昨夜も確認はしたのだが幸いにもこの店の中に鏡はない。つまり雲雀が鏡に映らない存在であるという事に気付くことはないだろう。辺りが暗い所為で窓ガラスがその役割を果たすかと思いきや家具が置かれているお陰でそれも何とか防げよう。安堵しそのまま奥へと歩むと雲雀は彼女の前で立ち止まった。
 恐らく雲雀が吸血鬼であるということを未だ知らずにいるらしいと判断できたのは彼女が突然店にやってきた自分に対し一瞬たりとも怯えた様子が見当たらなかったからだ。不思議なことにあれだけ自分が花屋へ入るのを見ていたはずの周りの人間達は、また牽制を仕掛けてきたはずの骸も雲雀の事に対して忠告をすることは無かったのだろう。

 人間は自分と異なる者を畏怖する性質がある。集団から摘まみ出すきらいがある。例え基本的には無害であり言葉を交わすことの出来る生き物と頭の中では分かっていたとしても所詮は人間と魔族。いつ自分たちに牙が剥くか分からないとあればここで彼女が変わらぬ態度を取れるはずがない。

「また怪我してるの」
「……ええ、お恥ずかしいですが」

 ふと香ったそれに視線を落としてみると昨日よりも増えた、指に貼られた絆創膏。変わらず滲む血に思わず目を細めると宵はそれに対し顔を僅かに赤らめ手を後ろに隠す。その動きに何ら変わったところは見当たらず、至極自然な流れであった。

 それぐらいの傷であれば例の泉で傷が塞がるはずなのだが、どうやら毎日通っているというようではないらしい。彼女が言っていた通り花の世話で傷を負っているのだろう、昨日と同様その変わらない血の匂いは濃厚に感じられたのだがこれは予め分かっていたが故に雲雀の強靭な理性で抑え込む。
 直ぐに欲しいと強請る本能は仕方のないもの。この思考を変えたいだとかそういったことは考えていなかったのだが何も自分は血を吸いに来たのではない。否、もちろんいずれそうしようと決めてはいるのだが自分が求めているのはもっとその先にある。その為の下調べに近いし結局のところ自分のもう一つの本能のままに、ただ今日は彼女と話したいと思っただけなのだ。

 恥ずかしげに俯いていた宵はやがてハッと思い出したかのように顔を上げる。
 宵の背は雲雀よりも頭一つ分低い。濡羽色の髪も瞳も美しく、美というものは上位種の魔族だけの特権ではなく人間にも等しく与えられるものなのだと改めて感心する。だがそれ故に力のないはずの人間をただの餌だけではなく眷属、もしくは彼らを弄ぶことによって玩具にしてしまおうと思う魔族が現れるのも仕方のないことなのかもしれない。他の魔族をあまり見ることもなかったのだが宵は非常にそういった物事から狙われる危険性を孕んでいた。この血の匂いだけではない。もっと彼女より美しい人間だって居るであろう、だのに惹きつけてやまない何かが彼女にはある。

「何のお花を買われますか?」
「? ああ、」

 そんな思考を遮るかのように投げかけれた言葉に瞬間雲雀の脳裏に疑問符がよぎるがその言葉を把握したと同時に当然の言葉であるとすぐに納得した。ここはナミモリで唯一ある花屋なのだ、ならば彼女にとって訪れた者は客であると判断するのが妥当となる。この建物に自分の意志で入った者、それは雲雀であってもその対象に成り得るのだ。悩んだものの話を合わせることに決め、考えた振りをしながらそうだねと小さく呟きながらここで少し困ったなと正直思わずにはいられない。あくまで自分が目的としていたものは宵だ。彼女が如何に花を大事に世話していたとして、自分は相変わらずそれに興味を持とうとは思わない。

 人間と一緒なのだ。

 一生懸命生きているものの、長くもない寿命を終えると最盛期の面影を残すこともなく枯れていく。美しい時期のみを切り取って楽しむだけのもの。それならばいっそのこと美しいまま保存する方が、閉じ込めてしまう方が一生楽しめるものなのではないかと思うのは人間に対しても同じように思ってしまうのである。

 花であるなら目の前で売っているようなプリザーブドフラワーにしてしまえば良いように、人間であるなら眷属にしてしまえばいい。そうすれば美しいまま衰えることもないし、今よりもっと強い力を持った上で半永久的に生きていられる。今までそんな考えに至ったことがなかったのはそこまで思う相手が居なかったからであり、彼女と出会ったからこそそう思えるようになったのであり、誰かに学んだわけでもなく考えついたそれは魔族としては当然の選択なのであった。
 実際その思考を事由に眷属を作った者は少なくはない。
 そこに愛おしいという感情を込めた者がどれほど居るのか、ただ気に入った容姿の人間を玩具にして遊ぶために敢えて生命を摘み取るのではなく不死の身体を与える者も居る中で自分の考えが何処に与するものなのか自身ではまだ理解出来ずにいるのだけれど。つまるところ雲雀は彼女の様子を見定めた暁にはそれを行っても構わないと思える程に気に入っているのである。強烈な誘惑の香りは例え眷属にしたとしても衰えることはあるまい。

