「探検はもう良いのかい」

 沢田綱吉を追い出してから自由にさせた宵の姿を追ったのだが彼女はどうやら自分にあてがわれた部屋の付近を詮索した後、満足したようで部屋へと戻っていた。家の中には厄介ごとを持ち込まないようにしていたし食事はナミモリの町で行っていたので、掃除はあまりしていなかったもののそれ以外は別に何も見られて困るものなどは何もない。雲雀が部屋の扉をノックするとほんの数秒後、パタパタと駆ける音が聞こえ、扉が開かれる。少し疲れているようにも見えるが昨日からの件もあるし慣れないところで緊張しているからなのかもしれない。そんなことを思いながら問いかけると「あとは、お庭を少し見たいです」と微笑まれ、ならばそうしようと彼女を屋敷の外へと連れていく。
 屋敷自体はいくつも部屋があり、雲雀一人では把握しきれぬような面積だったのだが庭はさほど広くはない。昔は雲雀の両親が趣味で魔界の花を植えており、またそれを彼らの従者が世話をしていたそうだが従者ごと引き連れて出て行った際にすべて引っこ抜いて持って行ってしまったのだ。おかげで今は時折風が連れてくる草花の種が根を張り自由気ままに生えているといった様である。

「…雑草の類が生えていないのは恭弥さんがお世話を?」
「違うよ。ここには誰も来ていないはずだから」

 ここばかりは流石の草壁も手はつけていないはずだ。何しろ既に主は居ないとは言え元は魔族たちが手をかけていた場所。もしかすると魔界から取り寄せた特別な土だったのかもしれないし害のある草木が生えぬよう薬剤を使っている可能性もある。どちらにせよ力のない人間が触って魔力に酔ってしまう可能性も無きにしも非ず。目を輝かせた宵が花々に触れるようなら少しはこの花壇らしき場所も自ら調べてみる必要があるなと思いつつ彼女の様子を伺った。
 これは思っていたよりも宵の好奇心を刺激したらしい。許可すれば今にも駆けだして見に行きそうになるのにふ、と口元を緩めると彼女はそれに気付いたのか少し気まずそうに目を伏せた。

「お騒がせしてすいません」

 小さく、しかしハッキリと聞こえる声。何に対して謝っているのかすぐに思い当たらなかったが恐らく昨夜のことから先ほどまでのこと全てに対してなのだろうと判断する。彼女の立場になったとして雲雀には理解できなかったが恐らくそうだろう。何から何までヒトの身である彼女は雲雀に助けられている。庇護を受けている。それこそが雲雀の求めていたことなのだがそれは彼女に話してはいないので当然気付かれるまい。

「さっきの人間は見たかい」
「…ええ、沢田さんですよね。私もナミモリに来た時に挨拶したので」
「君、ここ生まれじゃないんだ」
「ナミモリに来たのはほんの数か月前です。元々あの花屋で雇っていただいていたんですが…」

 ”魔族に襲われ死んだ”
 草壁に調べさせ、彼女の周囲を洗い把握した事実。他所からやって来たことはその時に知ったのだがどうやら宵は隠すつもりもないらしい。とは言ってもこれは別に珍しいことでもなんでもない。よくある事件だ。彼女に何ら非はない。
 元々あそこで花屋を営んでいた店主は雲雀の配った魔具を建物に張り付けることはしなかったのだという。生粋の魔族嫌いというのもこのナミモリでは珍しいのだが、だからといって雲雀に対して何かをしでかすような人間ではなかったので放っておいたのだ。雲雀だってナミモリの住人全員を守るなどという約束をした覚えはない。このナミモリの地を侵略しようとする輩を排除するという契約をしているだけなのだ。それを手っ取り早くこなすためには魔具を人間に配っただけであり、それをしっかり守って張り付けようが燃やそうが雲雀には知ったこっちゃない。前任者はそれを身に着けることもなく町の外へと出かけ、そして魔族に襲われた。それだけなのだ。
 この町には花屋はその店舗しかない。元々宵も花が好きで働いていたのだが前任がそういったことで突如いなくなってしまった為、周りに頼まれそのまま住み込んだというわけである。

