事であったのに今日はそこにベルも、それからスクアーロも同席していた。普段の小さなテーブルではなく大きなサイズになっており、彼らの前にもその食事が並んでいる。

「よう凛」
「遅ぇぞ」

ベルもスクアーロも、ここに来て知り合った人間だ。そう思っていたし、だからこそ自己紹介も行ってきた。
なのに、何故だろう。この違和感は。初めて彼らが揃ったから?いや、そんな事ではない。何か、この光景を、何処かで。…見たことの、あるような。それは所謂デジャヴのようなそんな感覚ではあったが言葉にはとても出来なかった。
ガタン、と音をたててXANXUSが席に座る。つまりその残った場所が凛の座るべき場所であるのだが。

「凛?」
「…あ、すいません」

XANXUSの前の席、ベルの隣。彼との距離はいつもと変わることはない。そういえば彼らは日本人でないことは流石に知っていたが日本食も食べるのだなと何となしに思ったがそれに関しては特に違和感を抱くことはなかった。
席に座る。手をあわせる。「イタダキマス」隣でベルが凛と同じタイミングで合掌。どうしてだろう、これに覚えがあるような…それでいて違うのだと身体の内側から訴えてくるようなこれは。これが未来の記憶というものに何か関係があるのだろうか。

「佐伯凛。お前は明日、帰国する」

スクアーロが声を発したのはその時だった。手を合わせたまま、凛はゆっくりとその言葉の意味を思案する。否、深く考える必要もなくその言葉通りなのだろう。帰国、つまりこのイタリアの地から日本の自分の家へと帰るということだ。
罪人として呼ばれたとあっても思い出せなかった以上、もう不要であるということだろうか。殺されることなく日本へ帰されるのかと半ば驚きも含まれてはいたが彼らが今更自分を騙して利となることはないことも分かっている。しかしどうしてですか?と聞くことは躊躇われた。きっと教えてくれないだろうという諦めはあったし、聞いたところでどうしようもないことだ。

「俺達の事は忘れた方がいいんだって。フツーの生活するには、さ」

ベルが隣で凛に声をかけるが殆ど上の空だった。「はい」今までと同様静かに返す。スクアーロが何か物言いたげな表情を浮かべてはいるがそれに凛が気がつくことはなかった。
嗅覚を刺激するのは懐かしい匂いであった。もうすぐ日本へ帰ることが出来るのだと本来は喜ぶべきであった。だのに、何故、どうして。瞬間視界がじんわりと歪んだような気もしたが今は目の前の食事を早く消化し、部屋へと戻ってしまいたいとただ口に運び嚥下する。

もう何も話すことはない。話したくはない。忘れることになるのであれば尚更、記憶に残るようなことはもうしたくない。
これが最後の食事だと分かったからだ。
彼と、それから皆と。未来の記憶を思い出せと言われることは結局最後までなかったが、今までの事を全て忘れろと言われた方が苦しいのにそれならば何故全員で食事なんてさせたのだと言いたくもなる。この数日間の己を殺してしまえればいいのにと白米を口に運びながら凛はひたすらその作業に専念することにしたのであった。

  

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