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 どこかでまだ漫画だからと思っていたのかもしれない。どこかでまだ、漫画やアニメで見たことがあるから平気だと思っていたのかもしれない。だからさっきまでベルに付着していた血だってそこまで驚くことはなかったのだとすら思っていたのに。さっきまで過ごせていた穏やかな時間がこれから起こることを和らげてくれるに違いないと信じていたのに。
 実際はそうじゃなかった。
 ただ目の前で誰かに怪我を負わせたり、逆に誰かから怪我を負わせられたりしているその瞬間を見ていなかったからにすぎない。そう分かったのはベルの戦いを目の当たりにしたからだ。

「おい、寝てんじゃねえ」
「……っう、」

 ガツンと大きな衝撃を受け、目を開く。目の前には足が一本。ちょっと離れたところにはゴーラ・モスカの大きな身体が見える。ひんやりとした床が心地よく、いつの間にか倒れていたらしいと悟る。
 近くにある足が片方しか見えなかったのは床に転がっている私の背中の上にもう片方が乗っているからだ。…痛みはないからいいけどせっかくの隊服に足の形がついてたら嫌だな。グリグリとスクアーロが容赦なく背中を踏みにじるのに抵抗するのはさっさと諦め、廊下に手を付き、ゆっくりと顔をあげる。
 ここで心配は誰にもされない。
 それは私も分かっているし、当たり前だと受け入れている。使えないと剣で刺されるよりはマシだ。近くに立っているゴーラ・モスカの身体を壁代わりにして寄りかかりながら立ち上がり、カメラから目をそらすことのないマーモンに声をかける。

「私、どれぐらい気絶してた?」
「まだ数分ってところかな」
「…そう」

 チェルベッロに催促された後は出来るだけ目立つことのないよう慎重に動いたつもりだった。ベルについて行き、そのあとは上手くゴーラ・モスカの後ろへ隠れて。向こうから強く視線を感じたもののツナ達と会話することだけは何とか避けて。
 それから23時、タイムリミットギリギリで隼人がやって来たところまではまだ少し余裕があった。チェルベッロの胸を揉みしだくシャマルを見て命知らずだなと感心できた。今回の勝負の説明を受け、頑張ってねとベルを見送ったところまではよかった。
 もっともそれも観覧席に移動し、チェルベッロが勝負開始を告げた時までだ。

 そこから始まった、嵐のような攻撃。
 飛ぶ、駆ける、投げる、避ける。息を継ぐことすらままならないまさに怒涛の、攻撃の応酬。観覧席は遠く彼らの姿は画面越しでしか見ることはないのにまるでその場にいるような感覚。時折強く吹く風でダイナマイトの火薬の匂いがこちらにまで流れてきて、思わず眉宇をひそめる。
 これは夢じゃない。これは漫画なんかじゃない。すべて私の目の前で起こっている現実だ。ヴァリアー側から、ツナ側から一人ずつ選ばれた人間がリングを賭けて戦っている。これで三日目なんて考えられない。こんなことをもう三日も繰り返しているなんて正気じゃない。

(…戦いって)

 戦いとはこんなものなのか。
 こんな激しく、辛く、苦しく、悲しいものなのか。隼人がダイナマイトを投げ、それをベルが避ける度に安堵し、逆ももちろんあって。ついさっきまで普通に皆と笑いあっていたはずの人たちが今は生命までをも賭けて戦っている。その現実を私は受け入れられない。まだそんなに時間が経過していないはずなのに心臓がズキズキと痛み、呼吸が浅くなり。結果、まだ数分しか経っていないにも関わらず精神的に限界を迎え気絶してしまったという訳だ。
 知らない人同士の戦闘を見ることになっても私はきっとこれに近いことを思うだろう。ここからじゃツナ達の姿は見えていないけど彼らも同じような気持ちなのだろうか。それとも少しは戦うことを覚悟した人として、私とはまた違ったように見えているのだろうか。

 私には戦闘の覚悟はない。戦うつもりは今後もないし、そもそも体質こそ一部頑丈になったとはいえ戦闘能力が備わっているというわけじゃない。この世界にとどまりたいと思っていても、だからといってこの戦闘はあって当然であると、堂々と受け入れろと言われれば冗談じゃないと突っぱねるだろう。自分に課された試練として私だけ受ける分ならいい。嫌だけど、我慢する。
 だけどこれはそうじゃない。これは原作通りの、知っている流れ。なくてはならない、避けて通ることはできないストーリー。ドキドキハラハラしながらページを捲っていたあの流れが今、目の前で繰り広げられている。こんな苦しいもの、溜まったものじゃない。
 私が戦える人間ならばまたこの感覚も違ったのかもしれないけど私はただ頑丈な体質を持っているだけ。そしてできることと言えばこの知っている流れを壊さないよう外側にいるだけなのだ。

