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夜が明け、翌日、夜。
あの後は緊張からかまったく眠気が来なかったんだけどそのままベッドでごろごろし続け、いつの間にか眠ってしまったらしい。外が薄明るくなっていたので時計は見ていなかったものの結構朝方まで起きていたんだと思う。
起きてからは当初の予定通り。
大人しく家で待機していた結果、誰とも出会うことはなく一日を過ごすことができた。多少の窮屈さを感じはしたけれど夜になるまで家から出ることはなくじっと耐え続け、ようやく家主によってドアが開かれたのはかなり遅い時間だった。本日も恭弥がこの家へ寄らない可能性もあったからそうなれば限界が来るまで人と一切会わない引きこもり生活をすることになったんだろうけど、彼の姿を見たところで安堵と、それから今現在の時系列を把握する。
――今は雲戦が終わった後、あたりだ。
「……おかえり」
雲戦とは恭弥とゴーラ・モスカとの戦いを指す。
片方は捕らえられた九代目が入っているとはいえ動いてるのは機械なので二人と言うべきか一人と一体と言うべきか悩むけど、そんな彼らの戦い自体はとんでもない速さで終えたはずだった。何だったら一撃で。だけどそのままハイ終わり! お疲れ様でした! になるはずもなくXANXUSが介入することになる。そのあと一悶着があり、最後の戦いである大空戦へと突入…そんな話だったはず。
当然その現場を見ていないので記憶の通りだったかどうかは分からないけれど、元よりイレギュラーな存在は私だけ。そんな私も特に原作を壊すような何かをしでかしてはいないし、彼らにそういった情報を明け渡してもいなかったので何かが変わったとは到底思えない。というか、そうあって欲しいという願望が強いだけかもしれないけど。
「…大変だったね」
「別にそうでもないよ」
玄関でお行儀よく靴を並べリビングへとやって来た恭弥の姿を目にし、一応原作通りに進んでいることを理解した。
彼はボロボロだった。
ディーノさんとの戦いの時点ですでに怪我は負っていたのだと思う。だけどそれ以上。なんと言うか、いつもは綺麗に整えられている制服も砂まみれだし、治療を受けているものの血も滲んでいるしで普通の人が見たら卒倒モノだろう。私だってヴァリアーに連れ去られることなくこの並盛で生活していたなら今頃パニックになっていたと思う。そういう面では精神的にものすごく鍛えられたと思うよ、ホント。
これでも私は平和主義だ。平穏が一番だと思っている。元の世界で喧嘩沙汰なんて見たこともなかったし、ドラマでそう言うシーンになったら思わず目を逸らしていているぐらい。誰にも痛い思いをして欲しくもないと願うのは普通のことだと信じている。
だけどこの世界にやって来てからは、とても不本意ながら耐性がついてしまった。…正直な話、もしも多少物語の内容が変わることがあっても、戦闘がなくなり、最終的には同じような結末を迎えられる別の手段があるのであれば私はそれを迷わず選ぶと思う。まあ、その手段を全く思いつかないからこそ、私はこうやって情けなくも本来の物語にに触れることのないよう逃げ隠れしているワケだけど。
(……痛々しい)
非力な自分が情けない。こんな自衛にばかり特化した体質じゃなく治すような能力に恵まれていれば良かったのに。
じぃっとその怪我を見ていると恭弥がその視線に気付いたのか、こっちを見て、ソファに座っている私の隣に座り、それからコテンと私の肩に頭を乗せた。シャワーを浴びた方がいいんじゃないかと思うけど、その傷はきっと染みるだろう。きっとこの人は顔を歪めることはあっても泣きはしないんだろうなあ。
心配はしている。だけど私から今、恭弥が何をしているのかを聞くのは躊躇われた。聞けばきっと答えてくれるかもしれないけど、逆に聞かれたとして私は同じように答えられないからだ。決して、全然、フェアじゃない。私は彼に何も言っていないからだ。
彼は、きっと気付いている。
