訪問者が現れたのは宵との食事を終えた直後である。草壁が気を回していたのか普段から食材は豊富にあり、しかしだいたいは使い切らずに捨ててしまうのであるが今日ばかりは違った。律儀に雲雀の了承を得た後、キッチンに入った宵の手によって見たこともなければ味わったこともない食事にありつけ、雲雀の機嫌を大いに良くさせたのである。「お口に合えば良いんですけど」とおずおず言われたものの初めて口にした直後から口に運ぶスピードが加速し、あっという間に平らげてしまった。感想など言うまでもなかったがこちらの顔色を伺う様子が見て取れたので「美味しかったよ」と答えると分かりやすいほどに彼女は安堵の表情を浮かべている。

 人間を餌にすることはあれど、彼らと食事をとるなんてことは初めてだ。小さい頃は親から魔族としての在り方、生き方や食事方法を大雑把ではあったがわずかに学んだ程度。それも口伝のみであり実際雲雀が親である吸血鬼としての食事風景を見せられた訳でもないので、それが他の吸血鬼と同じなのか、一般的なものなのかですら想像がつかない。生まれたばかりの魔族なら大体このようなものだと雲雀は思い込んでいるが本来魔族とて我が子にぐらいは愛着だって存在する。吸血鬼の、さらに戦闘狂として知られる雲雀一族だからこそこうなったとも言えよう。
 余談ではあるが吸血鬼の食事とは常に人間の血と言う訳ではない。遥か遠い場所には魔族のみが住まう場所があるのだがそんなところには当然人間が住めるはずもなく、もしもそこで人間を見かけることがあるのであればそれはほぼ確実に誰か魔族の所有物――家畜同然に飼われているしか有り得ない。とはいえそれも極少数。とあらばどのような食事かと言えば意外にも穀物、動物の肉、野菜といった人間たちが普段口にするようなものと変わり映えのない普通の食事なのである。雲雀も例外ではなく、他の人間と同様の食事を口にすることだってあるのだ。ただし、と注釈を加えるのであれば、雲雀は種族を問わず群れることを厭うのでナミモリで運営されている食堂を利用したことはない。結果的に自分の屋敷内で軽い調理をするだけにとどまるのであった。不健康ここに極まれり。それでも生きていけるのはやはり彼が魔族であるからに他ならない。
 また、生きている者の精気を少しずつ奪うという手法もある。ただこればかりは他の魔族に対し行った場合、すぐに勘付かれひどい時には戦闘も免れぬことにもなる。一度の摂取では微々たるものですぐに死ぬような技ではないのだが勝手に人の生命を奪う行為なのだから当然といえば当然であろう。雲雀だって恐らくそういったことを他の魔族からされるとすぐに気づくし、そうなると喧嘩を売られたのかと喜んで攻撃をしかけるはずだ。とは言えそれは誰にだってできる手法ではなく、上級魔族である吸血鬼、或いは同クラス、それ以上の地位に君臨する魔族の話となるのでそう簡単にお目にかかることはない。遥か遠き魔族の地――悪魔谷に行けばごく自然に見られるようにはなるだろうし、そこでは彼の地の常識に驚くことになるはずだ。従属させている下級魔族の精気を餌にするのは主たる者の食になれるのだと喜ばれどすれ嘆き恨まれることはないという、逸脱した常識に。
 ちなみに雲雀にとって一番原動力となる食事はやはり人間の血。簡易な料理も糧にはなるがやはりそれでは身が持たない。そして代替品にあたるものを自分では用意することはできず、そのことを知っているのはナミモリという町でもほんの一握りだったのだが、今回の訪問者はまさにその一人であった。コンコンと扉を叩き、そのまま雲雀の返事を待つこともなく開けた男は雲雀の記憶の通りにこにこと微笑みながらこちらを見ていて苛立ちを通り越し、雲雀はハアと隠すこともなく大きくため息をつく。

