力を制限される晴れの日より雲雀を振り回すことのない雨の日の方が嫌いだ。吸血鬼という種族の縛りにより流水を渡ることはできないのだが現状それで困ったことはなく、ここはどちらかと言うと山間に面しているが故にそのような場面に遭遇することすらない。では何故かと聞かれるとやはり理由が挙げられなかったのだが今となっては餌となる人間が建物の中に密集し匂いが混ざるからなのだと思えるようになっている。雨の香りが自分の餌探しを邪魔しているのだ。そう考えるとこの天候は自分達から人間を守っているようにも見え、厄介なことこの上ないとすら思えてくる。
 吸血鬼と言えど感覚器官で主に発達しているのは嗅覚だけだ。聴覚はおおよそヒトと変わらなかったし視覚に至っては魔力を込めれば多少なりとも遠くを見渡すことはできるものの結局それらの点だけで言えば最近頻繁に出現するらしい狼人間の方が優れていると言えよう。そんな嗅覚も彼らに敵うはずもなく、ただ自分にとって益のある人間であるか否かを判断するといった程度だ。しかしながら上位種と言われる所以としては半永久的に約束される不老不死と言ったところ、底を知らぬ魔力が挙げられる。尋常ではない魔力量。それはかつて魔族同士での戦闘の際、山ひとつが呆気なく更地となった事件が平気で起こり得る程の破壊力を有すのであった。他の魔族と戦った経験があまりなかった雲雀には分からなかったのだが”吸血鬼”という種族として生まれてきた時点で並々ならぬ強さをその身に宿していたのである。

 しとしと、しとしと。
 静かに雨が降る中でも少し魔力を込めれば不思議と彼の周りの雨は彼を避けていく。服一つ、髪一本とて濡らすこともないが故に傘というものは不要で使ったこともない。そのようなものを利用するのが人間だったのだがそれは片腕を奪われることになるしそうなればある程度の行動に制限がかかってしまう。
 便利な道具だとは思うのだがやはり短所もあるものなのだと珍しく人通りを見渡していると目の前を赤色の傘が危なっかしい動きで通り過ぎて行き思わず足を止めた。どうやら片手で何かを持っているらしい。そんな様子ではいずれ転ぶなり周りの人間に当たるかもしれないなと思いつつ「危ないよ」とその背中に声をかけたのは驚くほど無自覚のことで反射的に口に手を遣ったのだが残念ながら傘の持ち主にはハッキリと聞こえたらしい。声をかけられた相手は足を止め此方へと振り向いた。


「あら。こんにちは、恭弥さん」

 花が咲きほころぶようだ。無意識にそう例えてしまうのは一番それが彼女に密なものであったからだろう。例え傘で顔が見えなくともその匂いで彼女であるとすぐに分かる。雨である程度かき消されるはずの匂いは、しかし宵の場合はそうなることはなく少し離れた場所からでも分かるぐらいに芳しい。
 挨拶をしながら微笑んだ彼女は片腕に花を持っていた。何処かへと運ぶ最中なのだろうか綺麗に包装をされているそれは季節の花々に彩られ見栄えは非常に良い。


「今からお客さんのところに運ぶところなんです」
「へえ」

 取り立てて不思議なことではなく当然のことである。それが彼女の商いであり生きる為の手段だ。彼女は花を売り、それを欲する相手は対価を払う。欲しいものは奪いっぱなしというスタンスの魔族には有り得ない社会であると改めて思わされるもののそこまでだ。人間の群れに溶け込むことは─もちろん不愉快ではある─可能であっても自分は恐らく溶け込むことは出来るまい。それ以上に大した興味を抱くこともなかったがそれだけで会話を終わらせるのは何かと惜しいとは思うところはあり、何か話そうかと口を開いたものの何も話すこともなく結局は再度口を噤む。
 そこから先の手練手管を雲雀は持ち合わせていなかった。元々言葉が堪能だというわけではない。自分から会話を広げることなんて嫌いの部類であったし、今までの食事行為の際には少し話しかけただけでそれ以降は向こうから喋って来る時の方が圧倒的に多く自分は相槌を打つだけで済んだりする。そのような状況に甘んじ育ってきた雲雀にとってどう彼女に接していいのか分からないと言うのが正直なところだった。話したいとは思うのだ。もっと話し、宵の事を知りたいとも思えるのに手段を知らない。それがこう歯痒いことだということすら知らずに生きてきたのである。


「最近はよく会いますねえ」

 そんな事を雲雀が思っているだなんて露知らず、宵は傘もないのに雲雀が濡れていないことに驚いたりしていて何ともまあ危機感のない子なんだろうと少しだけ呆れてしまった。――いや、これぐらいの鈍感さも生きていく上では必要なのだろう。彼女にとってそれが幸せであり、それは自分にとっても同義ではあったのだが。
 何しろ自分は先日、彼女の血を狙ったという前科者だ。今も機会があれば是非啜りたいという欲望はあるのだが今は昨夜飲んだ他の人間の血液や、取り寄せた輸血パックなどで補い何とか空腹とまでは至っていないので衝動に襲われることはない。しかし自分が思うことなんてせいぜいそれぐらいで反省なんてものは基本的にない。雲雀が、吸血鬼が生きていくためには必要なことなのだ、これを悪だ何だと言うのであれば存在自体が許されないものだということになる。
 対照的に本来宵は自分を恐れても何らおかしくはない。もちろんこれまででも血を吸うことで人を殺したことも殺すつもりもなく多少腹が満たされれば開放するのが常ではあるのだが、そのようなことを他人に説明をしたことはないので普通魔族が己を狙ったのだと分かれば怖がるのが普通なのだと雲雀は思っていた。だからこそ斜め上の反応に困惑していたというのが正直なところなのである。


