外はどんよりと曇っていた。彼女は予報を見て陽がこれから出るとも言っていたが今日のこの天候は自分に害ある程ではない。人間にとって自分達はどのように思われているかなど当人達に聞いたことはないが恐らく半分以上が間違いだ。
 吸血鬼は夜を好むとあるがだからと言って日中に外に出ることで灰になる訳ではなかった。余程弱った者か真夏の日差しであればその可能性も否めないが基本的には身体が重くなってしまうことや普段の力が出せない事などが挙げられるその程度である。
 矜恃の高い彼らが食料と判断している人間に少しでも弱った姿を見せることを許すわけがなく徹底して姿を隠しているところからそう思われたのだろうと雲雀は推察していた。

 ちなみにこれは余談であるがそれを勘違いしたハンター業の輩が夏場の日中に雲雀の屋敷に侵入し、日光浴をしうとうとしていた雲雀の機嫌を大層損ね原型も残らぬほどに潰したことがある。
 その後、命からがら逃げ出した彼らを保護するナミモリの民は誰ひとり居らずむしろ何て余計なことをしてくれたんだと詰られるような有様で、ナミモリは人間の社会でも『怪物と共存する町』だの『既に怪物の支配下に置かれた町』だのと色々な噂が流れているのであるが雲雀が知るはずもない。尤も知ったところで何かが変わるわけでもないのだが、兎にも角にもこのナミモリは変わった地域なのである。


『その角を曲がって2軒目のお店を覗いてみてください。きっと、彼女は居るでしょうから』

 今の時期の日光は然程脅威となるものでもなく、また太陽が雲へ隠れてしまっているのであれば雲雀にとって一番過ごしやすい気候でもある。女の家を出た後、歩む速度はぐんと上がり言葉の通りの道を進んでいく。

 ナミモリの町には変わった毛色の人間が少なくはない。
 黒髪だってそんなに数は居ないもののそこまで珍しいというわけではない。だがそれでも”雲雀恭弥”という吸血鬼の存在は誰でも知っていた。否、知らぬ者の方が少ないのかもしれない。こちらが向こうを把握していないとしても、だ。
 その証拠にヒッという声、足早に自身から遠ざかる足音も聞こえてくるしいつの間にか人通りの多かった場所がガランとしてしまっている。大体こんな時間帯に雲雀が歩くことすら珍しいし、この吸血鬼は人の群れを極端に嫌うため夜な夜な現れては目当ての女を見つけ食事をとると思われていたからだ。

 それに関しては確かに当たっているし、普段の雲雀であれば日中外に出たところで自分にとって利のある話もそうなく、結局他の魔族の気配を感じ取れたような時ぐらいしか街の人間に姿を見せることはない。
 案の定何かあったのではと町に何か起こることを恐れる者も少なくはなく、いつの間にか平穏だったナミモリの一部の地域ではピリピリとした空気を醸し出していたがそんなことなど気にするはずもない。ただ前へ、前へ。目的の場所へ。第三者から見れば足早に進む、いつもと変わらぬ無表情の魔族の男であったが雲雀はいつにも増して機嫌はいい。


 彼女の言った通りの場所、そこには小さな花屋があった。
 このナミモリの近くにずっと住んできたが花というものに興味を持ったことはない。その辺りで咲いている草花は雲雀の心を一時たりとも揺らがしたこともなかったし心を、食欲を満たしたこともなかった。勝手に咲き誇り勝手に散りゆくもの。
 そんなイメージを持っていたのだがこれを生業にしている者もいることを初めて知る。ああ、だけどなるほど、確かに彼女の座っていた場所には花の香りがしたわけだ。

 何度かこの辺りを通ったことはあったのだが初めて見る店だった。雲雀が普段出歩く時間帯と言えば大体夜であったのでそもそも店自体が閉まっていた可能性だってある。扉こそ閉められていたが色取り取りの花々は一部が店先へと並べられ、その甘い芳香が風に乗ってやってくる。人間達ならばその匂いに優しい気持ちでもなるのかもしれないが雲雀にとってはそんなものどうでもよく、むしろその店の中にいる女の肌の下に流れているだろう血の香りだけがすべてだった。
 吸血鬼は別にそこまで嗅覚が鋭いわけではない。
 同じ魔族であれば狼人間の方が数100倍良いだろう。彼らがありとあらゆる匂いを嗅ぎ分けることが出来るのは視力がさほど優れていない分を補うためであり、ならば吸血鬼はと言えば血の香りにのみ特化した嗅覚持ちだ。それは弱った生き物の血に集るという意味ではなく美味い血を、己の糧となる食料であるか否かを選別するためにある。だから彼らは一度狙った獲物を見逃すことはない。幾ら変装したとして、姿形を変えられたとしてその血は変わることはないのだから。