『あ゛はあ゛ぁ〜ドクドクが止まんないよ』

 その間にも教室の各場所へ取り付けられたカメラが彼らの戦闘を映し続けている。
 一貫して優勢だったベルのトリックが見破られたことにより、隼人の反撃開始。希望が見えたのかツナ達の方が少しだけ表情に安堵が見えたけど、ベルの攻撃は何もナイフだけじゃない。ワイヤーを使い、まるで宙に浮いているかのように見せたり相手にそれを取り付けることによりナイフを投げただけで相手に一直線飛ぶようにできている。あの変わった形は彼の手に合うだけじゃなくワイヤーを通しやすいようにしてあるし、派手な外装をしないことにより軌道がブレることなく目的通りの場所へ飛ばせるようにできてある。豪華絢爛を好んでいるかのように見えるけどその実、合理的なのだ。
 自分の血を見てキレた状態に陥ったベルのことを知識として知っていたものの実際目にすると異様でしかない。気軽に声をかけてきたり、餌だと称し炎を供給してくれたあの人と同一人物とは到底見えない。
 心の底から楽しんでいる。
 いつもの笑顔とはまた違う、見ていてゾクッとしてしまう無邪気すぎる表情だ。

 短い期間とは言え一緒にいた私ですらこう感じるんだし、向こうからしたらもっと恐ろしいもののように見えるに違いない。
 ベルに大怪我を負わせ形勢逆転。そう思いきや誰もが想像していなかった形で再度、ベルからの攻撃。隼人のダイナマイトを避ける、大胆かつ無駄のない身のこなし。…そのしなやかさはまるで猫のようだ。そう思った瞬間、バッとカメラが赤く染まる。

「ヒッ」

 ベルの振り下ろしたナイフなのか、隼人のダイナマイトの所為なのか。赤くなったのはきっと血だなと分かったその次の瞬間、一つのカメラは爆炎によって真っ黒になっていた。と思えばすぐにパッと違う角度から彼ら二人が映し出される。
 どうやら移動したことにより違うカメラに切り替えられたようだった。ズシン、と建物自体が揺れたような気がしたのは彼らがそれだけ激しい戦いを繰り広げているという証拠で、知らず知らずのうちに拳に力が入る。 

「ちゃんと見てろよ」

 本当は目を閉じ、耳を塞いでしまいたい。こんなところ見たくもないし全てから目を背けてしまいたい。なのにそれは許されない。スクアーロがそれを認めない。
 彼らはあくまでも冷静だった。
 これが当然だと思っている証拠。むしろ面白がっている節がある。淡々と横で解説し、ベルの動きを評価し、それをマーモンやレヴィが頷いたり意見する。あれだけ傷だらけになっても誰も心配一つしやしない。勝つのが当然だと思っているのかもしれないけど、その過程はあくまでどうでもいいと言うところなのだろうか。

 …ああ、私に力があったなら。

 確かツナはランボを助けるためになりふり構わず自ら戦地に赴いた。結果大空のハーフボンゴレリングをXANXUSに渡すことになったけど彼はそれで後悔はしていなかった。…私は、どうなんだろう。どこに所属しているわけでもない私は。向こう側の人たちと同じようにいられたのだろうか。

 ――”向こう側”?

 そして今更、気付いてしまう。いつの間にか私は彼らともう以前のようには戻れないのだと自分の中で線引きしてしまっていることに。知らず知らずのうちにヴァリアーの人達をこちら側だと受け入れていることに。いつの間にか、ヴァリアーの人達の心配の方をしていることに。
 …まあ、それが妥当なんだろうな。それが極めて自然なことなんだろう。
 だって彼らは私を、どこまでかは知らないけど受け入れてくれたから。認めてくれたから。扱いが雑でも引き入れようとしてくれたから。私の価値なんてこの原作において微々たるもの。換算されるまでもないもの。分かっているからこそ、ほんの少しこちらに惹かれているんだと思う。

「……」

 それは今までになかった、新たな感情。色々絡み合った結果湧き上がったそれに名前をつけることは、今はまだ出来ず。



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