或る美しい朝に関して

まさかスクアーロまでもがこの建物内に足を踏み入れるとは思ってもみなかった、というのが正直なところだった。XANXUSの決定事項にあからさまな難色を示したのはまさに彼であったからだ。

「もうその女は限界だろうが」

凛を部屋へ連れて行きいつもの部屋へと戻ると銀の髪をさらりと流した男は憮然とした表情を浮かべながら監視カメラを睨みつけていた。
言われなくてもわかっている。スクアーロが自分の行動に今回ばかりは嫌な顔を隠すこともせず拒絶した理由も、そして自分の行動こそが一番、今までの自分からしても不可解であることも。

佐伯凛はXANXUSの気が付かないうちに限界を迎えていた。表情が落ち込んでいったのは前触れだったのかもしれない。そうだ、あの女は読めない女であったことを何故忘れていたのか。
わかっている。すべて分かっている。既に手は尽くした。彼女の感覚分野全てに訴えかけてみた。未来の彼女が好んだ食事、服装、匂い、色、そして人の名前。今日もそうだ、未来では馴れ合った人間の名前を聞かせてみせても何の反応もない。

『その…思い出せなくて。私、何をしたのか、分からなくて、…だから』

昨夜彼女が謝った事は間違いであると正してやりたいのにそれすら出来やしない事実は少なからずXANXUSを苛立たせていた。
当然彼女が悪い訳ではない。未だ彼女に詳しい事を話せずにいるが、凛は未来の事を思い出せなかったのではなく、記憶を渡されなかったのだ。彼女は自分達と近しい存在であると未来の人間達に認められなかったのだ。当然である。あの時には既にマーモンですら自分達の側に居なかった。それどころかこの世に居なかったのだ。
そんな中で他のアルコバレーノ達が彼女の存在を知っている可能性なんて無かったのだから。

「……アイツは、一般人なんだぞ」

時間差で思い出す可能性を捨てたわけではない。
だから彼女を探し出そうとしたのに未来の凛が自分達に教えていた情報のほぼ半分以上が嘘であった。並盛で生まれ育った沢田の親類であると言っていたが実際のところ何の関係もない、随分離れたところに住んでいた。マーモンの粘写が無ければ恐らく今でも探し出せていなかったに違いない。

捕まえた。捕らえた。
だのに凛は自分を思い出さなかった。

「おい、ボスさん聞いてんのか」
「…」
「未来の話は”無かった”ことにされたんだろうが。あの女をわざわざ関わらせる方が酷じゃねえのか?」

スクアーロの言葉は正論だった。
未来の記憶を送られた事により何かが変化したわけではない。寧ろこれからだ。
白蘭という男の悪巧みが無かったことにされ、直ぐに彼の存在は現代のボンゴレにより保護されることになった。
しかしながらこの今の時代の彼はまだ何もしていない。何かするところだったのかもしれないが無害扱いとなり、つまり彼が今後このままボンゴレに保護観察を受けながら進むのであれば100%自分達に送られた未来を辿ることはない。佐伯凛と出会わない未来もあるし、そちらの方が可能性としては高いのだ。

しかしXANXUSはこの道を選んだ。もう後戻りは出来ぬ現代において。
それがどういう意味であるかなんて、部下であり彼をよく知るスクアーロは分かっていただろう。その選択が誰にとっても幸せになれない可能性を示していることに。
だからこそ進みすぎてはいない今、こうやって最後の忠告を送りに来たのだ。

「あいつは覚えてねえと来た。まあそっちの方が幸せだろうよ。思い出したとしても一般の生活を送るには厄介な記憶でしかねえからなあ」

XANXUSは1度もスクアーロの言葉を否定することも、かき消すこともしなかった。彼女を嫌っての言葉でないことを知っているからだ。寧ろ、そういう意味であるのであれば逆であるし、何よりヴァリアーの幹部に彼女を知らぬ人間はいない。そういう、存在だったのだ。

スクアーロの灰色の瞳は言葉なくXANXUSに問い掛けていた。
全てを無かったことに出来るというのに何故彼女と関わりに行ったのか。
今の何も覚えていない彼女をこれからどうするつもりなのか。

答えるつもりはなかった。否、答えなど最初から用意すらしていなかったのだから応えようがない。
そんなXANXUSの行動も分かっていたものなのかハァ、とスクアーロが大きく息をつく。そして諦めたように懐へ手を遣り、XANXUSの目の前でそれを取り出しテーブルへと置いてみせた。

「…何だこれは」

怪訝な顔をしながら視線を遣ればそれは白い箱だった。
未来において度々出てきた匣兵器と呼ばれる外観に非常に似ているが炎を灯したリングを差し入れる部分が見当たらない。そもそもこの時代に匣兵器が作られるような技術もなくすぐに模造品であることは見破ったもののスクアーロの意図するものは読み取れなかった。

「ただの爆発装置だ」

ピクリとXANXUSの眉が釣り上がる。
この場においてその言葉を受けて尚判断出来ない人間など居なかった。スクアーロの隣に黙って立っていたベルが初めて戸惑った様子を見せる。

「…先輩、それ」
「勿論これはフェイクだけどなあ。作らせて、持ってきてやった」

白い箱。何の変哲もない、何も塗られていないダイスのようなそれ。しかしこれは…これこそが。無表情のままそれを睨みつけるXANXUSにスクアーロは更に言葉を添えた。

「昨夜、白蘭が抜け出したらしいぜぇ。すぐに帰ってきたみてえだが何処にいったかは割らねえらしい」
「…カスが。とっとと帰れ」

それは突然の変化だった。
吠えるようなその話し方に、長年共にいた人間でなければ間違いなく気を失ってしまうであろう殺気が込められる。
静かな怒り。
無言の空間ではあったがひとたび油断でもしようものであればこの空気に飲まれてしまうほどの何かがXANXUSから発せられている。ピリピリと、ヂリヂリと肌に突き刺さる殺気。元々自分達のボスは気が長い方ではない。気に入らない事があれば何でも壊してしまうし、潰してしまう。そんな彼であるというのに静かな怒りは、しかしいつもと質が桁外れであった。

「…チッ」

やがてその静寂を破ったのはXANXUS本人だ。
興味を失った箱はベルの方へと勢い良く放り投げられ足音荒く扉を開くとその場を出てしまったのである。
恐らく向かうのは彼女の部屋だろう、それは誰が言わずとも明らかだった。XANXUSの気配が完全に去ったことを確認するとベルはその白い匣を宙に投げながら大きく息をつく。

「スク先輩なかなか煽るねー。焼き殺されるかと思った」
「…これぐらいやっておかねえとあいつは動かねえからなぁ。関わった癖にどう手を伸ばしていいのかわかんねえなんざボスらしくねえ」

わざと怒らせるような、機嫌を損なわせるような言葉を選ぶことも容易い。
手に入れられるものであればとっとと手に入れてしまえばいいものを。そうでなければとっとと手放せばいいものを。今なら傷も浅く戻ることだってできるだろう。やり直しは効かないが、時が経てば記憶が薄まることだって可能なのだから。

ベルもベルとて、この新しい風に少しだけ安堵していることは確かだ。自分ではきっと起こせないことだった。この匣は、この屋敷はあまりにも閉じきったままで誰にとっても救われるものではなかったのだから。

…これで少しは彼らに変化が促されれば良いのだが。

ししし、と漸くいつもの笑みを浮かべながら珍しくもベルは風の運び手に賞賛の言葉を送ることにしたのである。

「作戦隊長って名前だけじゃねーんだな」
「…喧嘩売ってんなら買うぞぉ」

  

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