人間を襲ったこともなければ周りに同族がいなかった雲雀は知らなかったのだが、自分達のような人間とは同じような姿形をしているもののその本質が全くもって違うような種族のことを魔族と呼んでいるのはあくまでもこちら側だけであり、彼らは基本的に自分たちのことを怪物と呼ぶ。そしてそんな化物を退治せんとする職に就いたりそれらが可能である力を持つ者は”怪物づかい”と呼ばれている。

 名乗ることはなかったが骸は十中八九、人間の世界でいえばその怪物づかいなのだろう。今までどのような魔族を屠ってきたかは知らないが決して消えることのないこびり付いたそれは人間とは異なる香りがするのである。当然これを嗅ぎ取れるのは魔族の中でも嗅覚に特化した一部ぐらいであろうし他の人間達が気付くはずも無かっただろうが…相当の数を殺しているのは違いなかった。他の魔族の匂いなど気にしたこともなかったがここまで分かるとならば尋常ではない程に、あの華奢な体躯からは考えられぬ力を持って屠り続けたのであろう。

『君の噂はかねがね聞いていますよ、雲雀恭弥』

 隣のコクヨウには出向いたこともなかったが彼はどうにも自分のことを知っているような節であったのが少し気にかかる。
 このナミモリの何処かで自分のことを聞いたのか、はたまた自身の姓である雲雀の家系―総称しヒバリンなどと呼ばれているのだが―を知っている人間だったのかもしれない。あちこちに散らばっている雲雀の一族を屠ったのかもしれない。かと言って恨みはあるかと聞かれればそれ相応の事をした故に退治されたのだろうと思っているし見知らぬ魔族にも人間にも情など湧くはずもなく。
 何にせよただならぬ力を持っていることだけは間違いないだろう。久し振りに楽しめそうな実力者だとは思ったがただ彼女とも知り合いだということだけは厄介であった。

 結局骸が去ってから雲雀も大した時間を置くこともなく自身の屋敷へと帰ってしまっていた。
 彼がさっさと居なくなったことでせいせいしたのだが、しかし一度生まれてしまった苛立ちはそれぐらいでは収まることはなかったし口惜しいことに何よりその彼が居なければ間違いなく彼女の血を啜っていたに違いないのだ。邪魔された苛立ちはあったものの今となっては自分の本能のままに血を啜ることにならなくて良かったと思うところもある。骸が登場したその時既に欲望ではなく怒りが支配していたので彼が帰った後に2人きりに戻ったとしても同じ事態に陥ることはないと思ってはいたのだが如何せん気分が優れない。助けられたなど思いたくもないが店内に残されたあの男の香りが不快に感じてしまうのも仕方のないことなのだろう。
 元々人間はそんなに好きではなかったのだがあの男はもっと嫌いだ。

 ――…ムカつく。

 あの男は何なのだ。あの男は彼女の、宵の何なのだ。思い出すはあの距離、彼らの間にある決して踏み入れることのできない雰囲気。親しげに振る舞うその仕草、触れられ満更でもないと言った彼女の表情は。
 番(つが)いであろうと考えるのが至って自然だったのだろうがそうであると嫌だなと素直に思った。屋敷に戻ったとしても苛立ちは募るばかりで、吸血鬼である特徴の一つである、自身の姿が映らないくせに配置されていた鏡が八つ当たりにピシリと割れた。
 そこから流れる一筋の血。やがてすぐに治癒される傷を見ながら、同時にそこまで及んだ自分の思考に驚かされてしまった。