「恭弥さんはこれからどこかお出かけに?」
「見回りはもう終わったから帰るよ」
「あら、いつもお疲れ様です」

 こうやって何ともない会話をすることなんてほとんどなかったのだ。ヒトとは皆こういうものなのだろうか。ヒトとはどう扱えばいいのだろうか。会話を繋げるにこう労力を要するものなのかと半ば感心しつつもさて彼女はどう動くかと見守っているとやがて宵は傘を持っている方の片腕をこちらに突き出し雲雀の頭上にそれを被せたではないか。これには雲雀も言葉を失い、しかし変わらず振り続ける雨は彼女を濡らすのですぐさまその腕を掴み元あった位置へと戻すと不満げな表情が返ってくる。


「何をしているんだい」
「恭弥さんが風邪を引くかなと思って」
「…君には驚かされてばかりだよ」

 つい先程その目で雲雀が雨に濡れていないことを見たのではないのか。訝しげに見返してみても宵はその表情を崩すことなく「だって」と返す。


「私がこうしたかったから受け取って欲しいんです」
「君が風邪を引くよ」
「私は引きません」
「どうだか。人間は柔だからね」

 柔らかな物腰の割に少し強情なところがあるのだなと意外な発見に笑いそうにもなったがそうなれば彼女はまた怒ってしまいそうだったので口をきつく結んだ。少し力を込めさえすればすぐに折れてしまいそうな細い腕は未だ尚雲雀に傘を差そうと目論んでいるようだが力で敵うはずもなく、だというのに勝ちの見えない勝負を吹っ掛けてくる有様。諦めるということを知らないらしい。このまま雲雀が傘を受け取ってもいいのだがそうなれば必ず彼女は勢いを弱めることのない雨に降られるだろう。

 どこまでも宵は不思議な人間だった。人間と深く関わりを持たないのでこういうものだったのかもしれないが雲雀にとってはとにかく不思議で理解の出来ない生き物だった。自分は吸血鬼である。魔族である。人間とは先祖の違う、見た目こそ似たようなものではあったが生態の異なる種だ。雲雀が何者であるかを知っている今、こちらを気遣う必要などないというのに傘を与えようとしている行為は紛れもなく親切心からでありそれがどうしてなのか分からない。他人なんて気遣わなくても良いのに。ましてや己とは違う種であり天敵といっても差し支えない相手だ、理解は到底できそうにない。
 …しかし、そう思っていても己の内側にはその行動を受け入れている自分がいるのも確かなことで。


「ならこうしようか」

 宵の傘を受け取り、閉じる。何をするつもりなのだろうかときょとんとした顔の宵は雲雀の顔を数秒見つめていたのだが次の瞬間ワッと声をあげる。そう小難しいことはできないのだが簡単なものを創造し、それを本物のように仕立て上げることができる力を雲雀は有している。傘の作りだの構造だのは一見で理解できなかったものの要はこの雨から身を守る形をすれば良いということ。そうとなれば一瞬で見せかけだけの傘の出来上がり。彼女の赤色の傘とは違って黒の傘は大きく、しかしそれでいて魔力が籠もっているが故に軽い。
 そうして雲雀は宵の横に立つ。最初からこうすればよかったのだ。どうしても傘に入れたいのであれば2人で入れば良かったのだし、そうならば彼女の傘では小さい。がしかしこれならばちょうど良いではないか。それにこうすれば宵は断ることはできないし自分は商品である花を握っておけばいいのだから合理的だ。さすがにそこまでは考えていなかったらしい宵は初めこそどうしたものかと困惑していたようだが雲雀に「どこに行けばいいの」と問われたことで諦めたらしい。雲雀が自分で作り出した傘を差して帰ればもちろんそれが一番呆気なく終わったのだろうがそれは雲雀自身が気に食わない選択肢として排除してしまった。――そうだ、こうすれば彼女ともう少し、話をせずとも傍に居ることができるのだから。


「吸血鬼は風邪を引かないんですか?」
「さあね」

 花の香りが、彼女の薄い皮膚の下に流れる匂いが雲雀を誘惑する。本能に従うならばここで首筋に噛み付いたってきっと罰は下らない。しかしそうならなかったのは雨の匂いがそれを抑えてくれているのか、はたまた違う何かなのか。大きな傘は周りの人間たちから雲雀も宵の姿も覆い隠す。足取りは心なしか少し軽い。

雨は彼らを引き寄せる
 bkm 

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