 いつからと問われれば当然最初から。
 あの時彼女が話しかけもしなければ雲雀とてこうやって興味を覚えることもなかっただろう。彼女はあの時、人間としては一番不正解で不運な選択をしてしまったのである。尤も間違いであった、そんなつもりではなかったなどと言われたところで今更諦めるつもりはさらさらない。

「贈り物なんだ」
「…なるほど。花束と籠がありますが」
「花束で」
「色合いはどうしますか?」
「そうだね、赤色がとても似合うと思うんだ」

 赤い赤い、──血が。

 ああ、何も知らない彼女に今すぐ牙を突き立ててしまいたい。他の人間と同様流れる血色は同じはずなのに、想像するだけで唾液が湧き上がってくるかのようだった。その血液の色を抜きにしたとしても自分と同じ黒の色彩を持つ髪や双眸、白い肌はさぞ赤色が映えるに違いない。早く早くと彼女の血を欲する己の尖った牙を落ち着かせるように舌先で舐めながら雲雀は再度店内を見渡した。

 時間が時間だけに店の中にある花は少なくなっていたことには気付いている。売り物なのだ、買いつける人間が居るのであれば当然であろう。赤色の花はあまり見当たることもないが別にそれでもよかった。彼女のことを知りたい。趣味嗜好を知りたい。そして今は彼女は花屋の店員であり、自分は客。ならばこれは絶好の機会なのだ。

「あとは君が選んでくれるかい。僕は花がいまいち分からなくてね」
「分かりました」

 何とも抽象的な注文だった自覚はあるのだがそれでも戸惑わせることはなかったのはこのような客は雲雀が初めてではないのだろう。こくりと頷き早速作業に取り掛かり始めたのを雲雀は近くの壁に背中を預け遠慮なくじっくりと見遣る。

 迷うことなくあちらこちらからひょいひょいと花を選び、テーブルに置いた花に合わせてはああでもないこうでもないと1人呟きながら戻したり増やしたりして形を整えていく。その様はなかなか面白く、そして手際がいい。その工程を客に見られるのは慣れたものなのか雲雀のことを気にすることもなく駆け回る宵の口元にはいつしか笑みが浮かんでいた。

 ……これは、なかなか。

 花にしか見せることはない表情、とでも言うべきなのだろうか。雲雀に見せたものでもなければ以前から知り合いだったであろう骸に投げかけた笑みの種類ともまた違った様子を見るからに、彼女にとって花屋は天職であるに違いない。悩んだ顔をしてみたりこれだと決めた花が見つかると嬉しそうにしたりと、くるくる表情がよく回る。それに魔族である自分が言うのも何だがまるで魔法のようであった。雲雀にはできそうにもない速度で、雲雀には選びそうにない色のものを着々と集め増やしていく様は。見てて飽きないというのはこういうことであるらしい。

「こんな感じでいかがでしょうか?」

 どれぐらい時間が経過したのだろうか。
 突然静かだった部屋に響き渡る小さな宵の声に我に返ればいつの間にか綺麗な花束が彼女の手によって作り出されていた。意図的に嗅がずともどこかまた指を切ったようで血の匂いが混じり思わずごくりと喉が鳴る。次いでその後、彼女が自分のその行動に何ら不信感を覚えていないことを確認するとそのまま反応を求める宵に応えるべく手元へと目を落とす。

 差し出されたこれが彼女の作り出した作品。
 成程、こう見れば確かに群生している草花とは違うし美しいものなのだと素直に言えよう。彼女を喜ばせようとした意図もなかったのだが思わず雲雀も「ワオ」と声をあげる。その花束にはそれをさせるだけの魅力があったのだ。
 受け取ろうと当然のように手を伸ばすのは当然の行動である。いずれ枯れゆくものとは言え、らしくもなく気に入ったと素直に評することができるほどの出来栄え。物を受け取り料金を支払うというのがこの世界での常識であり、それに則り雲雀も彼女が持つ花束に触れるところでまでは何事もなく順調であったのだ。

 彼女にとても似合いそうな赤色──薔薇が中心に据えられていることに気付くまでは。

「……」

 声を出すこともなく、また表情を変えることもなく雲雀はやがて花束に伸ばす手をそれに触れることもなくゆっくりと下げた。

 花には興味が無いと言ったことに違いはなかったが唯一雲雀ですらその花の種類を知っているのには理由がある。近しいものであるその薔薇という花だけは何が理由なのかはわからないのだが吸血鬼を拒絶するのであった。――即ちすぐさま、枯れるのである。

