見知らぬ闇に火を灯せ

どうしてこうなってしまったのだ。全身で感じられる夜風、夜の森の音。
そして彼の鼓動。彼の膝の上に座り後ろから抱きしめられながら凛は今日の昼間の事を思い出していた。


『おはようベル』
『凛!』

何故だかXANXUSと部屋で会話をしてから今までとは全部の景色が違ったように見え始め、ただひたすら生きるために与えられた食べ物を口にしているだなんてよくも勿体無いことを考えたものだと自分の事ながら驚くほどに食事を楽しんだ。
それからこれもまた変わらず自室に帰る為XANXUSにより手を繋がれる。流石にその動作だけは憚れたがそれに対し彼は苛立つ事もなく寧ろ凛の反応を赤い瞳を細め楽しんだほどで、結局のところその手から逃れられることはできなかった。

しかし温かな手は自分を捕縛するためのものではないのだとこれも勘に近かったがそうとれる。先導の手だ。凛が迷わぬよう、道を間違えぬように支える手だった。
だからこそ今まで彼のこの手を怖いと思わなかったのだろう。それは彼自身にも言えたことだったのだけれど。

罪人だと言われ、罪を犯したと言われてはいたがそれに対しての処罰は与えられなかった。別に罰を受けたい訳ではない。だけどこれから凛はどうしていいのか分からず、言わば自分の生命は彼らの手に委ねられたも同義なのだ。その自覚はある。けれど、だからといってすぐに凛の生命を奪うつもりでもなければ凛に対し何かをしようとしているようにも見えないことも確かで、だからこそどうしようもなくただ流れに身を任せているところもあった。
そんな中での、この出会いだった。

『ボス、悪い。追い払おうとしたんだけどさ』
『お前が佐伯凛か』

もうすぐで自室と言ったところで現れた金髪の彼の隣にいる銀の髪の男に見覚えはなかった。
じろりと無遠慮に見られるのも何度目だろう。恐らくこの新たな4人目の男はXANXUSと同じところに所属している人間であると判断したのはその服からだったが明らかに今までの人間とは違いこちらを睨みつけている様子からして凛の存在を気に食わないといったところが見て取れる。ギラギラと睨みつけるそれはまるで凛を視線で射殺そうとでもしているようだった。

『幼ねえなあ、凛』
『……どなたですか?』

ちらりと銀髪の男が凛の隣に立つ男へと視線を向けた。どうやら名乗っていいのか伺っているらしい。この目の前の男も相当強そうに見えたがそれでもXANXUSの事は絶対であることには変わりがないようだ。『スクアーロだ』…名乗られた名前に、やはり覚えはない。凛も名乗ると一瞬驚いた顔を見せたがすぐにその口元に笑みを乗せた。
以降は凛を見ることもなくXANXUSへと顔を向け此方を見ることはなかった。どうやらこの男、スクアーロはXANXUSに用事があったらしい。凛を除いた3人は少し会話を続けるものの凛には分かる言語ではなかった。今まで日本語で話していたのは当然優しさだったのだろうが、では今の話題は凛に聞かれたくないものなのだろう。
自分の、罪というものに関係があるのだろうか。それともただ凛に関係が無かったことだというだけなのか。
分からない事だらけになると考える事を放棄するようになったのはある意味ここで培った自分の身を守る術だったのかもしれない。やがて会話が終わるとスクアーロは凛を見下ろし頭の上に手を置いた。堅い手であった。

『おい凛、今度は悪い男に騙されんじゃねーぞ』

それが彼にかけられた最後の言葉だった。
ふと繋がれた手に僅かながら力がこもった気がしてちらりと隣を見上げるとXANXUSが眉間に皺を寄せながら、ヒラヒラとこちらに手を振りつつ背中を向けて歩いていくスクアーロの事を睨みつけていた。


「……」

変わった事、といえばそれぐらいだった。
以降は何も変わらなかった筈だったのだが夜になり食事をとる前に突然扉が大きく開け放たれそこからXANXUSが不機嫌を隠さずにやってきたものだから凛は驚きのあまり何も反応ができなかったのである。