「久しぶりですね、ヒバリさん」
「…やっぱり君かい」

 魔族の、人間にとっては恐ろしくて仕方ないと震えて当然であるはずの雲雀の屋敷に単身乗り込んできたのは残念ながら見知った男であった。齢二十半ばと言ったところか。雲雀と近い年齢の人間であるということは彼が自己紹介していたのでよく覚えている。もっともこれからこの男は雲雀と違い年をとるにつれ老けていくのだろうが…。
 男の名前を沢田綱吉という。
 このナミモリの町における自警団なるものを作っていて雲雀とはまた違った方面から並盛の風紀を守ろうとしている人間だ。珍しいことに普段から下級魔族である狼人間やミイラとも交流があり、よく連れて歩いているのだが今日はどうやら一人らしい。背は雲雀よりも低く、体躯も華奢であるがその身に似合わぬほどの力を有していることは身をもって知っていた。厄介な力だ。一時的とは言え飛躍的にパワーアップする力。そして、

 ――ああ、思い出した。

 あの腹立たしい男と同じくこの男も”怪物づかい”だ。魔族に対抗しうる力を先天的に持つ男。従えることも捕縛することも、屠ることもできる力を持つ人間。…共通点を見つけてしまった以上、態度に出てしまうのは仕方のないことなのかもしれない。むっと眉間に皺を寄せた雲雀をどう思ったのか、沢田は「そんなに怒らないでくださいよ」と朗らかに笑ってみせる。

「今日はいつもの物を持ってきただけですから」
「…そう。じゃあ置いてさっさと帰って」
「分かりました。まあ、本当はもう二、三ほど目的があるんですけどね」

 そう言いながら彼が紙袋から出したもの、それは小瓶に入った血のように赤いカプセルだ。数は十。今は手を伸ばさないがそれの味はよく知っている。口に含むとプチンと弾け、喉の奥へ流し込まれるのは慣れ親しんだ血の味である。
 血液製剤。
 吸血鬼は普通の食事とは別に血液を要し、ある程度は普段の食事を行うことによって自分で補うことが可能なのだが限度がある。特に日常的に戦闘を行う雲雀は食事では追いつかない傾向にあるのだ。魔力を大幅に消費したり己の血をある程度流すといわゆる”貧血状態”に陥り自我を喪失し暴走することがある。この薬はその暴走を食い止めるための一時的なものではあるのだが意外とこれが役立つ。実際何度か軽い暴走状態に陥った時にはこれを口に突っ込まれた記憶だってあるし、何ならこれをもっと量産すれば自分も面倒なことをしなくとも生きていられるのではないかと手伝ったことすらあるぐらいだ。残念なことにこれはヒトの血液が元になっているのでさほど多くは作られなかったのだが。現在は貧困層が金を得るため、健康に害のない程度に輸血を募っているので黒いことは行われていないということである。

「宵は元気にしてますか?」
「……」
「怒らないでくださいって。彼女が自分の意志でここに来ていると分かっている以上、オレは何もしませんから。今日は様子見です」
「…そう」

 先ほどこの男が来たと同時に宵には彼女に与えた部屋へと戻ってもらった。その様子を見た沢田はどうやら雲雀が宵を拉致し監禁しているのではないと判断したらしい。何とも目ざとい男だ。昔に比べ視る力がずいぶんと養われているように見える。
 彼女をこの屋敷に連れてきた時こそ誘導するように言葉を紡いだが今となれば宵も自分を怖がってもいないし屋敷自体に興味を抱いている様子。見られて困るものもないし自由に動いて良いと許可を出すと目を輝かせ席を外したのである。思っていたよりあっさりしていた為、若干不安が残るのだがこれはこれで構うまい。つまり先ほどのやり取りを見せることにより沢田綱吉も証人になったということだ。人間の世界ではこれを誘拐だの何だの騒ぐ輩もいるが地位のある人間が認めたとあらばこちらに何か文句を言う者も居るまい。この男は見た目によらずナミモリでも町人たちに信頼されている人間なのだから。
 「そういえば」沢田は尚も言葉を紡ぐ。しかし先ほどより声音は低く、小さい。どうやらこれこそが本題なのだろうと雲雀も腕組みしながら沢田を見返した。