「いらっしゃいませ」

 雲雀が店前で躊躇していると涼やかな声と共に扉が開き、途端に噎せ返る花の香り。室内で閉じ込められていた匂いが扉を開けられたと同時に雲雀を包む。不快だとは思わなかったがまさかこれほどまでに香りがするものなのかとただ驚かされるばかりだ。
 彼女は花屋で働いていた人間であったらしい。あの女もよくそこまで把握していたものだと半ば感心しつつ彼女の顔をちらりと見ると自分を迎え入れるために扉を開いた体勢のまま大きな目をさらに真ん丸にさせて「あら」と呟いた。

「怪我は治られたのですか?」
「うん」
「それはよかった」

 素早く店内へ入りこむとカチャンと小さな音をたてて扉が閉まる。店内の温度を維持するためなのだろうがこれは都合がいい。周りのどよめきや好奇の視線が自分の背中に突き刺さっていたのだ、恐らく自分がここを去った後は彼女の元に話がいくのかもしれないがそれはそれで厄介だし人間に箝口令を敷いたところでいずれ雲雀が吸血鬼であることなんて分かってしまうだろう。だけど、今だけならまだ。
 女は雲雀がそのような事を考えているなんて露知らず客向けの笑顔を浮かべ、にこにことこちらを見遣っていた。あの夜とは流石に様子も少し違っていたが紛れもなく本人であることは間違いない。この匂いが、その感じ取れる甘さが肯定している。

「君の怪我は治ったのかい」
「…ええ、お陰様で。花の世話をすると生傷が絶えなくて」

 ほらと見せてくる白く細い指。そこには何本か絆創膏が巻かれてあり薄く血が滲み出しており、先程負ったばかりのものなのだろうと分かる。
 雲雀の手よりも断然華奢で少し捻れば折れてしまいそうなその指は恐らく以前も怪我をしていたのだろうがあの時既に怪我は治っていたしそれよりも彼女の首筋の方が、血の方が気になっていたもので正直記憶はない。それでも匂いが充満していた気がしたのは実際血が流れていたのかもしれないと今更ながらに思った。

 ──いい、香りだ。

 ごくりと喉の鳴った音は彼女に聞かれていないだろうか。先程までたらふく血を啜っていたというのに彼女を目の前にすると強烈な飢えを感じるのは普段の食とはまた別腹と言ったところか。
 またあの時と同じ感覚が蘇ってくる。彼女の血が雲雀を酔わせていく。食みたい、飲みたい、首筋に己の牙を突き立ててしまいたい。そういった欲望がたちまち内側から訴えかけ、目眩がしそうだった。雲雀の吸血鬼としての本性が理性を突き破り、唆す。飲め、飲んでしまえ。牙を突き立ててしまえ。ドクドクドクと運動もしていないのに心臓が早く動いているのが分かる。全身が彼女を欲しているのだと分かる。逃げられる前に捕まえてしまうか。ああ、だめだ。目が赤くなるのを抑えられない。緩く開いた口から尖る牙を隠すことが出来ない。
 襲いかかる吸血衝動はこれまで感じたことのないものだった。本能が彼女をひどく欲している。何もかもを捨て置いてもこの目の前の彼女の血が、欲しい。

「……」
「あ、…の?」

 普段の雲雀であれば到底考えることはないことだらけだった。
 生まれてこの方、かつて交わした契約の通り腹が減ったとしてもその人間の合意を得なければ血を吸うことなどなかったというのに。そんなものどうでも良いじゃないかと唆す声が内側から聞こえるようだった。欲しい。ホシイ。それは普段であれば強固な理性が、それをみっともないと押しとどめる声があるというのに今日に限ってどうしてだかそれもない。否、最早先程から訴えかけてくる声が心地良く、それに身を委ねた。
 あともう少し。いつもの素早さならば彼女が悲鳴をあげるその前に欲望を満たすことができるだろう。吸い殺さないようする方が至難の業なのかもしれないが、と衝動的に手を伸ばし、……

「宵」

 凛とその声が響いたのはその時である。
 本能的な行動を阻まれたのは第三者が店の中に入ってきたからだ。ハッと気付いた頃には危うく彼女の眼前まで迫っており、彼女はどうしたのかとキョトンとした様子で雲雀を見返している。

 自分の理性というものは全くもって働かなかった。
 ここで手を出しかけたともあって若干救われたような気にもなったが邪魔をされたという感覚を持ってしまったのも仕方のないことである。恐らくは彼女も何をされかけたのかすら理解はしていないのだろう。不自然ながらも伸ばした手を下げ、彼女と同様声が聞こえた方へと視線を向けた。