そして、今に至る。凛を抱きあげたかと思いきや突如窓から上へと飛び上がるその様子は見ることができなかった。XANXUSのシャツに顔を押し付けられ視界は真っ白のまま、気が付けば屋根の上、そしてXANXUSの膝の上へと居たという訳だった。
逃げられる訳がない。少しだけ移動しようかと身を捩らせたもののすぐにXANXUSの腕で戻され結局諦めて彼の膝の上で大人しくすることになってしまった。
外は寒かったが抱きしめられ触れられたその場所だけが火傷しそうな程に熱い。ついでに凛の顔も恐らく真っ赤になっていることだろう。彼の他に誰にも見られていないことだけが救いであった。

「白蘭という男を知っているか」
「ビャクラン?」

やがて紡がれる声。
このタイミングで話される内容はあのカメラに映らぬようにということなのだろうか。ビャクラン、ともう一度名前を口にしてもピンと来ることはなかったが何となくあのシロという男がそうではないかと思い当たる節があった。シロという名前自体が恐らく偽名であるぐらいは凛でも何となく分かっていたからだ。
シロという名で分かると彼が言った通り未来の自分にもそう名乗っていたのかもしれないが記憶の無い凛ではその判断はつけようがない。しかしそれを答える間もなく「聞かなかったことにしろ」とXANXUSに言葉を上乗せされ返答が出来る状態ではなくなってしまった。
では何故言ったのだろう。凛がもしかすると既に記憶を取り戻していると踏んだのか、そもそも記憶の無い振りをしているのかと疑ってかかっているのか。

しかし今、XANXUS以外の誰もいない今、かねてから思っている事を話せる絶好の機会であった。

「…ごめんなさいXANXUSさん」
「何だ」
「その…思い出せなくて。私、何をしたのか、分からなくて、…だから」

怒っているんですよね?と問う声は段々と小さくなってしまった。
勿論、怒られたことはない。責められたこともない。ただ、身柄を拘束されているだけ。この広いようで狭い箱に軟禁されているだけ。
期限は特に聞かされてはいなかった。一生なのかもしれないし、凛が記憶を取り戻すまでなのかもしれない。もっとも記憶を取り戻せば今度は処罰が待っているだけなのだけれど。
凛の言葉はXANXUSの抱擁に、止められた。くるりと振り向かされれば黙って彼の分厚い胸板に押し付けられる。変わらぬアルコールの香り。凛の頬をくすぐる赤い、羽。

「…もうすぐ」
「え」
「お前の開放だ。記憶が無いお前をこのままにしてても埒が明かねえ。近日中に日本から迎えが来るだろうよ」

それをどう捉えるべきか凛には判断がつかなかった。喜ぶべきなのだ、本当は。けれど。だけど。
何かを言う前に、何か伝えようとする前に「戻るか」静かにXANXUSは立ち上がった。当然ながら凛を横抱きにして、だ。彼の芳香。赤い瞳。身体の傷。間近に見た事により先程まで落ち着いていたというのにドクン、と心臓が高鳴った。まただ。また、これだ。

「わっ」

そんな凛の感情の揺れ等知る由もないXANXUSはすたすたと歩みを進め屋根の縁へ。きっとこれからまた飛び降りるのだろう。それからやって来た時と同じく3階の凛の部屋へ戻るのだ。分かっているのに。そうだと分かっているのに。

「―――ッ!」

XANXUSの足が屋根を離れたその瞬間、浮遊感を感じたその時だった。
得も言えぬ悪寒、頭に叩きつけられる訳の分からない映像。誰かの声。色彩。香り。…悲鳴。
完全に油断した時にあまりのおびただしい、それでいて不規則かつ不定の感覚が凛の脳裏にフラッシュバックする。押し寄せる膨大な情報。一体これは何なのだと考える時間すら与えられることはなく、

声なき声をあげ凛がカクリと意識を失ったのは一瞬のことであった。

  

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