「しばらく君の花は専門知識を持った人がやってくれるみたいだ」
「…そう、ですか」
「だからあまり気にしなくていいよ。君ばかりが背負う必要はないんじゃない」

 魔族同士でも種族が違えば敵だ。彼女を現在の状況に陥らせることとなった魔族や花屋の前主人に関して今更どうすることもできないが今後近くに自分以外の魔族が現れた場合は容赦なく排除するだろう。
 しかし……ヒトという種族は何と面倒なことか。欠員が出ればそれを補充するというのは魔族の中でも有り得ない話ではなかったがそれも吸血鬼の中でのトップだけの話。雲雀も聞いたことはあるが沢山いる吸血鬼の頂点だけは実力で決められると聞いており、そこだけは数年に一度、代替わりするという。それ以外の吸血鬼は皆平等にあたる。やはり種族故なのか矜持の高い者ばかりなので結局群れることもないのだが、それに比べ力のないヒトは何かにつけて役割を持たせたがる。しかも血縁者でもない相手にその役を担わせるとは。押し付けられたにしろ彼女が何も文句を言うことなく受けたのだろうと分かるが、こういう状況にならないと代わりの者が現れないというのは。もしかするとヒトという生き物は自分の思っている以上に無責任なのかもしれない。
 しかしこれはあくまでヒトの、それもナミモリに住まう人間たち同士の話。雲雀には何ら関係はない。とりあえず沢田から彼女の代わりに花を見る人間がいること、ちょうどタイミング良く店にあった花自体が売り切れていた状態でほとんど入荷待ちであるということから彼女が今すぐ戻って世話をしなければならないという状況にはならなかったということは聞いている。何しろ花もナミモリでとれたものではなく隣町からやってくる業者からの買い付けが主だ。相手先が動かない限り彼女は特に焦る必要もなくなるだろう。
 雲雀が彼女に対して放った一言は、しかし彼女には思いもよらなかったことであったらしくしばらく宵はぱちぱちと目を瞬かせた。「ありがとうございます」と聞こえた声はわずかに震えていたが雲雀にどうすることも出来ない。感謝されているのかそうでないのかすら声音からは判断もできずただ彼女を見るだけ。

「ここでゆっくりしていけばいいよ」

 やがて、彼女は雲雀の提案に顔をあげる。顔色は今朝よりも随分よく見え、昨夜の惨状からよく立ち上がったものだと素直に感心した。彼女は力なき他の弱い人間と同じようだが芯はある。そもそも雲雀が吸血鬼であると知ってから何一つ態度を変えない人間は生まれて初めてのことで、だからこそ興味を抱いたのだ。もっとも最初に関してはどうしても彼女の血を吸いたいと思えたからなのだけど。
 近くに生えている草花を見渡し、それから屋敷を一瞥し。雲雀の方を向いた宵はいつもの通りだ。

「恭弥さんは…ここに一人で住んでいるんですか?」

 投げかけられた疑問の意図は分からなかった。他にも魔族がいることを恐れたのか? 否、そうではないだろう。何となくだが雲雀はそう思えた。
 だが、ではどういうことなのか。ここに誰か他の生き物が居たとして―実際誰も住んでいないのだが―彼女に何の不利益をもたらすことはない。おおかた迷惑をかけるだろうと懸念した、と言ったところなのだろう。そう決めつけ頷くと彼女は目を少しだけ大きく開き「こんな大きなお屋敷に?」ともう一度疑問を重ねた。愛着がある訳でもないが雲雀にとって生まれ育った場所だ。確かに他の人間の住居に比べれば大きいのかもしれないがそこまで驚くことなのだろうか。もう一度頷いてみると彼女は今度こそ絶句する。

