涙ばかりが冷たいか

ガヤガヤとざわつく周囲を気にすることなく走る廊下はいつまでも続く。長い。それでも赤い靴は力強い意志を持ってその白い床を蹴り、前へ前へ。

――…バリンっ!

次の瞬間突き破るガラス。
本来高層ビルにある窓というものは何があっても割れぬよう分厚く頑丈に出来ている筈であるというのに彼女のか弱い身体でもそれが可能となっていた。
そのまま身体が宙で止まる訳もなく、スローモーションではあったが確実に下へと落ちていく光景。

視線を上に向けると粉々になったガラスはまるで雪のようにパラパラと細かく自分へと降り注ぎ思わず目を細める。先程まで自分のいた場所からゆっくりと遠ざかる。落ちていく。
やがて割れた窓の位置に人影が見えるが誰であるかは加速するスピードの中落下している為判断はできなかった。しかし、笑う。相手ではない。自分が、だ。瞼は既にガラス片により傷つけられた所為か最早視界は闇に包まれている。時に赤色に蝕まれている。
大丈夫、こわくない。口を開く。息を吸う。落ちる恐怖からか全身から力が抜けていたがそれでも手はしっかりとそれを離さぬよう。

願わくば相手に聞こえますように。

『───……ご、』



目を開く。
いつもと同じ目覚め方ではなかった。ドクンと大きく心臓が収縮し、吐き出した息は、身体は震えが止まらない。
何かに追われている夢は見たことがある。しかし、それとは明らかに違うような。自分の意志で、飛び込んだようなものな。落ちる。誰かが見ている。笑う。堕ちていく。近付く地面。グシャリと何かの音。痛みはなくただ衝撃が。白色が。赤色が。声が。誰かの手が。

「…っぅ」

思わず風呂場へと駆け走り、白い容器に顔を近付け、えづく。胃液が出てくることは無かったがそれでも吐き気は収まることはない。気持ち悪さは止まらない。
夢だというのに何故こうも身体が拒否反応を示すのか分からないまま、口に手を突っ込み嘔吐を促すがそれでも何も出る気配はなかった。否、出したところでこの気持ち悪さからは逃げられないのだと分かってはいるのだ。
だけど何かを吐き出してしまわなければその何かに飲まれそうなそんな気がして仕方がなく、服を着たまま頭からシャワーを浴び身体を冷やしてもそれが緩和されることはなかった。うずくまる。丸くなり、このまま消えてしまいたいと、この記憶がどうか早く消え失せてしまわないかと願いながら小さく小さく、自分の身体を震える手で抱きしめ続けていた。

「凛!」

随分と長い時間、そうしていたような気がする。
先ほどから比べると随分と落ち着きを取り戻し、そのままぼんやりとしていた凛に降ってくる声。荒々しく扉を開きやって来たのは見なくても分かる。珍しく大きな彼の声だ。キュッと音が鳴りシャワーが止められ、外の扉から漏れる風が凛の身体を更に凍らせる。

「何してやがる!」

赤い瞳は、凛の肩を掴み、怒っていた。
しかしその感覚ですら曖昧で、鈍い。視界が歪んでいるのは目に入る水なのか。はたまた違うものなのか。自分の行動であるというのに説明することも出来なかった。
XANXUSはそれ以上凛に言葉をかけることはなく、しかし背中に腕を回し強く抱きしめられることによって生まれる安堵。しがみつく。この腕を、この温もりを以前から知っているようなそんな気すらした。そうでなければこれほどまでに安心出来るわけがない。
震える手は自分の視界を覆う彼のシャツの裾を小さく握る。大丈夫だ、先程までのアレは夢だったのだから。自分は生きている。彼に強く抱きしめられる事に、それが余計実感できた。

『大丈夫、怖くない』

しかし、何処かで先程見たあの夢とリンクするものがあった。涙は依然止まらない。白いシャツに額を押し付け嗚咽混じりに震えるしか凛には出来なかったのだ。

「…っ…ふ…っ」
「凛」
「XANXUSさん、わた、私…っ」

死にたくない。
泣きながら、声を震わせながら訴えても意味がないというのに。
たかだか夢だ。
そうであるのに何故こうも心が、体が、苦しいのか。否、本当に怖かったことは先ほど見た、死ぬ間際の自分が笑っていたことだ。恐れていなかった。

それがどうしてだか分からない。そんな風に考えられるような人間ではない。誰かの為に死のうなんて思ったこともない。自分の生命を捨てようだなんて思ったことはない。
では今の夢は、あまりにも生々しいアレは何なのか。怖い、痛い、苦しいと自分に訴えかけていたあの夢は一体何だったのか。
ぐしゃぐしゃに顔を歪めながら、しかしXANXUSはその言葉を夢だと莫迦にすることは無かった。凛を更に強い力で抱きしめ、「大丈夫だ」とその耳元で呟き続けてくれる。慰めだと分かっている。だけどどうして彼のこの言葉は信じられるのか。とても心強いのか。

「っうぅ…」

大丈夫だ、ともう一度。
それでも泣き止む事はできず、そのまま己の服が濡れるだろうに両膝を床につき凛の頭をずっと撫で続ける。きっと彼も突然の自分の言動に困っているだろうと思いつつも止まることはなかった。
呆れているに違いない。連れてきたことを後悔しているかもしれない。分かっていても、安易に想像が出来ても涙はそう簡単に止まることはなかった。それに、

「お前は、死なねえ」

…どうして、小さく聞こえた彼の声がひどく悲しそうに聞こえたのか。
当然知る由もなく、ただただXANXUSの胸の中で泣きじゃくり続けるしかなかったのだった。

  

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