「雲雀さんが追い払ってくれた狼人間ですが、その後は大人しくテリトリーに戻ったみたいです。今は獄寺くんたちに調査してもらっていますが…どうもあそこの餌場に変化があったみたいで」
「…へえ?」
「ナミモリ側へと下級の魔族たちが追いやられているみたいなんです。ここは安全だと誰かに吹聴されたのかは分からないんですけど」

 このナミモリという場所は決して都会ではない。周りは森に囲まれているし町だってさほど住人が多いわけでもない。どちらかというと外界から遮断された土地というものに当てはまり、そういう場所というものは得てして魔族のターゲットに成り得るのである。力を有した魔族たちも度重なる人間との衝突の末、人間というものは結託すると厄介だということを知っているからだ。
 となればこのような辺境の地はまさに狙い目になるのだがそれが上手くいかないのには理由がある。それが雲雀たちの組織と沢田の自警団だ。あまり大きく栄えた場所ではないというのに2つもの強大な組織がある故に、この町は怪物に襲われないでいる。もっとも沢田の自警団は主に人間同士の争いを、雲雀たちの組織は彼らの目が届かぬ場所や対怪物の排除を担っているので顔を合わせることもない。もちろんこれらは他の住民たちの中には知り得ぬことなので雲雀の加護がなくともどうにかなると思い込んでいる輩もいるぐらいである。

「近くに君の同輩が居るんじゃない」
「その可能性もありますし、魔族同士が領域を拡大しようとした結果なのかもしれません。どちらにせよ…」
「そうだね。僕の契約はナミモリだけの話だけど近くも探ってみるよ」
「…助かります」

 あまり宜しくない話だ。人間の問題にしろ魔族の問題にしろ、領土というものは、テリトリーというものは守られるべきだ。それに追いやられた魔族が力を蓄えようとここへやって来るのも厄介だし癒しの泉を目掛けて入ってきても面倒極まりない。もっともそのような魔族では泉の結界内に入ることすらできないであろうが、いつ例外が現れるとも限らない。あの狼人間を1匹でも捉え従属させておくべきだったかなと思ったが今更どうにもなるまい。すべてが後手に回っている以上、今できることは予防のみだ。この怪物づかいたる沢田綱吉の手腕にかかっているが、この男が自分の元へと助力を求めに来た以上そう簡単なことではないということも知っている。当然、この手の話に関して雲雀に拒否権がないということも知っていながら、だ。ナミモリの外の話ならともかく、内側への侵略の可能性も考えるとやはりこれはとうの昔に交わした契約に抵触することになるだろうということまでちゃんと見越しているのだろうから。
 まったくもって嫌な男に育ったものだと思いつつ雲雀はその口元に笑みをたたえ、「君も本当に人間だね」と嫌味をひとつ。

「いやあ、それほどでもないですよ」

 まったくもって、嫌な男だ。とっとと出ていけと言わんばかりに手で追いやるとそれ以上何も言うこともなく沢田は屋敷から去っていく。

「……魔族、ね」

 ここ十数年ナミモリの治安を守ってきた雲雀だがこれは簡単に済む話ではないだろう。動いている魔族がいるのであればどこかで人間が被害を受ける。そうなればあの男のような、普段は害のない男でも怪物使いとして動かざるを得なくなる。戦闘は免れないに違いない。
 本来それは雲雀にとって歓迎すべきことではあったのに今は少し億劫に感じてしまったのは間違いなくそれよりも優先したいことができたからだ。それがあの男にも勘付かれたかどうかは流石に雲雀も分からなかったが…さて、どうしてくれよう。恐らく未だ屋敷を探検中だろう宵のことを考えながらすっかり冷えてしまったコーヒーを口にする。
 bkm 

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