「今までずっと?」
「両親は早くに出て行ったからね」

 覚えてはいない、というのは嘘になるが正直それに近い。今も生きているのかそうでないのか知らないがもし生存していたとして、幼い頃離別した時と彼らは姿を何一つ変えてはいないに違いない。吸血鬼とは不死ではないが限りなくそれに近く、また同様に不老なのだ。雲雀も間もなく吸血鬼として力を余さず使える最盛期を迎え、そこで見た目の成長を止める。それが道理であり自然。そしてそれこそが人間である宵とはまた違うところなのである。
 恐らく、だが元気にしているだろうとは思う。連絡などとる手段もないし、こちらからも何一つしていないが彼らを簡単に屠ることが出来る生き物などそう簡単には居ない。例え人間や同種に狩られていても憤るとはない。それは即ち己が弱かっただけのことなのだから。

「……さびしい、と思ったことはないんですか」

 彼女とは根本的に持っている常識が違う。住んでいる世界が違う。だから彼女の質問は、これもまた分からない。ほんの数秒だが思ってもいなかった問いに答えることが出来ずポカンとしてしまった。
 彼女の目は至って本気。ではこれは冗談で聞いているのではないだろうし、ならば雲雀も相応の態度で返せねばなるまい。ゆっくりと彼女の言葉を心の中で反芻する。

 さびしい? それはどういうことだろう。
 さびしい? それはどういう意味なのだろう。
 
 自分や周りからは聞いたこともない単語だ。否、意味合いは知っているが実際感じたことはないといった方が正しいか。
 雲雀にとって他者とは支配するもの。不要であれば排するだけのこと。他者との関わりなんてそもそもその程度だしそれ以上を求めたことはなく。今までもそう生きてきたのだからもちろんこれからもそうなるものだと当然思っていたわけであり。
 しかし、…何故だろう。それの片鱗、ほんの一端でも感じることがあったと思えたのは。見下ろす彼女の顔はどこまでも真面目で、それでいて無防備だ。見ているだけでずきりとまた心臓が軋むよう。そして思うのだ。ああ、今がそれなのだ、と。まさに今、それを感じようとしているのだと。
 頼りなげに胸の前で組まれたその白い手に己のそれを伸ばし、捕まえた。突然のことに宵はキョトンと目を丸くしたもののそれ以上何の反応も示さない。逃げることもない。顔を赤らめ、擦り寄ることもない。むしろ何か考えがあってのことなのかと思っているのかもしれないが雲雀は己の心に従っただけ。
 そうだ、サビシイ。彼女の問うたそれを意味するものは。

「君が離れたら寂しくなるって言ったら、君は困るかな」
「…え」
「ここに居てほしい」

 言うつもりなどなかった。本来は、そのようなつもりはなかったのだ。
 ただ自分は吸血鬼で、傲慢を許された種族で。
 気に入ったのなら捕まえればいい。捕らえて、囲って逃げぬようにしてしまえばいい。無理矢理にでも縫いつけ、己の眷属にしてしまえばいい。そうすれば例え一生恨まれようとも自分から逃れられぬようになる。主従の契約とはまた違い、人間を別種へ変える儀の目的とは従属させることではない。自分から離れられぬよう、離れては生きられぬよう縛り付けることなのだから。
 なのにこれは自分でも想像していなかった。なぜ自分は彼女に懇願するかのように話しかけているのだろう。欲望のままに血を吸いたいのであればすべきことはそうではない。ああ、なのにどうして自分の口は止まらない。

「僕は本気だから、……考えておいて」

 それは願い。
 それは嘆願。

 とくん、とくん。心臓が早い。ずきり、ずきり。心臓が痛い。こんな痛みは初めてだ。辛く、苦しく、それでいて不快ではなく。宵は少しの間黙ったままだったがとうとう顔を下げ雲雀からは表情が見えなくなってしまった。だが言ってしまったものはもう戻らない。過ぎてしまったことはもうやり直すことも出来ない。
 呪いの言葉だ。我ながらそう思った。
 bkm 

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