「あら、骸」

 どうやらやって来た人間は彼女の知り合いだったようだ。つまるところ先程彼が発したその単語は彼女の名前なのだろう。宵。それが彼女の名前。彼女によく似合った名前だと素直に雲雀は思った。
 ガチャンと扉が再度閉まる音にそもそも開いた音ですら気付くこともなかったことに今更ながら驚くこととなる。それほどまでに彼女に、宵の血に気を取られていたのか。クラクラとするのは花の香りなのか血の香りなのか最早判断すら出来ず。

 ややあって宵の傍にやって来た男はナミモリでは見たこともない男だった。肌は白く、背も自分より高く、そしてこちらを訝しげに見遣る両目は赤と青のオッドアイ。恐ろしく容姿の整った人間であり、薄く微笑んではいるもののどこか底冷えするようなその目の奥には確かに怒りが込められていた。半ば無意識に雲雀は数歩彼と距離をとり彼を改めて見返す。彼が同族か否か、それを見極めることがなかなか困難であったからだ。

「君の噂はかねがね聞いていますよ、雲雀恭弥。昼間から随分元気そうで」
「…」

 まるで魔族かと思われるほど異端さを持ち得た男は、しかし普通の人間の血の匂いしか感じさせられないというのにどうにも人間離れしているのである。
 それでいて自分ではなく女に向けて伸ばしたその手から香るのは色濃い魔族の血の匂い。皮膚の下ではなく最早こびり付いていると言った方が表現としては近い。…最近は見ることもなかったが、ハンター業の男なのだろうか。

 ならば尚更雲雀とは敵対関係にあるのだが男は、骸と呼ばれたその男は今は敵意を隠しきれてはいないものの手を出してくる様子は見えない。向こうもこちらの出方を探っているというところなのだろうかと思いつつそれはそれで好都合だった。出来ることなら交わしている契約の通りナミモリの中で流血沙汰は避けたい。
 それに骸の横には不安げな顔をした彼女がいる。決して骸に負ける気はなかったが彼女の前で、また彼女の大事にしている物の前でそれらを壊す行為はしたくないと思えたからこそ雲雀から攻撃することは思いとどまった。

「骸、その方はお客さんよ」

 この場をどうにかすることができたのは恐らく彼女だけだったのだろう。今の尋常でない空気はハンターと魔族、狩る側と屠る側との間でしか生まれることはない。
 雲雀が動けば骸は自分を殺すため、或いは捕縛し服従させるためにその厄介そうな力を行使するつもりであっただろう。逆に骸が牽制のつもりであろう僅かに顕現させかけている半透明な槍を実態化させ自分に突き付けるようであればこちらとて容赦なく尖らせた爪や己の武器であるトンファーを振りかざしていたに違いない。
 先日自分の屋敷に侵入してきた男達とは桁違いな実力者であることは見ているだけでわかる。尤も、だからと言って男の血は吸う気分にはならないしただ強いのであれば純粋に戦ってみたいと思ったのは雲雀が魔族である定めだ。

 「そうでしたか」不承不承といった態でやがて折れたのは相手の方だった。
 いつの間にか手に持っていたはずの槍は消え失せ、今のところはここで武器を交わすつもりはないという意思表示に両掌をこちらに向け薄く笑んでいる。


「失礼しました、てっきり宵に危害を加える気かと思いまして」
「そんなことある訳ないでしょう。骸もわざわざまたコクヨウから来てくれたの?」
「ええ、君に会いにね。君を守ることが僕の使命ですから」

 口を尖らせ軽く睨めつけた彼女の隣に並ぶ男は雲雀の存在など気にも留めぬといった様子で宵の手を取り口付ける。元々彼女とも知り合いで会った訳ではない。何ならつい先日知った程度であるし今日が2度目の会話である。男なんてものはもっと知らない。なのに何故これほどまでに不愉快なのだろうか。

 自分が蚊帳の外のような扱いであるから?否、そうではない。
 普段から誰が誰と寝ようとも話そうとも気にしたことのない性質であることは自分がよく理解している。例え先程まで血を啜り性欲を満たしたあの女が別の誰彼とこのような状態を目の前で見ようともこう心を乱されることはあるまい。


 ──この女だからだ。

 何故、だとかそういった事を考えるのは後回しだ。苛立つのにその彼女に触れる手から目を離すことが出来ないのは。それなのに自分が何も出来ないでいるのは。
 腹立たしいのに彼女が嫌がっていないからだ。そして彼女にとって自分こそが余所者なのだ。

「君が元気そうでよかったです」
「相変わらず心配性なのね」

 ああ、苛立つ。
 この男が嫌いだということはもう一目見て理解した。恐らく過去も未来も、前世も来世もこの男と出会った瞬間この強烈な不快感はついてまわるのだろうと魔族らしからぬ感想を抱きながら雲雀はそこから一歩も動くことなく男が去るまで睨みつけていたのである。
その娘には騎士がいる
 bkm 

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