――ディーノさんと恭弥が戦い続けていた頃、私はここに居なかったことを。
彼は、きっと気付いている。
――私があの隊服を着ていた以上、今日彼が戦った人達と何かしらの関与があったことを。
それでも聞かないのはきっと私が自分から話すと言ったからだ。きっと待っていてくれているのだろう。その辺りはとても誠実で、真面目で、ありがたい。私はまだ、この件に関して何も口にすることはできない、から。いつか言える日が来るのかどうかはまだ分からないんだけど。というか、そもそも恭弥がこのヴァリアー編の流れだとか云々を理解しているかすら分かっていないのだ。
未来編で登場した十年後の恭弥は匣兵器のことも指輪のことも色々知っていたけれど、この時代の彼は一番情報から置いていかれていると言ってもいい。戦うことを最優先にしてきたし、興味が湧かなかったのは仕方のないことだ。
「明日も、行くんだよね」
「そうだね」
「…がんばってね」
だから私も、何も言わない。多少ボロは出してしまうかもしれないけど恭弥はそれを口に出して指摘しないからどこまでがセーフでアウトだかも分からない。こうやって一つの会話をすることすら気を遣うのはちょっとだけ大変だけど、オタクたるものネタバレがご法度なのとだいたい同じなのでそこまで難しくはない。
けれど不思議と穏やかな空間で、それがなんとも居心地がいい。
恭弥は相変わらず何を考えているのか分からない。今も眠いのか、はたまた少し甘えているのか分からないけれど、とりあえず私がここから動くことは許さないらしいというのはこちらに掛けてきた体重で分かる。
(……耐性、できてきたかもなあ)
こうやって誰かと密着するのも最近は慣れてきたなあと自分のこれまでの経験を思い出し、恭弥にバレないよう息を吐いた。
スクアーロに強烈なスカウトをされた時、ベルから炎をもらった時。…当たり前もいえば当たり前なのかもしれないけど、この世界は如何せん、顔面偏差値が高い。女子はとっても可愛い子が多いし、男子はまだ幼いながらもモテるだろうなという容姿をしている。あ、山本あたりはすでにファンクラブもあるぐらいだったっけ。恭弥も綺麗な顔をしているんだけど風紀委員という物騒…じゃなかった、厳しい組織に所属しているし不良の頂点とも表現があったぐらいなのでどちらかと言うと怖がられている印象だ。もしかすると彼にも隠れファンクラブみたいなのがあるのかもしれないけど。
「明日はどこに行くの」
「残念ながら明日もどこにも行きません」
「…そう」
動くたびにサラッと流れる美しい黒髪、涼し気な目元。時折浮かべる、年に似合わないニヒルな笑み。いつの間にか構えられているトンファーを除けばモテる要素しかないんだけど、この人は自分の容姿にはまったく頓着している様子がない。そして動きはとても俊敏。私はよく猫みたいだなと思うんだけど、この人を手なずけられる人はそう居ないだろうなとも確信している。…だから、だろうなあ。どうして彼が私にこう無防備な姿を見せてくるのか、想いを告げてくれたのか、未だに分かっていないところがある。今となっては過保護が過ぎるところがあり、頼りない姉のように思われているのかな?とまで感じるようにもなってきた。
それが寂しいかと言われれば自業自得だとも言える。
彼の想いを聞かなかったことにし、自分勝手にも何も言わず元の世界に戻り、戻ってきたかと思ったら今度は事件に巻き込まれ、大人の姿でまたこの部屋に転がり込んだ、とまで来た。問題児なのだ、私は。呆れられても仕方ない。最初こそ気に入ってもらっていたかもしれないけれど、今はどうしようもない奴だと呆れられていたって仕方ない。
(…これは、解決なんてできないんだろうけど)
人の気持ちなんてものは曖昧で、いつどう変化するかわかったものじゃない。この世界の住人と気持ちを通わせることも不可能じゃないんだと考えに至るには遅すぎて、これはいずれ避けられない問題になるのだと思う。そんなことを思いつつ、ふ、と視線を少し下げ、…おや?
「……恭弥さん恭弥さん、リングはどうしたの?」
「捨てたよ」
「エッ」