 まさかこの自分がそのような事を気にしたことなどあったか、と。

 例えばいつも雲雀に血を供給する女に相手が居ようと居まいと関係はなかった。居ないということぐらいはいつ彼女の血を吸いに行ってもそのような様子が見えないことで理解はしているし何より彼女の血はいつだって甘い。それ以上に甘く、或いは苦くなれば離れようと思ってはいるのだが決してそれ以上踏み込むことなく血の味も変わることもない為に貴重な供給者として足を運び続けているという訳である。そういった距離を何よりも雲雀は受け入れ、むしろ好んでいたはずだというのにそれなのに、何故。どうして。
 基本的には己の欲望さえ満たされればそれでよかったのにどうして考えてしまったのか。欲しい欲しいと渇望したことはかつてあっただろうか。果たして彼女の血を吸うだけでこの尽きぬ飢えは満足され、湧き上がる怒りは落ち着くのだろうか。

 兎にも角にもそれら全てを解決するには再度彼女に会う必要があった。否、気が付けば彼女の居るであろう花屋へとまた足を運んでいる。未だ2度しか会っていないというのに自分を惹きつけてやまない彼女に会うために。美味しそうだから?あの男がムカつくから?否、理由なんてものは後付けにすぎず、ただ昨日のあれで終わらせたくなかったのだという今までになかった気持ちが芽生え始めていたことにはもう見て見ぬ振りはできなかったのである。

● ◆ ▲

 彼女の居る場所はナミモリの外れにあった。
 雲雀の屋敷とは逆側であり一番遠い場所になっている所為でどうしても人の居る場所を避けずに彼女の居る場所に到達することは出来なかったのだがそれすら気にすることもなくひたすら突き進む。
 周りの人間たちは連日見かける雲雀の姿に驚いた様子ではあったが詮索をしてこちらの機嫌を損なうことを恐れているに違いない。それ以上反応することもなく、話しかけることもなくこちらをただただ見ているだけであった。視線に気付かない雲雀ではないが今は少し急いでいる。彼らに構っている暇などあるものか。

「……遅くなったな」

 雲雀とて日がな一日何もしていないという訳ではなく、契約の事を抜きにしてもこのナミモリを守ろうという意志はある。そこまで広いという訳ではないが決して狭いというわけでもないこの一帯を一人で見回ることは至難の業であったが群れることを厭うはずの彼は驚くことに一人ではなかった。
 居住区には近寄らせてはいないが雲雀にも配下は居る。本来魔族の、しかも吸血鬼という上位種であれば生まれたその時から自分達に付き従う眷属が居るものなのだがそもそも群れることをこの上なく嫌う雲雀家の者がそのような輩と契約することもなければ生活を共にするはずがない。
 よって特定の場所を作ることもなく自由気ままに生きる雲雀自身の両親達も記憶が定かであれば眷属を連れることはなかったし雲雀が未だ子供の姿をしていた頃には自身の周りには誰も居なかったもので、それが特段不便だと感じたことはなかった。不要だと思っていた。…のだが、雲雀のように何処か特定の位置に居を構えた場合は何かと居た方が便利であることに気付いたのである。

 他の魔族が知れば卒倒するのであろうが配下は全て人間だった。
 雲雀自身が今に至るまでにこのナミモリで悪事を働こうとした者、ナミモリを守ろうとにわかな知識だけで雲雀を退治しにやって来た者、ただ強い相手と戦いたい奇特な者…色んな人間達が自分の前に現れたのだがその中でも使えそうな人間を選別し雲雀は使ってきた。契約だの何だのという従来の魔族が得意な、相手を縛り付けるような血と血で交わすような大それたものではなく、ただ純粋で圧倒的な暴力によって屈服させた後に勝手についてきたのである。

 当初は面倒だなと思ったのだが今となってはいつだって自分の意志を汲み邪魔な事は一切しないし群れることもなく、何より彼らが人間であるので魔族である雲雀では見ることの出来ないナミモリの午前中の様子や裏側を探ってくるというまさに便利な役割を果たしていた。このような作業、どれだけ優秀な魔族であっても出来ないに違いない。証拠を探すのが人間、そしてそれを潰すのが雲雀の役割であり楽しみなのであった。結果的に荒くれ集団が『風紀』という文字を掲げ半ば自警団のようなことになっているのでナミモリには常に平穏が訪れていたのである。
 そういう意味では群れることを何よりも厭う雲雀恭弥という吸血鬼はなかなかに人間と上手く共存していると言えよう。