 こちら側には何も害が及ぶことはないのだが触れることによりその鮮やかな花弁は瞬く間に精気を失い散らすこととなることを雲雀は身を以て知っていた。かつて自分の屋敷にはその薔薇の花が何故か誰も世話をすることなく生えていたのだが何も知らなかった雲雀が尽く枯らしたことは記憶にある。だからといって今までそれに何の支障もなかったのだから気にすることはなかった。否、今までそういったことも忘れており今その花束を見てようやく思い出したと言った方が正しいのだろう。
 恐らくそれは雲雀が吸血鬼である以上、如何に人間を模して魔力を悟られぬよう調整してみても花はその態度を変えることはないに違いない。彼女が作ったその花束に触れた瞬間から中心にある花だけが枯れてしまうことだろう。そうなってしまえば流石に彼女も気付く。目の前にいる男が、ただの人間ではないことを。

 いずれ分かることとは言えそれを今口にするのを憚れた理由が雲雀自身よく分からなかった。吸血鬼であることに誇りがあるわけではないが隠したいと思ったことなどない。しかし、この自分の言動の根底にあるものは何なのか。彼女に吸血鬼であると思われたくないのか、怖がられたくないのか、はたまたその花束を枯らせ悲しませることをしたくなかったのか――…今の雲雀には考えつかなかったのである。

「少し派手かもしれないな」
「ではこのお花はどうでしょうか」
「じゃあそれで」

 最終的に雲雀が選んだのは、彼女の手によってその中心の花を変更するということであった。
 それならばとすぐに宵は新たな赤い花を真ん中に添え、見栄えを損なうこともなく雲雀の前に提示する。恐らく彼女は分かっているだろう、この花束は薔薇を基調としたものであるが故に先程のものを知っているのであればいくらか見劣りしていたように感じられることを。まったくもって、雲雀もそのように思ったのであったがこれならば彼女を今の段階で困らせることはあるまい。

「あなたに送られた方はきっと幸せでしょうね」
「そうだと良いんだけど」

 決まり文句だとわかっている。ああ、だけど何故こうも息苦しい。

「ありがとうございました!またお越しください」

 宵が持っていた時は大きく見えたそれは雲雀が持つと小さく見えるのはただ単純に体格差だけなのか、それとも花自身が宵の手から離れるのを悲しんで縮んでしまったのかもしれないとまるでこの花々が生きているかのように雲雀は思った。人間の手から離れ、吸血鬼である自分の手に渡ったその花束はもちろん宵に伝えた通り誰かへの贈り物などではない。ただ彼女と話すための道具としての役割を果たしたのみ。捨てることはないし持ち帰りはする。しかし、だからといってこれが彼女の何かである訳ではないのだ。
 料金を支払い帰路に着いた今、雲雀はそっと未だ見送る彼女には見えぬよう手元の花束へと視線を落とす。

「……薔薇、ね」

 何とも厄介な花だ。雲雀にとっては勝手に生えているような花だったのだがこれを敢えて好み、購入する者が居るのであれば今後はもう少し気をつけねばならない。もしもそこに添えられていたのが薔薇の花ではなかったとしてすぐさま受け取っていればもう少し話題も弾んでいたのかもしれないのにまるで薔薇に邪魔された気分である。否、まるで、ではなく本当にそうだったのかもしれないと今更ながらに思う。

 彼女が建物に戻った気配を感じ取るとすぐさま近くの路地裏へと移動した。既に辺りは暗く、他の魔族を恐れ人間は門戸を硬く閉ざし人の気配は無かったのだがさらに神経を尖らせ周りに人が居ないことを把握するとようやくそこで、ほっと息を吐いた。吸血鬼であることを見破られぬよう細心の注意を払ったつもりだ。尖った牙を見せぬよう話すことなどは容易であったし、怪物づかいである骸の知り合いである彼女が魔族を感知するような能力があればと懸念もしたのだがそれは杞憂に終えたらしい。結局彼女は最後まで気付くことはなかった。不思議な客、程度の認識だろうか。しかし今はそれで十分だ。
 彼女の露わになっていた首筋を思い出しただけで、その下を流れる血を思い出すだけで吐息が熱を孕む。ここまで我慢が出来たのであれば上出来だと自画自賛したくなっても仕方あるまい。

 すい、と何気なく伸ばした手。恐らく他の花に被さっていた故にすっかり抜くことを忘れていたのであろう花束の中に紛れ込んでいた一輪の薔薇の蕾の存在を、建物から出る直前に知った。雲雀の記憶が正しければそれは本来、やがて大きな赤い花を咲かせる予定だったのだろうが結局それを為すこともできず枯れている。…果たしてこれが枯れた過程を彼女が目にしていないと良いが。
 「…厄介だ」再度小さく呟かれたその声、ぐしゃりという音と共に暗闇で赤い目が怪しく輝いた。
可憐な花は自衛する
 bkm 

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