『じゃ後はやっといて』
『承知しました!』

 今日も今日とて変わらず悪事を働いた人間達の根城を殲滅してきたところであった。少し爪を付き立てれば死んでしまう体しか持っていないくせに次から次へといろんなことを思いつき飽きることなくどこからともなく現れる彼らのしぶとさはある種魔族とそう変わらない。
 魔族絡みでもない人間達ばかりの悪事は雲雀の襲撃により呆気なく終えてしまった。最初は果敢にも刃を向けた人間はいたのだがそもそも戦闘において雲雀に適う者などそう居ない。例え傷付けられたとあっても雲雀は吸血鬼だ、少し血でも吸ってしまえばすぐに傷を治す程度の治癒力はあるし銀の鉛で心臓を貫かれない限り死ぬこともあるまい。負わせたと思った傷が瞬く間に修復されたその様を目の前にしたその瞬間、彼らは散り散りになって逃げていったのである。
 当然それを逃す訳もなく全員叩きのめし後片付けは人間に任せ、本日の見回りは終えた。結局雲雀の衣服は血で濡れてしまったのだが全て返り血であったし負った擦り傷は屋敷に戻るまでに完治してしまい、ああ今日も退屈だったなと欠伸をしていたぐらいであり。

 ──身なりを敢えて気にしたことなんてあっただろうか。

 それが魔族としての性質なのだと言われればそこまでだが雲雀もまた例に漏れず欲望にはとことん素直であった。いつもの自分なら例え返り血が付着しようが、己が傷を負っていようが関係なく会いたいと思ったのであればそのままの姿で彼女の元へと出向いただろう。
 しかし、もしも彼女を怖がらせてしまったならと。もしも彼女に怯えられ、話しかける事すらできなかったらと考えると一番に考えたのはまず自分の屋敷へと戻ることだったのだ。

 全くもって自分らしからぬ行動、思考。
 逸る気持ちを押さえつけ新しい衣服に着替え、また客観的に匂いもしないことを確認し昨日と同じ状態であることを確認しているとこの花屋にやって来るまでにはすっかり日は落ちかけていた。辺りは少しずつ暗くなりつつあるし雲雀がいるとは言え他の魔族も活動的になりやすくある時間帯であることは知っているので花屋に到着した頃には外に人の気配はない。
 昨夜よりも遅い時間帯になってしまったものでまだ開いているかと心配もしたのだが杞憂に終え、店からは柔らかな光が漏れていた。

「……」

 ドアノブを持つ手がいやに力が入る。先程殲滅したあの時は扉を開くことがむしろ楽しみで仕方がなかったというのにその時の感情とは別の、しかしそれでいて同じような高揚感が雲雀の中にある。その中に居るのが倒すべき相手であるのか、そうでないのか。その違いはここまで出るものなのか。みしりと鳴ったそれに慌てて引くと無事に壊れることもなく開くことに成功し、入り込む。
 嗅覚を働かせていたお陰で随分前から分かっていたことだがやはりそこに骸の姿はなかった。隣のコクヨウに住んでいると行っていたがそう毎日易々と行き来できる距離ではないのだ。先程までの気持ちは何処へやら、いつのまにか気分も良くなった雲雀を出迎えたのは相変わらず噎せ返る花の香りと何とも食欲をそそる血の匂い、そして、

「あら、昨日ぶりですね」

 カチャンと扉が閉まった音に反応し驚いたように振り向き、雲雀の姿を見て微笑みを浮かべた彼女を見るだけで湧き上がるこの感情は。それと同時に理性と本能とのせめぎあいが始まることになるのだが、それでも此処に来て良かったと思えたこの感情の根底にあるものは。

 ――今はまだ答えを出すこともなく「やあ」と雲雀は宵に向けて声をかける。
召しませ欲望
 bkm 

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